そらからそらに(8/9)

 翌日の夕方。

 エレベーターへ乗り込んで、店へ向かう。

 本日のおススメも不動だった。レギュラー珈琲。

 昨日は、あのまま店であの女の人たち三人によって、畑木さんの彼氏さん、というか、だんなさんとの馴れ初め話で盛り上がり、けっきょく、テラス結婚式について具体的な話は発生しなかった。

 夜も遅くなりつつあって、ぼくは、すきを見て店を出た。いつの間にか、その場からいなくなるのは、得意な方だった。そういえば、パーティーをこっそり抜け出せるのは、才能だ、と、どこかで聞いたことがある。

 でも、つのしかさんだけには、ずっと捕捉されていた。見られていた。

 引き留められなかったのは、彼女の気遣いか、それとも、用済みでパージされたのか。

 いや、だいたい、あの場にぼくがいる意味があったのか。あの場での、じぶんの存在意味を問う。

 そんな、おおよそ二十三時間前くらいのことを思い出しながら、店の中へ入った。

今日も、この時間帯にはお客さんは誰もいない。たぶん、ここ二日間、ぼく以外にお客さんが店に来たことが、特殊だった。奇跡の二日間だった。

 だから、経営難。

 まあ、そうなる。

 つのしかさんは、こちらに背を向けて店に立っていた。一枚ガラスの向こうにある、テラスと、その向こうに広がる町、川、それからまた町を見ている。

 背筋が伸びた人だな、と、背中を見ながら、いまさら思った。ボブカットは、後ろから見ても、ハンサムさがある。

 ぼくが店に入ったとき、いつものように、扉にくくりつけた鈴がなったはずなので、彼女は、テラスを見たまま動かない。

 声をかけてようとした。

 いや、ワナの可能性もある。

 でも、ワナでもいいか。

 考えて「つのしかさん」と、名前を呼んだ。

「おっと」

 すると、彼女は、小さくそういって、振り返った。いつも見ているからわかる、ちょっとだけゆだんしていた。

それから「いらしゃいませ」と、いって「今宵も御贔屓で」そう続けた。

「はい」と、返事をしてしまう。

 そして、つのしかさんは「ゆだんしてました」白状というか、告白というか、そんなことを言う。

「ゆだん、とは」

「いえ、来店の鈴がなったので、ガラスに映る自分で、髪型と化粧のチェックを。いつもは一瞬で終わらせています、今日は、おやまあ、髪が伸びたな、わたし、などと思ってしまったら、チェックが長時間化を」

 そう話され、ぼくはつのしかさんの髪を見た。そういえば、少し長い気がする。

 ぼくは「しっかりしてますね」といった。いった後で、これは適切な回答だろうか、と考えてしまった。

つのしかさんは淡々とした感じで「ご注文をどうぞ」と、うながしてくる。

「あの、珈琲をお願いします」

「それは、お目が高い」

 そう彼女はいって、カウンターへ向かってゆく。

 なんか、ちょっとヘンだった。

 まあ、いつもこんな感じか。どうなんだ、微妙な印象のラインだった。

 つのしかさんは、いつも微妙だ。

 いや、それは悪口では。

 自問自答しながら、ぼくはテーブルについた。スマホを取りだそうとして、やっぱり、やめた。いまは、珈琲をただ待つだけにする。ぼんやりとしているだけだけど、待っている間、たいくつな時間は一秒もなかった。

そういえば、この店では、たいくつな時間を過ごしたことがない。

 そんなことを思っていると、つのしかさんが珈琲を運んで来た。音もなく、テーブルに置く。

「あの、つのしかさん」

「はい」

「いま、忙しいですか」

「お客がきみだけの状態のこの状態で放つことで、一種、攻撃力ある問いかけて仕上がってますよ」

「すいません」

 あやまり、見返す。怒ってはなさそうだった。

「経営難の件は、どうなしましたか。あれから」ぼくは、珈琲を手にしつつ、なんとなくカップで、顔のはんぶんを隠すようにして聞いていた。「経験難からの、コンボで、テラスで結婚式になった件のその後は」

「気になりますか」

「はい」ぼくはうなずき、見返した。「気になってます、あの物語の結末は、どうなったか、みたいな感じで」

 と、いった後で、言い回しのあざとさに、少し恥ずかしくなる。

 でも、つのしかさんは、ひやかしたりはしなかった。

「いぜん、畑木さんは彼氏さんとこの店に来店なさりました」

 そういって、つのしかさんはエプロンのポケットに両手を入れた。

「そのときに、聞こえたんです。あの人が結婚することと、その結婚が急に決まったことも。彼氏さんの海外への転勤を機に、結婚するだと。そのため時間の猶予もなく、結婚式はすぐにはできない」

 そういう経緯があったのか。うん、きいていない。

 そして、大人の世界の経緯だ。きいただけで、なぜか、緊張してしまった。

「畑木さんは、この町にずっと暮らしていたそうです、人生で大事にしたい思い出を、この町でつくられたそうです。お知り合いも多くいたそうで、だから、この町の人たちにも、お別れもしたかった」

「お別れ」

「わたしはそこへつけ込みました。結婚式です。心の隙間を、狙いました」

「なんか言い回しがやつけられる側になってますよ」

 そこは教えておいた。

 でも、つのりかさんは怯まない。

「この店は、いつも空いています。空にちかく、カラなのなのです。なので、すぐに結婚式会場として使えます。この結婚式をすれば、畑木さんの知り合いだというこの町に住む人がお客さんとして来るので、店の宣伝にもなります。結婚式としてのお祝い、かつ、お別れ会でもあるので。多少の割り増し料金に設定したところで、もはや、入れ食いです。経営難からもとりあえず、逃れられるはず」

 しっかりしている。

 いや、しっかりしているという評価でいいのか。

「畑木さんの結婚式は、今週の金曜日の夜に決まりました」

「というか、明日んですか」

「畑木さんと彼氏さんの気が変わるまえに実行します。逃がす気はありません」

「あ、でも、ドレスとか」

「ゆだんはないです」

 つのしかさんは言い切った。

「昨日、店にいらした三名の女性のお客さんは、ファッション系の学校に通う学生さんなんです。少し前から、あの時間帯に、よくうちの店に来るようになりました」

 そういえば昨日、ぼくはいつもより遅い時間にこの店に来た。なるほど、ふだんは時間がズレてたから、あの人たちと初遭遇だったのか。

「しかも、あの三人のお客さんたちは、いままさ、学校でウエディングドレスの制作授業をていしと聞きました」

「盗み聞きですか」

「聞こえてしまったものは、しかたない」

 どういう立場からの発言かわからないが、つのしかさんはそう言い切った。たぶん、そのあまりの潔さに、いろいろな感情を誤魔化されてしまっている。

「あのお客さんがちょうど制作していたドレスをかりることで、ドレスは確保しました」

 肩をすくめてみせる。あ、そういう動きもするんだ、この人。

「あの、つのしかさん」

 と、ぼくは呼びかけた。

「はい」

「すごいですね」

「でしょ」

 つのしかさんは、あっさり肯定した。

 でも、それから三秒ほど経ってから、少し顔を赤くする。時間差で、はずかしくなったらしい。

「と、いいますか」すると、彼女は空気の停滞を吹き飛ばすように話はじめる。でも、無理に、声を張ってはいない。するりと、こぼすように「ずっと思っていたの、わたし、いつかここで、あのテラスで結婚式しよう、って」といった。

 そして、テラスを見る。

 広いテラスの向こうに、夕陽があって、町が広がっている。川を挟んで、その向こうも町が続いていた。

「できるな、って思ってたから。この空にちかい場所、ここで」

 テラスを見る、つのしかさんの表情を見てみたかった。でも、ぼくもテラスへ顔を向けていた。

 ただ、うっすらだけど、一枚ガラスに彼女の顔が映っているのが見える。

「というわけで」

 ふと、つのしかさんが仕切り直すようにいった。

「あとは、飲みの問題をなんとかしないと」

「飲み物」

「わたしは未成年なので、お店でお酒は出せません」

「あ、なるほど」

「そのため、結婚式に出す飲み物は珈琲のみという、特殊な状況へ持ち込めるよう、これからトンチを編み出さなければいけません」

「そこはトンチって意識なんですね、問題解決の方向は」

「料理はサンドイッチで乗り切ります、がんばって、はさんではさんで、大量にはさんでゆきます」

「がんばってください」

「あと、明日の結婚式の参加協力をお願いします」

 ぺこりと、お辞儀をしてくる。丁寧だった。

とはいえ「え、そ、ぼくも」と、怯んでしまった。

「音楽担当です」

 そうなのか。

 いや、音楽にくわしいとか、いったことがないけど。

「採用基準に経験の有無は考慮しない」

 あこのひと、こころをよめるのかな。アルバイトの採用説明みたいなコメントを寄せきた。寄せられても困るだけだけど。

 あれこれあって思って見返すと、つのしかさんはテーブルへ置いた珈琲を手で示した。

「さあ、のんでおごり」

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