第17話 シャリオとグレイ

 私は立ち上がった。

「私……私よ、シャリオ。あなた、あぁ……生きていて……っ!」


 シャリオの眼がゆっくりと見開かれる。

 その曇りのない漆黒の瞳に、私が映り込んでいた。

 それから何が起こったのか。

 その場の誰も(もちろん私も)が眼を疑い、絶句しただろう。

 シャリオは机を踏みつけ、一足跳びに私の目の前に降り立つ。そして、私を強く強く抱きしめたのだ。

 彼の手が、私の顔に優しく触れる。まるで壊れ物でも扱うように。

 シャリオの顔がくしゃっと歪む。その目が潤み、目元が赤く紅潮する。


「アンネっ!」

「グレイ、平気! 平気、だから……」

「本当に、本当に、アンネローザ様なのですか!?」

「そうよ、シャリオ! 私よっ!」


 私の漏らす息も声も震えている。きっと今の私は不細工だろう。

 視界が涙で歪む。


「アンネローザ様……」


 シャリオは懐から手ぬぐいを抜く。


「こんななのしかありませんが……」


 シャリオがそれをふんだくると、目尻に浮いた私の涙を拭き取る。


「だ、大丈夫だから」

「だめです。動かないで下さい……。これでよし……」


 シャリオは泣き笑いの表情を浮かべたかと思うと、跪く。


「シャリオ?」


 シャリオは私の右手を取ると、手の甲に自分の額を押しあてた。


「ずっと、ずっと会いたかった……っ」

「私もよ、シャリオ。私も会いたかった……」

「王国があなたを殺したと発表して……」

「私が幽霊に見える?」


 下唇を噛みしめたシャリオは首を横に振ると、泣き笑いの表情を見せた。

 たった一年会わなかっただけだけど、シャリオは一団の大人びて、精悍さが増したように見えた。

 それでも相好が崩れると、うちに来たばかりの十四歳当時の幼い面影がちらりと覗く。


「あなたが無事で良かった」

「アンネローザ様。あなたはひどい人だ。俺たちを逃がすために一言もなく……」

「ごめんなさい。でもあの時はあれが最良だと思ったの」


 私は眼を細める。


「……黒狼が、皇帝陛下以外の前で進んで膝を折るとは……っ」


 ゾルトが声を震わせる。


「黒狼?」

「勝手に周りが言っているだけです。馬鹿馬鹿しい呼び名です」

「でも格好いいと思うわ」

「っ!」


 シャリオは少し頬を染め、目を伏せた。


「……あなたにそう言って頂けるとそれだけで俺は……」

「黒狼な。狼歴じゃあ、俺のほうが先輩だな」

「っ」


 シャリオは眼をキッと釣り上げ、立ち上がった。


「なんだ、貴様はっ。殺気を向けていることに気付いていないとでも思ったのかっ!」


 グレイはシャリオに近づく。


「お前みたいな怪しい奴がアンネに近づいてるからだろうがっ!」

「アンネ、だと!? アンネローザ様と呼べ!」

「うるせえ! 俺がアンネをどう呼ぼうが勝手だろうが!」

「また……! もう我慢できねえッ!」


 シャリオは腰の剣に手をかけた。


「得物か、上等だっ」

「貴様相手に武器なんて使うかよ!」


 シャリオは腰から外した剣をテーブルに置くや、グレイに掴みかかる。

 グレイも負けじと掴みかかった。

 二人はお互いの手をつかみ合う。

 衛兵は二人の気迫を前に、完全に呑まれて動けないでいる。確かにいたずらにこの二人の諍いに手を出せば、無事ではすまなさそうだけど。


「ちょ、ちょっと……」

「シャリオだったか? 力が弱くて、欠伸がでそうだっ!」

「それはこっちのセリフだ!」

「二人とも、やめなさ―――――――――――――――い……っ!!」


 私は二人の間に割って入り、無理矢理に取っ組み合いをやめさせた。


「アンネ、邪魔をするなっ」

「アンネローザ様と呼べと……」

「グレイ、ステイ!」

「また――」

「あなたは私を守るのが仕事なんでしょ! 私は何もひどいことをされてない! だからシャリオと戦う必要なんてないのっ! シャリオ! あなたは仮にも帝国の将軍なんでしょ! だったらもっとどっしりと構えるの! ここは、あなたが育ったストリートではないのよっ!」


 私の叱責に、二人は気まずそうな顔をしながらも引いてくれた。

 もう、と私は少し乱れ髪を手櫛で解かして、咳払いをする。


「申し訳ありません、ゾルト様。では今日はどのような用件でいらっしゃったんですか?」

「皇帝陛下は戦を望まず、無駄な血が流れることを良しとしない。ついては、速やかに降伏していただきたい」

「降伏とは……」

「我々とそちらの戦力を考えれば当然では? 王国からの援軍を期待しているのなら無駄です。王国の主力をすでに初戦で壊滅している。助けはこない」

「――無駄な血が、と仰られる割に、恫喝のようなことをなさるのね」


 私は口を挟んだ。


「恫喝? 違います。これは親切心。先王ならばまだしも、今の王は民よりも自らの宮殿を築くのに忙しい。まさに愚王そのもの。あなた方を想えばこそ、我々はこうして使者として立っているのです」

「帝国に寝返ったところで主人が替わるだけ。あなたたちが民を慈しむか、はなはだ疑問です」

「すでに我々と同じように他の州にも使者が向かっている。あなた方だけが孤立するような事態は避けたいのではありませんか?」

「しかし民のためにならなければ、私たちだけ無事では意味がないわ」

「では、我々と戦う道を選ばれると」

「無茶です、アンネローザ様……」

「シャリオ、黙っていろ。交渉の責任者は私だぞ」


 ゾルトからたしなめられ、シャリオは今にも飛びかからんばかりに眼を鋭くさせた。

 ゾルトは顔を青くさせ、慌てて目を反らす。


「……ゾルト様、皇帝陛下と直接会いたいわ」


 ゲーム上の皇帝は理知的で話の分かる人だ。

 交渉はできるはず。


「陛下に? 何を馬鹿な。要求があれば、私が聞きましょう。そのための使者なのですから」

「いいえ、皇帝陛下でなければ。伝令では意味がないのです」

「なぜ」

「あなたが信用できないから」

「なんと……。それは使者への冒涜ですぞ!」

「そうかしら?」


 ゾルトは怒りに顔を赤黒く変色させた。


「それに皇帝陛下は都です。前線にはいらっしゃない」

「おい、」


 シャリオが口を挟もうとするが、それよりも先に私は口を開く。


「ゾルト様、今あなたははっきりと自分が信用できないということを証明したんです」

「何を仰って……」

「信用して欲しいのなら嘘はつくべきじゃない」

「私がいつ嘘をついたと言うのですか」

「皇帝陛下が前線で執務を取っていらっしゃるのは分かっているんです」

「っ!」


 そのあたりはゲームでしっかり予習済み。

 皇帝、オリド・パシャは少数部族の長だ。オリドは戦場では無敵で知恵もある。

 しかし国をまとめあげるには有力部族たちの力も借りざるをえなかった。

 結果、何が起こったか。皇帝といえども絶対的な権力はなく、部族たちの意向が宮廷内において幅を利かすことが当然になっている。

 そして若く、英雄の資質を開花させたオルドを危険視した有力部族たちはオルド暗殺を企てる。オルドからすれば有力部族たちが権力を握る本国より、戦場でともに命を預け合った仲間のいる戦場のほうが安全なのだ。

 ゾルトという男はゲームには出てこなかったが、ここまで皇帝に会わせたくないという言い張るくらいだから、皇帝を邪魔だと考える有力部族側の人間なのだろう。でなければ、嘘をつく必要もない。


「シャリオ、私の情報は間違っている?」

「いいえ。陛下は確かに前線に建ってお出でです」


 ゾルトが激昂する。


「シャリオ! お前は黙っていろ!」

「ゾルト、なぜ嘘をつく必要がある。陛下に会わせたくない理由でもあるのか?」

「まさか、そんなことはない。交渉は私の領分だ。私にも考えがあって……」

「それは是非、お聞かせ願いたいものですね。どういう考えに基づいて嘘をつかれたのか」

「そ、それは……」


 私がにこやかに言うと、ゾルトは明らかに狼狽する。


「アンネローザ様ご自身が、皇帝陛下に会われ、直接、話をされたほうがいいようだな。ゾルト」

「出過ぎた真似をするなっ。交渉の責任者は私……ひい!?」


 シャリオは眼にも止まらぬ速さで鞘を払うと、剥き身の刃をゾルトの鼻先へ突きつけた。


「黙れ、三下。俺は陛下の直臣。貴様のような宰相の御用聞き風情に生意気な口をきかれる言われなどないッ」

「ち、血迷ったか……」

「血迷ってなどいない。アンネローザ様は望まれているのなら、皇帝陛下と会われるべきだ」

「皇帝陛下が会われるはずが……」

「そんなことはない。が、仮にいやだと仰られても、俺が説得をして会って頂く。善は急げです。すぐに向かいましょう」

「でも……」


 私はシャリオの思い切りの良さに、ゾルトを気にしてしまう。


「問題ありません」


 ゾルトはとても問題ない、という感じではないみたいだけれど……。

 でもこういう話の流れになってくれたのは好都合。


「というわけで、皇帝陛下とお会いしてまいります。留守をお願いできます?」

「……は、はい、もちろんですっ」


 男爵様はコクコクと頷く。

 男爵様に任せれば、心配することはないだろう。


「ゾルド、行くぞ」

「私が外交の責任者なんだぞ……!」

「だったらお前はそこの男爵さんと好きなだけ話せ。俺はアンネローゼ様と帰る」


 シャリオはさっさと歩き出す。

 い、いいのかな……?


「待って、シャリオ」


 私は慌てて後を追う。

 と、シャリオは、ついてくるグレイに眉をひそめた。


「お前まで来るつもりか?」

「当然だ。俺はアンネの護衛だからな」

「ところで、シャリオ。ゾルトの言葉はともかく、本当に皇帝陛下は会ってくれそうなの?」

「皇帝陛下は話が分かる人ですから心配いりませんっ」

「ゾルトのこと。放ってきちゃったけど」

「平気です。まあ、あいつのことは見張れとは言われたけど……アンネローザ様とお会いした以上、あんな奴のことはどうでもいいんです」


 私たちは館を出ると、厩舎に向かう。

 そこで、シャリオは自分の馬を引っ張り出す。黒々として立派な体格の馬だ。毛並みが艶々していて、世話がしっかりされているのが分かる。


「これで行きます。陛下からちょうだいした俺の愛馬、ハドゥです」

「ふふ、よろしくね。ハドゥ」

「こいつは確かに度胸がある馬だな。俺が近寄っても暴れない」


 グレイが感心したように言う。


「当然だろ」


 グレイの言葉に、シャリオは眉をひそめる。


「それでは参りましょう、アンネローザ様」


 簡単に馬にまたがったシャリオが手を差し伸べてくれる。


「あら、シャリオ。乗馬経験は私のほうが長いのよ?」

「そうでした。すみません。つい」

「いいの。せっかくだし、手を貸して貰おうかしら」

「では」


 手を取る。

 シャリオの手は皮が厚く、私の手を包み込めてしまえるくらい大きい。

 シャリオに引っ張り上げてもらい、馬とシャリオの間にまたがる。


「おい、お前もついてくるんだったらさっさと馬を選べ」

「俺は走るから大丈夫だ」

「おい、冗談は……」

「シャリオ、冗談じゃないの。グレイはすごく速いから」

「いくら足が速いと言ってもさすがにそれは……」

「なら、競うか」

「アンネローザ様がいなければそうしたいところだが、そんな馬鹿なことに付き合っていられるかっ」


 シャリオは馬腹を蹴って駆けさせる。

 力強い大地を蹄で抉り、馬が駆け出す。


「アンネローザ様、あのグレイとかいう男、一体何者ですか。腕は確かに立つようですが」

「へー」

「何です?」

「いがみあってたから、褒めることなんてあるんだって」

「それはそれ、としてです。力の有無を見誤るほど落ちぶれていません」

「じゃあ、グレイに直接言えば? 友情が生まれ――」

「嫌です。アンネローザ様の頼みでも聞けません」

「どうして?」

「図に乗る姿を想像するだけで腹が立つので」


 今一瞬、その様子を想像したのだろう。手綱を握る手に力がこもる。


「それで、あいつとはどこであったんですか?」

「えっと、旅をしていて出会ったの」

「旅?」

「ええ。王国の追っ手から逃げて、色々な地域に隠れて……」

「そうだったんですね。傭兵か、野盗か、どちらにしろ、あの眼光の鋭さは並の人間ではないですね」


 並の人間ではない――鋭い。


「でもあまり信用なさらないように……に。アンネローザ様は俺だけを信用してくださいっ」

「ありがとう。だけど警戒しすぎよ」

「そんなことはありません。警戒しすぎてしすぎることはありませんから」


 シャリオの顔は真剣そのもの。


「おい、うすのろ! 馬に跨がってその程度かっ!?」

「っ!?」


 私たちははっとしてそちらを見ると、グレイだった。


「正気か、お前!」


 シャリオもさすがに動揺を隠せない。


「アンネローザ様! あいつは本当に化け物だ! やっぱり信じるべきじゃないっ!」

「あははは……」

 

 シャリオは愛馬をけしかけ、グレイに追いつこうと速度を上げた。

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悪役令嬢として婚約破棄されたので、魔法使いとして第二の人生を歩む! 魚谷 @URYO

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