そらからそらに(7/9)
翌日はモニター越しの世界の授業を終えた後、続けてモニター越しの部活集まりに出た。世界中に散らばった部員たちと文芸部のこれからについて話す。議題は白熱した、雑談はより白熱した。気がついたときには、ずいぶん長い時間が過ぎていた。
部活を終えてから自分の部屋を出てリビングに行くと、部屋なかはすっかり暗くなっていた。完全な夜だった。とりあえず、カーテンを閉めて家を出た。
エレベーターへ乗り込む。
いつもより、店へ向かう。かなりズレ込んでいた。ふだんは、むしろ、このくらいの時間帯に、店を出ている。
店には平日にしか行かない。それも必ず毎日に行くわけでもなかった。
でも、昨日、つのしかさんは、名案の発表は明日、とかいっていた。
ああ見えて張り切っていたし、きかないと、ふびんな気がして、ぼくは上昇するエレベーターで店へと向かう。
七階につき、立て看板を見る。昨日とは違う筆跡で、今日のおススメは、レギュラー珈琲と書かれていた。
まあ、よし。
と、心でうなずき、店の扉をあける。からんからんと、鈴がなる。
長い廊下を歩いて店内へ入る。今日も、お客さんは誰もいない。広々とした店内に、ぼくしかいない。店の中が、がらん、としているのは、見慣れた光景だった。
ゆえに、経営難。
まあ、うん。
つのしかさんの姿はどこもなかった。でも、どのタイミングで、どこから出現するのか不明なのでかるく警戒しつつ、とりあえず、ぼくはいつも席に座った。
一枚ガラスの向こうにあるテラスは、とうぜんだけど、今日も広々している。ドッチボールくらいならできそうだった。
そこへ、つのしかさんがやってきた。
「では、名案の発表です」
ああ、昨日の正式な続きなんだ。しかも、いきなりだ。
「その前に、注文はどうしましょう」
「珈琲をください」
「かしこまりました」
おじぎをして、つのしかさんはカウンターへ向かった。今日も、ヘルメットみたいにつやつなの髪だった、化粧にもすきがない。そして、やはり、店とお客さんの関係はどこか保っている。
ほどなくして珈琲が運ばれて来た、彼女は、音もなく、テーブルの上にそれを置く。
「さあ、のんできいて」
テーブルのそばに立ち、三白眼で斜め上から見下ろされた。
ぼくは斜め上を見上げる。
「名案の件ですね」ぼくはそう訊ねた。
「どきどきしてますか」
「してないです」正直に答えると、つのしかさんの三白眼を細めたので「あ、してます、なんか、もう、どきどきしてて、心臓が異音をならしてます」と、彼女から、必死に人気をとろうとそう口走った。
「心臓の異音な病院へ診察した方がいいです」
本当に心配されたのか、冗談なのかは不明だった。
いやいや、冗談だ。そう、冗談さ。つのしかさんジョークだ。
そう言い聞かせているじぶん、ってなんなんだろうと、考えなくもない。
「それで、名案とは」ぼくがうながすと、彼女はまた、遠くを見た。
ただ、よく見ると、遠くを見ていたわけじゃない。テラスを見ていた。
「愛です」
「愛」
「愛で、お金を手に入れます」
さらりといってきたぞ、つのしかさん、さらりと。
さらりとだったけど、見逃すには、ちょっと、ピーキー過ぎた。
ぼくの頭がバグりかけている間も、つのしかさんは話を続けた。
「気づきました、うちの店のテラスが、お留守だって」
「テラス」
「そこにすべての答えはあったんです。金脈が」
そう告げられ、ぼくは一枚ガラスの向こうに広がるテラスへ視線を向ける。
広いテラスには、二席だけしかない。あとは、ただ、コンクリートの平地があって、柵で囲ってある。その向こうには、町があって、川があって、川の向こうには、さらに町が続いて、空には夕陽があるだけだった。
テラス。このテラスに、金脈。
ぼくは、珈琲を一口含んだ。
いつもの味で、落ち着く。
「あると思えませんが」
「あると思ってください」
よくわからないけど、圧のある言い方で返してくる。
「あの、つまるところ」と、ぼくは発言意図の開示を求めた。「どんな事件を起こそうとしてるんですか」
「ご紹介します」
問いかけに対して、彼女が予測不能な展開を仕掛けてくる。
そして、つのしかさんは店の端へ歩いてゆく。そのときになって、ようやく気がついた。店の端っこの席にお客さんがいた。女性のひとだった。つのしかさんはその人へ近づき、何か声をかけた。すると、女の人は、少し、おどおどしながら立ちあがる。
抑えた色合いの服装をしていた、たぶん、社会人で、表情にはどこか影がある。
見たことのないひとだった。
あ、いいや、ちがった、見たことはある。そういえば、昨日、つのしかさんが名案発表うんぬんと言っていたときに、店に来た男女のお客さんの女性の方の人だった。
大人の女の人の年齢はよくわからないけど、たぶん、二十五歳くらいの人だった。 最近、映画で脇役とかで見る、ある有名な女優さんによく似ている。もちろん、本人じゃない、似ているだけだった。
「この方は畑木さんです」つのしかさんがぼくへその人を紹介する。「うちの店の、お客さんです」
紹介され、向こうも慌てて頭をさげてきた。ぼくも慌ててたちあがる、で、少しテーブルに膝をぶつけつつ、頭をさげた。
「じつは」
つのしかさんが独走気味に話を展開させてゆく。
ああ、畑木さんに対し、ぼくの紹介はないんだな。忘れられたのか、作為によってカットされたのかは、さだかではない。
「畑木さんは、いま、愛の問題を抱えていらっしゃいます」
「え、いや、あ、あの!」畑木さんが、わかりやすくあたふたした。あきらかに困っている、挙動がおかしくなっている。「そ、そうではなく!」と、ついにはつのしかさんの両肩をつかんでゆする。
ぐわんぐわんと、つのしかさんは左右に振られ、おかっぱも乱れる。
ぐわんぐわんと、揺らされているといっても、小学校低学年の女子同士の戯れ程度のアクションではあった。
なんだか、なつかしい感じもある。
つのしかさんは、すっと、動いて、畑木さんの揺らしアタックから、逃れた。
間合いをとる。合気道の達人みたいな動きだった。
つのしかさんは「化粧が崩れますので」といった。
それが、いちばん嫌だったのか。そして、副産物的に、揺らすと崩れるような化粧をしているんだという、ミニ情報も入って来た。
「畑木さん、どうぞ、おかけください」つのしかさんが着席をうながす。。
畑木さんも、けっきょくは素直で「え、あ、はい」といってうなずき、ぼくの前の席に座った。そして、ぼくも座った。
すると、つのしかさんはぼくたちのテーブルから離れていった。なんだろうと思って見ていると、畑木さんがさっきまで座っていた奧のテーブルから、畑木さんが注文していたらしいアイス紅茶らしきグラスと、お冷をトレーへのせている。こっちのテーブルへ運ぼうとしているようだった。
でも、こっちテーブルでは、よそよそしい沈黙の対面時間が流れていた。お互い、知らない人同士だし、ましてや、相手は大人の女の人だった、無条件に緊張してしまう。これまで母親か、学校の先生くらいしか、大人の女の人と話す機会が人生ではなかった。なにを話していいのかわからないし、どういう言葉で話かけていいのかもわからない。
ただ、畑木さんの方もかなり緊張しているみたいだった。ふたりして、基本的には目を合わさないようにしつつも、ちらりとは見て、でも、そのちらりが、事故的にぶつかって、目と目があって、おびえたように、すぐに視線を外し合う。
お互い、余裕がない。とにかく、ぼくたちはつのしかさんがやってくるを待った。ただ、彼女は丁寧で、畑木さんのテーブルにあった、おしぼりを新しいものへ交換するため、一度、カウンターへ向かった。
彼女の仕事への高い意識によって、ぼくたちのよわい魂が削られる時間を増量させてしまう。
一枚ガラスの向こうのテラスは、完全に夜になっていた。ぼくがなんとなく、そちらへ顔を向へいると、畑木さんも自然とテラスへ視線を向けた。
しばらく知らないひとと、同じ夜を眺め合う。やがて、つのしかさんが、畑木さんのテーブルにあったアイス紅茶のグラスと、あたらしいおしぼりを持って、テーブルへやってきた。
音もなく、テーブルへ置く。
それからつのしかさんはいった。
「会話が弾んでましたね」
「幻聴だと思います」
「冗談です」
つのしかさんは、ボブの毛先を揺らし、少しぼくをのぞき込み気味にしていった。それから、姿勢を正し、口をひらく。
「ここから冗談ではありません。経営難ですから」
重い話のなるのか、そうじゃない話のなるのか、わからないコワさがある宣言だった。
そして、つのしかさんがさらに口をひらこうとした、そのとき、店の扉の開閉を知らせる鈴がなった。すると、つのしかさんは「お客さんが先です」といって、その場を離れて、接客へ向かう。
わたしも、お客さんですよ。
ぼくも、お客さんだよ。
向かいに座る畑木さんの心の声がきこえたし、たぶん、ぼくの心の声も、向こうにきこえた。
来店したのは女のひと三人だった。歳は同じような感じで、たぶん大学生っぽい。
小柄で笑顔のひとと、のっぽで髪の長い人、ふわふわした髪型のひとたちだった。みんな、服装の趣味も、カバンは、トーバック、皮のバック、リュックサックと、みんな持ち物がちがう。
「いらしゃいませ」と、おじぎをして続けた。「ただいま込み合っておりまして」
言われて三人のお客さんが店を見る。
どう見ても、ぼくたち以外にお客さんはいない。閑散としている。
なにが、込み合っていのだろう、という表情をされた。とうぜんだった。
そこへ、つのしかさんが言い放つ。「愛の問題で、込み合っております」堂々とそれを言う。さらに告げる。「もしよろしければお客さまも、愛の同席、してみますか」
こうして、新規の客さんたち、三人がぼくたちの席へ合流した。
「え、え、ねえ、どういうことなんですか?」向かいに座った小柄な女の人が、食い気味で聞いて来る。「なんなんでですか、愛の問題って? ねえ!」
すべては、つのしかさんの発言のせいだった。
その人たちは恋愛話が大好物らしい。さながら人気商品の問い合わせみたいな勢いだった。
「え、なにをですか、え? え? ど、ど、どう、愛にどうモメてるんですか?」
ぐいぐいと聞いて来る。その口の端にあるのは、よだれ、だろううか。
とにかく、興奮している。
他のふたりは、とりあえず先陣をその女の人に任せているようだった。静観を感じる、クールを装っているけど、けど、いや、いざとなったら、自分たちも飛び出すからさ、という心の宣言が、妖気のようになって漂い、うかがいしていた。
つまり、三人とも、愛の戦闘員らしい。
いや、愛の戦闘員って、なんだろう。
とにかく、三人さんは、つのしかさんの放った、愛の問題、愛の同席、という、自由放埓的なキーワードに捕まって、そのままぼくたちのテーブルへ同席となった。
もっとも、四人掛け席に、いまは椅子を運んで来て、むりやり五人で座っている。
しかも、つのしかさんは三人の注文を取ると、丁寧にお辞儀をして、またカウンターへ行ってしまう。
そして、ぼくは四人の女のひとたちに囲まれていた。しかも、まったく知らない人たちだった。
畑木さんはというと「あ、ああう………」と、小柄な女の人からの、愛もモメごとについて、漠然とした問いを投げられ続け、挙動不審になっていた。
たぶん、こういえた。いまここは、畑木さんが望んだ未来図じゃない。
完全につのしかさんがクリエイトした状況だった。そして、ぼくたちは見事に途方に暮れている。ゴールがみえていない。
待つこと、五分。つのしかさんがプレートに、カフェラテ二つに、スケルトンの紅茶のポットを持ってやってきた。それぞれを三人の前へ、音もなく置いてゆく。
ぼくはお客さんへ飲み物を運び終えたのを見計らって「あの、つのしかさん」と、声をかけた。
「はい」
「できれば、責任をとって、この大会の、司会を」
すがるように頼む。彼女はほくそ笑んだ。ほくそ笑み、とネットで検索したら、そういう画像が一番で出てきてもおかしくない、そんなほくそ笑みだった。
ああ、そうなんだね、わかってて、やってるんだね。
まあ、それはそれで、つのしかさんらしくて、あらきめがつく。
彼女、そのほく笑みを消してから口を開いた。
「ご来場の、みなさん」
凛とした声で呼びかける。みんな、口を閉じて、彼女へ注目する。
「ここにいらっしゃる畑木さんですが、おととい入籍されました」
また急に、どう反応していいかわからない情報を投じてくる。
でも、少し間があいた後、小柄な女の人が「はっ!」と、正気に返ったような声を出し、つぎには「拍手だあ! あんたら!」と、声をあげて、拍手しだす。その勢いは、鋭く感染して、ぼくたちも拍手した。勢いあまってか、当人の畑木さんさえも拍手している。
そして、つのしかさんを見ると、抑揚のない声で「いえーい」と両手を畑木さんへ向けて、タッチをしかけている。そして、たどたどしくタッチさせる。
よくわからないけど、いまのところ、畑木さんの負担は大きい。
ぼくは、とりあえず、大人がよくやっているうように「あ、あの、おめでとうございます」と、頭をさげた。誰かの結婚のお祝いを口で述べたのは、はじめてだった。
畑木さんは、あわてて、頭を下げ返してくる。
そうしているうちに、拍手はやんでいった。
静寂になる。
なんだろう、瞬間湯沸かし器みたいに盛り上がったせいか、静かになったのが、よけい、さびしく感じてしまった。
それから、ほぼ同時に、畑木さん以外は、で、といった感じで、つのしかさんを見た。
「しかし、結婚式はされないでそうです」
つのしかんがそういうと、今度は、畑木さんへ顔を向ける。
「しかし、畑木さんは結婚式がしたいそうです」
と、つのしかさんが言うので、彼女へ顔を向ける。
テニスのラリーの試合観戦みたいな首の動きをしてしまう。
すると、つのしかさんは、店の一枚ガラスの向こうにある、テラスへ三白眼を向けた。
テニスコート一枚ぶんくらいの広さがあるテラスの向こうでは、もうとっく、陽が沈んでいて、空には夜がきていた。
「うちのテラスは、広い」
と、一言。
それから。
「広いので、うちのテラスで畑木さんの結婚式を開催することにします」
その発表を聞き、頭のメモリ不足を起こしたというべきか、とにかく、すぐに反応はできなかった。
畑木さんはうつ向いているし、他の三人のお姉さんたちも、あれ、これは、え、どういうー、あー、ええっと、と正解のリアクションはなんだろうと、うすく戸惑って、顔を見合っている。
そこで、ぼくは「あの」と、声をかけた。「つのしかさん、もしかして経営難の解決方法って」
「はい、この店で、ここで結婚式をして、たくさん人を呼んで、その流れで、そのたくさんのお客さんたちに飲ませて、食べさせて、稼ぐ作戦です」
満を持しての発表なのか、雑な目論見を堂々たる自信でぶつけてくる。
しかも、搾取しようとしている、畑木さんがいるそばでそれを言う。
「それに畑木さんも、もし結婚式が出来るなら、この店でやってくださってもいいと」
つのしかさんの話を聞き、ふたたび、畑木さんへ注目が集まる。
畑木さんは、無言のまま、うなずいて口をひらいた。
「あ、あの、わたし、結婚式そのものを、もうしないものだと思ってあきらめていたので、もしも、できるなら、このお店でもいいと思っています、だって、なにもしないこととは、ぜんぜんちがいますから」
そうなのか。畑木さんは、いいと思っているのか。なら、よかった。
ぼくはテラスを見た。そういえば、小さい頃、親戚の人の結婚式に出たことはあった。けど、その時は、ホテルの大きな広間だった。それにくらべれば、テラスは小さいけど。でも、なんとなく、小規模の式なら、出来そうな広さには思える。
「それ、いいじゃないですか!」
不意をついて、小柄な女の人が声をあげた。続けて、他のふたりの女の人も、激しく同意した。
今日会ったばかりの人からの、その祝福の勢いに、畑木さんは一瞬、目を丸くした。でも、だんだん、はずかしそうに顔を赤くして、それでも、かすかに「ありがとう、ございます」と、お礼をいった。
「テラスで結婚式なんて、素敵じゃないですか! 空に近いし!」
小柄な女の人が、さらに盛り上がる。
つのしかさんを見ると、ちょっとだけ、口もとに笑みがある。
でも、それがちょっと、不敵な笑みだった。ふふっ、といった感じの。
そこで想像してしまった。もしかして、つのしかさんが、この三人のお客さんを、ここに同席させた狙い、それは。
それは、この店のテラスでの結婚式をするというアイディアを第三者に肯定させることで、畑木さんに、おお、これはすごくいいアイディアだと思わせることなんじゃないか。
つのしかさんのことだ、とうぜん、どんな人だったら、巻き込んで、この場でテラス結婚式のアイディアを、手を叩いて肯定してくれるか、見極めていたにちがいない。
観客をつくることによって、じぶんの有利な試合をつくる。
やるな、つのしかさん。
ぼくは、ごくり、と喉を鳴らしてしまった。
そして、いま、つのしかさんは一枚ガラスにうつるじぶんを見て、指先で髪型の位置を修正していた。
ハンサムボムのメンテナンスにも、ゆだんをしない。
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