雪の夜 作:七面鳥
――ゆきのふるよはおなごをだすな
おまえの××××ここにはいねえ――
昔々、とある田舎の村はずれに、若い母親と幼い姉妹が住んでいた。
母親はめっぽう美人だが、気性の荒い薄情な女であった。怒鳴り声などは田畑を越え、集落まで響くという有様だ。二人の娘のうち、七つ八つほどの姉は母によく似た美人であった。病弱だという話であまり外に出ることがなく、そのため線が細く色白であった。反対に、五つほどの妹は浅黒い肌に腫れぼったい目をした、器量の悪い少女であった。父はなかった。
「凋落した名家のお嬢さん方だ」とか「子をなして逃げてきた遊女だ」とか「駆け落ち相手に親子ともども捨てられたんだ」とか、様々な噂が人々のあいだに流れたが、本当のところは分からずじまいである。
姉妹の容貌の差のせいか、もしくはなにか理由があるのか、母は姉ばかりを可愛がり、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。妹はというと、毎日朝から晩まで働かされ、家族のためにとこき使われていた。
母からの扱いに差はあれども、なぜだか姉妹二人は仲がよかった。
妹は時折、町まで使いに出されていた。着物をこしらえるための布や、姉のための薬を買って来いと母に言いつけられていたらしい。そういった店のある町は、親子が住む家から何里も離れたところにあった。当然五つの子どもにとっては、歩いて行くなど大変な苦痛だったろう。それでも彼女は我が身を嘆くこともなく、道行く人に朗らかに挨拶をするような明るい子どもであった。そのため彼女を知るものは、見かけるたびによく声をかけていた。
お下がりのぼろ布をまとい擦り切れた草履をはいた、薄汚い幼子。そんな彼女の姿は、決して裕福でない農民や町人から見ても哀れであった。たまに水飴や蜜柑などを食わせる者がいたのは、ちょうど野良猫に残り物をやるのと似た心情があったからにちがいない。それでも健気な妹は、貰った甘味を半分食べると「あとは持って帰る」と必ず言い張った。家で休んでる姉ちゃんにあげるんだ、と。周囲の人々は、なぜ彼女がそんなにも姉になついているのかと不思議に思っていた。
「姉ちゃんが元気になったら、お使いは“かわりばんこ”にするんだ」
もらったおむすびを食べながら、ある日妹は町人にそう話した。今日は洗濯のやり直しを母に命じられ、朝食をとりそこねたそうだ。
「けさ洗濯をしてるときに、姉ちゃんと話したんだ。おらがちゃんときれいに洗濯できなかったからやり直しになったのに、姉ちゃんやさしいから手伝ってくれた。そん時言ってたんだ、“姉ちゃん元気になったら洗濯と炊事は半分こにしよう、町まで歩くのが遠くて大変なお使いは、かわりばんこにしよう”って。姉ちゃんほんとにやさしいんだ。おらが愚図なせいで夕飯もらえなかったときに、いつもこっそり漬物とっといてくれるんだ。“おまえがはらぺこじゃ可哀そうだからね、おまえがいなくなったら困るからね”って……」
時は過ぎて、生活が苦しくなる冬がやってきた。その年は特別に冷え込んで、幾度となく大雪が降った。天気が悪いために雪はなかなか溶けず、どんどん降り積もり徐々にその高さを増していった。
ある晴れた日の朝、少しだけ溶けた雪の下から、とうに冷たくなった件の少女が見つかった。あかぎれだらけの小さな手がのぞいていたのを、たまたま通りかかった者が見つけて引っ張り出したのだ。どうやら使いの帰りに力尽きてそのまま息絶えたらしい。鼠色の小袖は薄く、寒さに耐えられなかったであろうことが誰の目にも明らかだった。何時間、あるいは何日間雪の下で眠っていたかは定かではない。
少女の顔見知りであった大人たち数人が、小さな遺体を彼女の家まで運んだ。しかし信じ難いことに、家は既にもぬけの殻だった。町人らが雪を掻き分けてどうにか穴を掘り、少女を埋葬し終え、手ごろな石を墓標代わりに置く時分になっても、とうとう母と姉は帰ってこなかった。
「姉ちゃんのお薬入れて持って帰るんだ」と、少女はいつも大事そうに紅色の巾着を持って買い物に行っていた。少女を埋める前に町人らが中身を確認すると、そこには薬でもなんでもない、当時としては高級な菓子である金平糖が入っていた。
ひと粒、少女の口に含ませて、残りも巾着ごと遺体とともに埋めた。
翌年のことだった。その日もまた、少女の遺体が見つかったころのように雪が降り、凍てつくような寒さであった。
雪遊びをしていた子どもたちのうちの一人である八つの女童が、日が暮れても家に帰ってこなかった。翌日村の者総出で探したところ、案外すぐに見つかった。無事に、ではなかったが。道端に倒れ伏すようにして息絶えていた少女は、どうやら凍えたのが死因であるらしかった。凍死自体は決して珍しいことではない。道に迷った旅人の遺体が見つかって近所の寺の世話になることは、毎年の恒例といっていい出来事であった。ただ、この少女の死に方には二つ、奇妙な点があった。一つは、少女はいつも通る道で死んでおり、迷子になっていたとは考えられないこと。そしてもう一つは――少女の首には、小さな手形のような血の跡が、首を絞めるようにふたつ、赤々と付いていたことだ。
それからは毎年々々、大雪が降るたびに、村の少女が一人ずつ死んでいった。みな一様に凍死しており、首には子どもに絞められたような赤い手形があった。誰もが「死んだあの子の呪いだ」と囁いた。たくさんの若い女が犠牲になった。八つの娘、農民の娘、器量の良い娘、商人の娘、十四の娘、醜い娘、隣町の娘……。村の人々は、雪の日には娘を家から出さないようになった。噂は近隣一帯に広がり、冬の間はその村に女を向かわせることを禁じる集落も出てきた。嫁いできた女に、生まれてきた子どもに、言い聞かせるように、言い伝えるように、人々はこの呪いのことを広め続けた。誰からともなく、戒めを込めて唄うようになった。
――ゆきのふるよはおなごをだすな
おまえのねえさまここにはいねえ――
昭和××年のある冬の日、××地方には数十年ぶりに大雪が降った。昨今の温暖な冬になれていた住民たちは大慌て。なんの対策もしていない水道管は割れ、積もった雪は道を塞ぎ、交通網はすっかり止まった。
とある老婆が、××地方の町はずれに一人で住んでいた。簡素な夕食を済ませ、さて今晩は冷えるから早目に寝ようかと支度をしていた。小窓のカーテンを引きながらふと外に目をやると、雪が厚く降り積もった家の前の道路に、何か見慣れぬものが落ちているのが目に入った。――いや、物が落ちているのではない。人間だ。人が倒れている。
老婆は急いで外に出て雪をかき分け、やっとのことで倒れている人にたどり着いた。若い女だ、まだ息がある。しかしこの天気では、救急車もいつ来るやら分からない。衰えた体に喝を入れ、老婆は引きずるようにして女性を家の中に運び込んだ。ほどなくして女性はどうにか意識を取り戻し、大雪の中ようやく到着した救急車に乗って病院へと運ばれていった。
遠ざかる回転灯を見つめながら、老婆は先程の女性の言葉を思い出していた。老婆がなんとか手当てしようと苦心している間中、若い女はガタガタと歯を鳴らしながら「女の子に、小さな女の子に殺されかけた」と、うわごとのように繰り返していた。カイロをあてようとした首元には、たしかに小さな赤い手形があった。救急車に乗るときも、女性は隊員に状況を説明しようとしたのか、それともただ錯乱していたのか、わけのわからないことをずっと口走っていた。気絶する前に女の子が喋っているのを聞いた、彼女はこう言っていたのだと。
「姉ちゃん代わって、もう疲れたよ」
2023年度・九州大学文藝部・新入生歓迎号 九大文芸部 @kyudai-bungei
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