第5話 獣人令嬢は愛したい
「シュレーゼマン卿は獣人だったのですか?」
子爵家が獣人の家系なのか、それともわたしのように子爵が獣人に産ませた子なのか。
「獣人じゃなくて鳥人。猛禽類ならまだしも、こんなに可愛らしい小鳥を獣と一緒にしないでくれる?」
そんなことはどうでもいい。
「ということは、ルース様も獣人ギルドに?」
「うん、そう。さっき言ってた副官に適任の騎士っていうのも獣人なんだけど、あいつ獣人界隈のことに疎くてさ。獣人ギルドのこと知らないって言うんだ。紫蘭騎士団初の獣人騎士のくせに」
「獣人騎士?」
「一般の騎士は獣人だとは知らないよ。皇太子殿下は獣人を集めて少数精鋭の秘密部隊を作ろうとしてるんだ。皇帝陛下にも内緒で。おもしろいよね、ユーリック殿下って」
友だちのことでも話すみたいにルースはクスッと笑う。
「それでね、使える獣人を探してくれって殿下が言うからぼくが獣人ギルドと交渉に来たんだ。あ、ギルドにはまだ秘密部隊のことは言ってないよ。魔獣と戦えそうな獣人がいたら紹介してくれって言ったの」
「会長案件ですよね。誰を紹介されたんですか?」
わたしの頭を過ったのはビクター。それから、わたし以外のビクターの弟子が数人。
獣人ギルドに所属していても異種族の獣人情報は必要なときしか教えてもらえない。どんな種族の獣人がどれだけギルドに属しているのかもわからない。すべてを知ることができるのは、獣人ギルドのギルド長であるわたしの祖父。ザルリス商会会長だけ。
「何人か紹介してもらったけど名前や居住地はまだ伏せられてるんだ。持ち帰って殿下と相談してから交渉に入る」
「……わたしもその中に?」
「まさか。会長がかわいい孫を怪しげな依頼のメンバーに入れると思う?」
「それで、騎士団に入れられないから求婚したということですか?」
「身も蓋もない言い方をすれば、そういうことになるのかな」
最悪だ。
九年経って、決闘までして、わたしは彼の思い通りにならないつもりでいたのに、どうしてこんなに泣きたくなるのだろう。
「身勝手ですね」
「そうかもしれない。でも、時には身勝手にならないと欲しいものは手に入らないでしょ?」
「あなたが先にご自分の正体を明かしたのは軽率でした。わたしもあなたの弱みを握ることができたのですから、あなたの思い通りにはいたしません。男爵家ごときが生意気と思われるのでしたら、強引に帝都まで引っ張って行けばいいのです」
悔しさに涙がこみ上げ、留め金を外して扉を開けたら目の前にサーカス団の少年が立っていた。
「あっ、あの、えっと、チーズパンを持ってきたんですけど」
「ありがとう」
いつの間に背後にいたのか、ルースが手を伸ばして少年から皿を受け取る。チーズの芳醇な香りと焼けたパンの匂い。
わたしの涙に気づいたのか少年はもじもじしていたけれど、「下がっていいよ」とルースに言われると大人しく階段を下りて行った。
ルースは皿をテーブルに置いてソファに座る。わたしはいつでも逃げ出せるように扉のそばに立っている。
「マリーはぼくと結婚するのがそんなに嫌?」
「嫌です」
「他に好きな人がいるわけじゃないんだよね?」
「わたしは両親のように愛のある夫婦になりたいんです。相手が子爵家だろうが皇室だろうが、利用されるために結婚するくらいならさっさと男爵家から籍を抜いてハンターとして独り立ちします。政略結婚なんてまっぴら」
「マリーが平民になっても変わらない。ぼくが欲しいのはマリーであって、男爵令嬢だから求婚してるわけじゃない」
たしかに、男爵令嬢はやめることができても獣人をやめることはできない。
「ねえ、マリー。マリーはどうやったらぼくと一緒に来てくれる?」
「獣人の奥さんが欲しいのなら、わたしでなくても他にいくらでもいるでしょう? それに、子爵家が鳥人の家系ならリスザルよりも鳥人の方が子爵様も喜ばれます」
「子爵様は鳥人じゃないよ。ぼくは子爵家の養子。騎士団の中で平民の扱いはまだ良くないから、皇太子殿下がぼくを貴族にするためにそうしたんだ。子爵家は継がないことになってる。だからね、結婚相手はぼくの好きに選んでいいんだ」
「皇太子殿下はこの縁談についてなんとおっしゃってるのですか?」
「殿下にはまだ話してないよ。フラれたって知られたら絶対笑われる。でも、せっかくトッツィ領に来たのに今を逃したらマリーが他の人と結婚しちゃうかもしれないでしょ」
頭が痛くなってきた。皇太子殿下はどうしてこんな考えなしの人間……じゃなくて鳥人を騎士団の副官にしようとしているのか。剣の実力はたしかにあるのだろうけれど。
「マリー、結婚してくれない?」
バカのひとつ覚えみたいに同じことを繰り返すルース。人間の姿をしているくせに小首をかしげる仕草はやっぱり小鳥みたいだ。
「しないと言ったらどうするのですか?」
「それなら、百歩譲って紫蘭騎士団に入らない?」
「えっ?」
「マリーならぼくみたいに貴族の礼儀作法なんて勉強する必要ないし、剣は基本サーベルだけど運動神経いいからすぐ慣れそうだし」
「結局、皇太子殿下のために使える獣人が欲しいだけなのですね。でも、女性の騎士なんて無理でしょう。獣人であることは隠せても女性であることは一目瞭然です」
「殿下ならたぶん問題ないって言うと思うよ。マリーも殿下に会ったら分かる。きっと惚れるから……、あっ、惚れられたら困るんだけど。獣人に対して偏見がないし、そこらへんの偉そうにしてる貴族より全然いい」
たしかに、普通なら獣人を騎士にするなんて考えつかない。でも獣人の身体能力は長けているし、だからこそザルリス商会の専属ハンターは獣人なのだ。獣人を騎士にというのは理にかなっている。
「マリーが帝都に来てくれたら口説くチャンスもできるしね」
「ルース様より強いという獣人は何の種族なのですか?」
「犬。見た目はほとんど狼だけど」
「行きます、帝都」
「えっ?」
「会ってみたいです。その獣人の方に」
「ええぇ……」
ルースは不安げな眼差しでわたしを見る。
「……ぼくとの結婚は?」
「しません。今のところは」
最後に付け足した一言で、パッとルースの表情が輝いた。ポーカーフェイスなんて言葉とは無縁のような人。気を抜けば背後から刺される貴族社会で、調子の良さだけ一流の鳥。腹黒い貴族に騙されることなくちゃんとやっていけてるのだろうか。
「マリー、帝都に来てもぼくがフラれたことは内緒にしてね。騎士団員たちはいつもぼくをネタに笑うんだから」
「それなのに副官になるのですね」
おかしいよねえ、と彼は首をかしげる。
わたしはどうやって祖父と両親を説得しようか考えている。他にも考えないといけないことが山積みだった。
男爵夫人にとってわたしの紫蘭騎士団入りと子爵家との結婚、どちらが脅威となるのだろう。帝都住まいを羨むのは目に見えている。父にとばっちりがいかないようにしないといけない。
悩ましいことだらけだけれど、胸の奥にジワジワと高揚感が広がっていた。種族の違う獣人と知り合える、騎士たちと剣を交えることができる、そして噂でしか知らない帝都をこの目で見られるのだ。
「あっ、でも」
「どうかした? マリー」
「帝都では魔獣を狩れません」
うっかりしていた。比較的辺境よりのトッツィ領だからこそ辛うじて魔獣が自然生息しているのであって、帝都では魔獣もふつうの獣になってしまう。
「それなら大丈夫だよ。あまり知られてないけど魔塔を囲う林には魔獣がいるんだ。魔塔の人間か皇族しか入れないけど、修練のためって言ったら殿下は許可してくれると思う」
初耳だ。
「浄化されないということは魔力保持結界が張られているのですか?」
「詳しくは知らないけど、林自体が結界になってるみたいなんだ。マナが林の中だけで循環してる。ぼくは正直あそこが苦手なんだけどね」
「小鳥なんて一発で魔獣に食べられてしまいそうですものね」
「悔しいけどそうなんだ。ぼくは愛くるしさで売ってるから、鳥の姿になって戦ったりできない。逃げるが勝ちさ」
つい笑い声を漏らしてしまうと、ルースはうれしそうに「はい」とチーズパンを差し出してきた。この人と結婚したらこれが日常になるのだろうかと想像したら、なぜか笑いがとまらなくなる。わたしは彼の向かいに座り、チーズパンを受け取ってかぶりついた。
気持ちが高揚している。
それはサーカス船の纏う魔力のせいではなく、運命の王子様への憧れでもなく、これから訪れる未来が楽しみだから。
「そんなに笑わなくても」
青い髪が揺れる。
運命なんかじゃない。
ただちょっとお調子者の小鳥を放っておけなくなっただけだ。
【魔獣狩りが趣味の獣人令嬢は政略結婚を迫られたので騎士団に入ることにしました】
――完――
本編『巻き添えで召喚された直後に死亡したので幽霊として生きて(?)いきます』もよろしくお願いします。
魔獣狩りが趣味の獣人令嬢は政略結婚を迫られたので騎士団に入ることにしました 31040 @hakusekirei89
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