そらからそらに(9/9)

 翌日、授業が終わると、すぐに四階の家を出た。

 なるべく早く店に行って、夜に行われる結婚式の準備を手伝うためだった。そこで、やったことのない、結婚式の間の音楽を流す役目も果たさないといけない。

 音楽担当とっても、しかるべき、タイミングで、みんながよく知っている結婚式のときに流れる音楽を店のスピーカーからスマートフォンを操作して流すだけだった。

 どういう風の式をするかは、ほぼ、つのしかさんから説明はされていない。ただ、彼女はぼくへいった、なんとなるときはなるし、ならなかったときは全滅だ、と。

 なにひとつ、心の支えにならないコメントだった。勇気を与える気はなかったのだろう。

 とにもかくにも、巻き込まれて、莫大な不安を抱えつつ、ぼくはエレベーターへ乗り込む。

 上へのぼるボタンを押した。

 まったくもって、つのしかさんは、一緒にいるだけで、人生未曾有の体験をさせる。とんでもない冒険の巻き込まれた気分だった。そう思って、少し笑ってしまった。

 でも、そのとき気づいた。押したけど、エレベーターが動かない。そもそもドアが閉まらない。

 故障なのか。ああ、こんなときに。

頭のなかで嘆きながら、ぼくはエレベーターを降りる。非常階段へ向かった。ひさしぶりに使う。

 急ぎだったし、階段を駆けあがった。少し前まで、屋上へ続く七階へ行くときは、必ず非常階段をつかっていた。いまは、屋上へあがることはなくなったし、七階へエレベーターを使っている。ただ、今日は、つのしかさんの陰謀のために、階段をのぼっている。

階段を上り切る頃には息がすっかり乱れていた。オンライン授業で、あまり運動していないし、完全な運動不足だった。

 ぜいはあ、と息を乱しながら、通路の立て看板を見る。

 いつもは、本日のおススメは、レギュラー珈琲と書いている看板だった。

 そして、今日も、本日のおススメは、レギュラー珈琲と書いてある。

 不動のおススメだった。意志のつよい店だった。そういうところが、ほんとうに、見どころがあるよ、つのしかさん。

 店の扉はストッパーがつけてあって、開けっ放しになっていた。見慣れない『welcome!』と書かれ、メッセージが添えられた看板が設置してある。

 ぼくは、肩で呼吸しながら、壁に手をつきつつ店の中へ入った。店内へ向かう通路を進む。

 通路の途中にある扉のない部屋を通りかかったとき、その部屋につのしかさんを見つけた。

他には誰もいない。部屋にはトルソーに準備された白いウディングドレスと、大きな姿見鏡が用意されていた。

 そこで、つのしかさんは、白いウディングドレスの後ろに立ち、姿見鏡で、自分を見ていた。

 鏡には、ウェディングドレスを着たみたいな彼女の姿が鏡に映っている。

 そして、彼女はぼくに気づいた。

 しばらく、なにもいわず、やがて笑った。

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そらからそらに サカモト @gen-kaku

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