第4話 愛の決闘を邪魔するのは熱いやつ

 ルースがブーツに仕込んでいたナイフは、あの時と同じように一本ずつ柄の色が違っていた。毒蛇もナイフも結界も、いったいいつから準備していたのか。いつからわたしをショーに巻き込むつもりでいたのか。


 舞台の上で青い髪の青年が舞う。あの日よりも優雅に、軽やかに。


「残りあと一匹。みなさま、彼の恋が成就することを願って声援を送ってあげてください」


 結界の目の前で、わたしは「ルース」「マリー」という観客の声を背後に聞いていた。赤い柄のナイフが赤色の蛇を仕留め、歓声は向こう岸まで届きそうなほど大きくなる。


 まったく、みんな他人事だと思って。


「九年ぶりのショーを見事成功させたルース青年に盛大な拍手をお送り下さい。マリー嬢、ぜひ舞台の上へ」


 サーカス団員の手で蛇が撤収されて結界が解かれると、わたしは道化師のエスコートで舞台にあがった。ルースは仰々しく目の前でひざまずく。


 彼の手をとっても、彼の手を払っても、ルースはきっと観客席を盛り上げるのだろう。わたしはショーに出るためにここに来たんじゃない。


 サリーの襞をめくって太ももに仕込んでいたナイフを突きつけると、歓声がどよめきに変わった。


「ルース様、わたしと勝負して下さい」


 呆然とした彼の表情が小気味いい。


「マリー嬢はよほどルース青年のことを嫌っているようです。ルース青年、あなたの恋は破れたようですが、どうしましょう?」


「マリー、ぼくが勝ったら結婚してくれる?」


「検討します」


「なら、勝負します」


 立ち上がったルースは「みなさん、応援してくださーい」と観客席に向かって笑顔で両手を振る。余興と思ったのか、観客たちはルースの軽い言葉にノリよく声援を返してきた。


「勝負は投げナイフ? ぼくのは毒蛇の血がついちゃったから使えないよ」


「剣で。道化師さん、後半のプログラムにレイピアを使うものがありましたよね。お貸しいただけませんか?」


 へえ、とルースは興味をそそられたようだった。


「決闘で結婚を決めることになるとは思わなかった」


「結婚ではなく、検討してさしあげるだけです」


 観客たちだけでなく、サーカス団員も突然の余興を楽しんでいた。舞台袖には次のプログラムのためにスタンバイされた魔獣の結界檻がみっつ。チーズを溶かす係のイタチ魔獣。いつもは二本尾のイタチなのに、今年は一匹だけ三本尾が混じっている。ケージの横には大きなオレンジ色チーズが置かれていた。


 ペティコートに入れ込んだサリーの襞を動きやすいように整え、左肩にかけていた布端を降ろして組み紐で腰に固定する。下に着た半袖のチョリは胸下までしかなく、露わになった下腹部を夜風がなでていった。


 道化師の手からわたしとルースに渡された二本のレイピアは、観客席で観ていた時には気づかなかったけれど柄の装飾にマナ石が使われている。


「魔術付与で殺傷能力が抑制されています。思い切り突いても大丈夫ですよ」


 道化師はわたしにこそっと耳打ちした。観客に聞こえては興覚め。ルースは知っているのだろう。


 キキッとイタチの鳴き声が聞こえた。蛇の残した血の匂いに興奮しているのかもしれない。魔力を帯びた熱が結界檻の中に溜まっている。


「茶番劇はさっさと終わらせましょう」


「ぼくは至って真剣なんだけどなあ」


 真剣勝負と言うわりに観客席から聞こえるのは笑い声。道化師が「おや?」舞台袖に目を向けた。


「判定はわたしがしよう」


 ヒョイと舞台上にあがった男性がわたしにニヤッと嫌らしい笑みを寄越した。


「……師匠、いらしてたんですか」


 ザルリス商会専属ハンターのビクターは、「いいだろう?」と道化師の肩を叩いて舞台中央へと歩いていく。


「師匠もグルですか?」


「グル? 観客席で妻と楽しい夜を過ごしていたら愛弟子がおかしなことをおっぱじめたもんだから、そりゃあ、おれが参加しないわけにはいかんだろう」


 はじめまして、とルースはビクターに挨拶する。


「マリーに剣を教えられたのですか?」


「剣もだが、社会のイロハをな」


「男女のイロハは?」


「さて、それはどうだろう。ルース少年より女心は理解しているつもりだが」


「ぼくとマリーの結婚には反対ですか?」


「ザルリス商会の人間だからな。だが、判定は公正に行う。身内だからと情けをかけるような甘っちょろい指導はしてない」


 ではみなさま、と道化師が仕切り、わたしとルースは剣先を向けて相対する。観客席は静まり、背後でキキッとイタチの声がした。


「はじめ!」


 ビクターの声とともにルースが一歩踏み出し、わたしは右に避けながら一歩退く。


「せっかちですね」


「早く結婚したいから」


「あまり早く勝負がつくと観客ウケが悪いですよ」


「たしかにそうだ」


 わたしは剣の交わる音に集中した。歓声が意識から遠のき、合わさった刀身が滑る金属音。剣は根元近くで交差し、さほど体格が良いとも思えないルースの力にジリジリとねじ伏せられていく。


 彼の息遣いが聞こえた。


「降参してよ、マリー」


 囁き声が聞こえるほど距離は近い。


「いやです」


「結婚して一緒に帝都に行こう」


「何が目的なのですか?」


「マリーが欲しい。ザルリス商会の一族であり、あのギルド・・・・・に所属する君が」


「なっ……!」


 わたしは反射的に後ろに跳び退っていた。簡単に剣が押し戻せたのはルースが力を抜いたからだろう。


「降参してよ、マリー」


 今度は観客にも聞こえる声で言う。


「い・や・です!」


 力比べは無理。身軽さで撹乱して隙を突く。彼もフェイントを交えて間合いを詰める作戦に変更したようだった。


 剣先だけの地味な勝負から剣舞のような派手なショーに変わり、観客席からは拍手喝采が湧き起こる。


 わたしの目はひたすら彼の青い髪を追っていた。彼が次にどう来るか、どのタイミングで動くか。なぜかそれが手にとるようにわかる。彼もわたしの動きがわかっている。


 高揚していた。


 あの日、蛇を相手に華麗に舞ったルース。恋に落ちた瞬間の、なんとも言えない胸の高まり。あの時の感情をハッキリと思い出した。


 サーカス船の纏う魔力のせいなんかじゃない。八才のわたしは生まれて始めて恋をし、そして失恋したんだ。


 だから、今夜はわたしがルースを失恋させる番。


 舞台中央をまっすぐ突っ込んできた青い髪が左へなびき、右へ身を屈めたルースの剣はわたしの脇腹を狙っていた。かわして体を一回転させ、柄の部分で彼の背を打とうとした時。


「キャアッ!」


 叫び声は女性のものだった。


 気をとられたわたしはサリーの襞をさばくのを忘れ、うっかり裾を踏んづけて床に尻もちをつく。


 ――まずい


 慌てて顔をあげると、ルースはわたしに背を向けていた。彼の股のあいだから、三本尾のイタチ魔獣が見えている。


「誰か、捕縛魔法具と新しい結界檻持って来い!」


 道化師の素の声。結界檻はイタチの熱にやられたのか一部が溶けてしまっている。


 わたしが状況を把握した時には、イタチはすでにこっちに向かって跳躍していた。体をよじるイタチの尻尾に魔力が凝縮されていく。


 わたしは咄嗟に横に転がり、太もものナイフホルスターに手をかけた。けれど、そこにあるはずのナイフがない。


 ハッとルースに目を向けると、彼の手から見慣れたナイフが放たれる。それは宙返り途中のイタチのお尻に命中し、熱波は不発のままドサッと舞台に落下した。


 そのイタチの姿を見てわたしは思わず「アーッ!」と声をあげる。尻尾が一本完全に切り落とされ、離れた場所に落ちていたのだ。


「尻尾を落としちゃったらダメじゃないですか。イタチ魔獣の価値は毛艶と尻尾の数で決まるんです。二本と三本じゃ雲泥の差なのに」


 ルースは呆気にとられた顔でわたしを振り返る。彼の手に残っていた二本のナイフを奪い返し、まだ抵抗しようとするイタチの喉元に向けてナイフを放った。


 イタチはギャッ、と短い悲鳴をあげて動きを止める。近づいて確認すると尻尾に熱が残っていたけれどすでに事切れていた。


「師匠。三本尾が切れて二本になった場合、二本尾と同じ扱いになるんですか?」


「惜しいことをしたな。三本テールの一枚皮はかなり高値で売れるんだがその状態じゃ二本テール以下だ。バラして魔法具の加工業者に卸すのが妥当だろう」


「せっかくの三本尾なのに。まあ、しょうがないですね。ねえ道化師さん、わたしこれ買い取ってもいいかしら?」


「え? ……ええ」


「ありがとうございます。実は三本尾のイタチを捌くの初めてなんです。師匠、商会の作業場をお借りしてもいいですか?」


 ビクターは返事代わりに「ハハッ」と笑い声をあげる。


「マリーが着ているのは会長からのプレゼントだろう。血が付くといけないからおれが運んでおいてあげよう」


 ビクター含め、ザルリス商会の人たちはわたしに甘い。会長の孫だから甘やかされているのだと言われるのが嫌で修練に励んでいたら、腕をあげるにつれて更に甘くなった。


「すいません、師匠。せっかくサーカスを楽しんでらしたのに」


「もう十分楽しませてもらったさ」


 邪魔者は退散というように、ビクターはイタチの尻尾を掴むとヒョイと舞台から飛び降り舞台袖にはけていく。


「さてさて」


 道化師は演劇口調で言い、わたしとルースの間に立った。


「リンカ・サーカス団を代表して、お客様を魔獣の危険に晒してしまったこと深くお詫び申し上げます。そして我々の危機を救って下さったルース青年とマリーお嬢様に感謝申し上げます」


 観客席からはサーカス団へのブーイングとわたしたちへの称賛の声。


「ひとつ気がかりなのは、我々の不手際によりお二人の決闘が中断してしまったこと。観客席のみなさまもルース青年とマリー嬢の恋の行方が気になっていらっしゃるのではないでしょうか」


 余計なお世話でしかないけれど、観客席からは示し合わせたように拍手が湧き起こる。


「恋は剣を交えた決闘とは違って心と心の交わりでございます。マリー嬢を守るルース青年の姿にわたくしは胸を打たれました。二人とも剣を置いた今、マリー嬢はルース青年の手をとるのか、それともナイフを向けるのか」


 道化師は喋りながら舞台の端へ退き、ルースは今一度わたしの前に跪く。指笛がそこかしこで鳴らされ、おせっかいな楽団がドラムロールで盛り上げる。


「マリー、どうかわたしと結婚してください」


 差し出された手を払いのけられないのが悔しかった。なぜなら、彼はわたしの正体を知っている。


 ――あのギルド・・・・・


 ルースはそう囁いたのだ。


「検討させていただきます」


 わたしが彼の手をとると、もう閉幕でいいんじゃないかと思うような喝采。わたしとルースは手をつないでお辞儀をし、二人で舞台から降りた。サーカス団員に案内されて舞台裏の階段を降り、船内通路を行くあいだも彼は手を離そうとしない。


「ルース様、わたしは逃げるつもりなどありません」


「でもこのまま商会の作業場に行くつもりなんじゃないの? できればワイン一杯とチーズパンとくらい付き合ってほしいな」


 三本尾のイタチは死んでしまったけれど、幸い毎年出演していた二本尾のイタチが残っている。チーズパンのプログラムは予定通り行われるようだった。


「あ、あの、チーズパンを席にお持ちしましょうか?」


 案内のサーカス団員は十才くらいの少年だった。気を利かせたつもりのようだけど、チーズとワインを楽しむ気分ではない。かといって真っすぐ作業場に向かうつもりもない。


「ありがとう。お願いします」


 ルースとは二人きりで話しておかなければいけないことがあった。わたしの警戒心などまったく気づいていないのか、「よかった」とルースは無邪気な笑みを浮かべる。


 少年は階段下で別れて引き返そうとし、「待って」とわたしは彼を呼び止めた。


「イタチ魔獣の結界檻ですが、尾の数がひとつ増えるだけで熱波の温度がかなり上がります。付与する魔術は同じもので良いでしょうが、檻の素材は熱耐性の強いものに変えた方がいいかと。檻は商会の方でご用意できますので必要でしたらお声かけ下さい」


「あ、ありがとうございます。団長に伝えておきます」


 少年は一言一句そのまま伝えようとしているのかブツブツ口の中でつぶやき、ペコッと頭を下げて通路を駆け戻っていった。


「ルース様、この余興はいつから準備されていたのですか?」


「ちょっと前?」


「どのようなつもりで?」


「マリーに九年前のことを思い出してほしくて」


 あんなことをしなくても、わたしにとっては忘れがたい初恋黒歴史なのに。


「それで、わたしを脅して結婚した後はどうなさるおつもりなんでしょう?」


「脅す?! そんなつもり全然ないんだけど」


 ルースは無実を主張するように両手をあげる。人目のある通路で獣人の話をするわけにもいかず、わたしは先に立って階段を上った。


「マリー、怒ってる?」


「気安くマリーなどと呼ばないで下さい、シュレーゼマン卿。あなたは自分の思い通りにわたしを利用して、観客席が盛り上がればそれでいいと思っているのでしょう?」


「そんなこと思ってないよ。そりゃあお客さんが楽しんでくれたら嬉しいけど、マリーを怒らせるつもりなんてなかった。マリーが舞台まで来てくれたから調子に乗り過ぎたんだ。ごめん、マリー」


「あなたのせいでリンカ・サーカスは振り回され、一歩間違えば一般客の魔獣被害を出していたかもしれません。紫蘭騎士団副官様、そのあたり自覚されているのですか?」


 彼は急にシュンとなり、「そうなんだよね」と口にする。


「どう考えてもぼくより副官に適任なヤツがいるんだ。強くて、大人で、殿下とも仲良し。それなのに殿下はぼくにやれって言う。どうしてかな?」


「そんなことわたしに聞かれても知りません」


 階段を上って正面にある観覧席への扉に手をかけると、「待って」と手首を掴まれた。


「最初にこっちの部屋で話しておきたいことがあるんだ」


 ルースは部屋の扉を開け、「どうぞ」と言う。そこにあるのは冷えた飲み物とおつまみ、向かい合わせのソファ、それから二人一緒に寝られそうな大きなベッド。


「勝手にひとの太ももをまさぐる男性と密室で二人きりになるつもりはありません」


「あっ、あれは咄嗟に。魔術付与されたレイピアだと仕留められないから仕方なかったんだ」


「それでうら若い女性の下着をめくったと」


「まあ、そういうことになるんだけど」


 この人はいったいどういうつもりなのだろう。わたしの弱みを握っているのだから、「獣人」という言葉をチラつかせれば簡単に言うことを聞かせられるのに。まるで自分の方が弱みを握られているような態度。


「マリーには指一本触れないから」


「……わかりました」


 わたしが中に入ると背後でカチャと音がした。彼の手が留め金を掛け、発動した魔法で部屋全体が一瞬青く光る。


「なにを……」


「防音結界だから安心して。逃げたければ簡単に出られるから」


 彼は足早にベッドの向こうに回り込むと、トッツィ領の街明かりが見えていた窓にカーテンを引く。


「シュレーゼマン卿、どういうつもりですか?」


「こういうつもり」


 言い終えたとき青い髪の青年は忽然と姿を消し、一羽の青い鳥がベッドの上にとまっていた。


「……えっ?」


 思考する間もなく、小鳥のいた場所にルースが現れる。


「っていうこと」

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