そらからそらに(6/9)

 珈琲をテーブルへ運んで来た、つのしかさんは「莫大に不景気なことを考えていますね」

といってきた。

 まあ、こうげき、だった。

 彼女の頭脳をつつむボブカットの表面は、今日もまた鋭く輝いている、つるつるだった。そして、差し向けてくる三白眼には遊びがなく。化粧も完璧だった。

 ぼくは目をそらし「いいえ」と、顔を左右に振った。

 彼女は追及をせず、珈琲をテーブルへ静かに置く。小さな音すら立てない置き方だった。

「さあ、のんでそうだん」

「そうだん」

「経営難です」

 と、ふたたび、そういった。それから続ける。

「作成会議が必要です」

「作戦会議ですか」

「ええ」

 といって、つのしかさんは遠くを見た。大きな一枚ガラスの向こうには、広いテラスが広がっている。その向こうには、町が広がり、川があって、さらに町がどこまでも続いている。

 夕方の空は、沈むゆく太陽によって、オレンジ色になっていた。そのため、ぼくもつのしさんも、同時に、少しオレンジ色になっている。

 つのしかさんは、じっと、夕陽を見ていた。ぼくも、つられて夕陽を見ていた。

そしてぼくは、珈琲を口に含んでからきいた。

「経営難なんですね」

「はい、お金があえば解決できる問題、それが経営難です。そう、お金さえあれば」

「うん、でしょうね」

 そういわれた。でも、ぼくには優れたコメントが思いつけない。ふんわりとした感じで返すことがせいいっぱいだった。

 いやでも、たしかに心当たりはある。そう、このカフェは常日頃から、お客さんがあまりいない。

 むしろ、平日、夕方のこの時間には、ぼくしかいない。いや、他のお客さんがいることも時々あるし、そう時々、入って来る。

 でも、少ない。

 そして、簡素に想像できるその理由は、まず、このカフェは、マンションの七階にあって、一階には、店の看板すら出していないからではないか。そうなると、なにも知らず、地上を歩いている人が、ああ、ここにカフェがあるな、と気がつくこともない。

 それに、このカフェはネットの検索でひっかからない。何度か検索してみたけど、まったくでてこない。お客さんがこの店については、拡散している痕跡もないし、そもそも、拡散されていないのは、お客さんの総数が少ないこと関連しているとしか思えない。

 とにかく、この店が儲かっている印象はない。

 頭のなかで、断言してしまる。すると、つのしかさんは、まるで、こちらの思考が文字情報として読めているかのように、じっと目を見て来た。

とりあえず、ぼくは目をそらす。

 そして、考えた。ぼくは平日の夕方、毎日のようにこの店に来ている。でも、ぼくがこの店で頼むのは珈琲一杯だけだった。両親からの支給される自由資金の範疇では、珈琲一杯が限界でもあった。一杯の珈琲でも、ぼくには出費としては巨額だった。

 なら、いかなる手段を行使してでも、お客さんをたくさん呼べばいいのか。

 となると、最初はぼくの知り合いに声をかけてみるのが手っ取り早い。

 ところが、ここでぼくの生活事情が少し絡んでくる。ぼくは、高校生ではある。けど校舎には通っていない。授業のほぼすべてはオンラインで受けていた。生徒は世界中にいて、同級生も世界中に散らばっている。というのも、中学校を卒業するとき、ぼくは地元の高校ではなく、オンライン上の高校を選んだ。そちらの方が、心が躍れるような気がした。

 なので、同級生をこのカフェを紹介して、お客さんとして来るように誘おうと試みたところで、みんな、遠くにいるし、売り上げに貢献させるには難しい。

 いや、中学校時代の友だちへ声をかけてもいい。でも、お互い、あたらしい高校生活もそれなりに過ごしてしまっているし、向こうもそちらに人間関係ができているだろし、少し疎遠になっている間隔は否めず、うまく誘えるかどうか。

 ちなみに、ぼくは授業のすべてを自宅で受けているで、学校へ向かうための移動がなく、交通費もかからない。そのため、両親は、お小遣いを多めにくれていた。そして、その多めになったお小遣いで、この店に通っている。

 親孝行、しなきゃ。

 いずれ。

 というか、名案が思い付かない。

「つのしかさん」

 テーブルの横に立っていた彼女へ声をかける。

「ぼくは無力だ」

「それはそれとして」

 うん、ぼくの無力告白に対して、それはそれとして、という、流し方は、気を使ったんだろうか。いや、そうじゃなく、ただ、めんどうそうだったから訊き返す手間を惜しんだのか、どっちだ、つのしかさん。

 そんなぼくの内部の葛藤をよそに、つのしかさんは言う。

「名案を思い付きました」

「名案」

「経営を回復させる特効薬となるアイディアです」

「きかせてください」

 従順な生徒になった気分で、つのしかさんへ話の続きを求めた。

「愛の商品化です」

 そういわれて、五秒くらい考えた末。

「さたに、きかせてください」

 けっきょく、理解できず、先をうながす。

 すると、つのしかさんはいった。

「この先を教えるのは有料になります」

 ぼくは、しばらく固まった。それから彼女へ「つまり、その名案をぼくへ有料で教えることで、利益をあげ、経営を正常化へもってゆくということですか」と、言った。

「冗談です」つのしかさんは、真顔でいった。「冗談だと、わかったほしかったです」

「ごめんなさい、難易度高くて。ぼくは無力なあまりに」

 謝罪しながら、これは何の謝罪なのだろうかと、自問自答すた。

 そのとき、店の扉が開いた、鈴の音が鳴る。

 廊下を通って、男女の人の二人組のお客さんが来るのが見えた。ふたりとも、ファッションサイトで見るような、お洒落な服を着ていた。どう見ても社会人だった。

 この時間帯、店内のお客さんは、高確率でぼくしかいない。でも、他のお客さんも来る時は来るし、いるときはいる。

 つのしかさんはやってきたお客さんへ丁寧に「いらっしゃいませ」と、お客へ声をかけた。

 ぼくへは三白眼を向けた。

「というわけで、名案の発表は明日」

 こちらにも丁寧におじぎする。おかっぱ頭の前髪を下へさげ、そして、持ち上げて、来客の対応へ向かった

 明日も、ここに来て珈琲を注文して、はじめて、名案を知るとするなら、けっきょく、それは有料といえなくもない。

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