番外編 踏み台令嬢の妹・7
卒業パーティーから、今日まで――長期休みを含めて約3節ぶりの学校。
既にお姉ちゃんの過剰な悪評は取り払われて、私はヒソヒソされるような立場じゃないのは分かっていたけど――
「ウィロー嬢、この度は散々でしたわね」
「心配しておりましたのよ」
『田舎の男爵令嬢』であり『踏み台令嬢の妹』でもある私が『侯爵の義妹』になった途端、次から次へと人が声をかけてきた。
あからさまな態度の変化は、怒りを通り越して呆れるくらいだった。
「ウィロー嬢、前々から君の事はずっと気にかけていたんだ。戻ってきてくれて嬉しいよ」
「真実が明らかにされた今、ようやく君と話せる事が出来て嬉しい。今度、食事でもどうかな?」
本来なら私なんかが話しかけられる事がなさそうな、裕福な伯爵家の美しい人達からも声をかけられるようになったけど――その心配そうな表情も、笑顔も、全部白々しくて虫酸が走る。
その人達の後ろで悔しそうな視線や気まずそうな視線を向けてくる人達の方がよっぽど好感が持てる。
(まあ、私はお姉ちゃんとは違うからここで悪態ついたりしないけど)
それでも、すり寄ってくる人達と会話をし続ける気にはならなくて。
「皆様、私の事などお気になさらず。確かに姉は悪党に弄ばれ悪評を流されましたが姉の性格と態度が悪かったのは事実ですし、そのうち侯爵様から愛想を尽かされるのが目に見えています。今まで通り、私の事は捨て置いてくださいませ」
そんな私に怪訝な視線を向けてくる人もいたけど、今の私にはもうそんな視線に傷つかない。
物を盗まれたり、明らかなイジメが起きた時は侯爵様に言えばいいし。
思う所があるのか気まずそうな顔をしてる人もいるけれど、表立って謝ろうとする人はいない。
裏でこっそり謝ろうとする人にも感心できない。皆、自分の名誉が傷つかないように侯爵の義妹に接触してこようとしているのが見え見えで。
(……お父様の言う通り、上位貴族と私達は確かに合わないのかも)
そんな事を思いながら授業を終えて――私はすぐさま図書室に向かった。
プラムさんは以前と同じように、カウンターにいた。
新しく入った本だろう、目の前に積まれた複数の本を確認しながら書類に書き込んでいて私には気づいてないみたいだ。
「こんにちは、プラムさん」
「ウィロー嬢……! お、お久しぶりです! お体は大丈夫ですか?」
驚いたプラムさんがちょっと可愛くて、続く温かい言葉に胸が暖かくなる――けど、何だか違和感がある。
「はい。プラムさんのお陰で」
「そんな……僕は何の力にもなれていません。悪評を吹き飛ばしたのは侯爵様の力ですし」
「そんな事無いです……! 少なくとも、私が立ち直れたのはプラムさんのお陰です! 本当にありがとうございました。それで、あの……お借りしていた三冊目の本、返しに来ました」
「……ありがとうございます」
ああ――違和感の正体、分かった。話し方だ。表情も、何処となく暗い。
「プラムさん、どうしたんですか? いつもみたいに気さくに」
「いいえ。もうすぐ侯爵の義妹となられる方に、今までどおりの話し方は出来ません」
「な、何で……だって、プラムさん、手紙で」
プラムさんが何を言ってるのか、よく分からない。手紙に書かれていた言葉には間違いなく、愛が込められていたのに。
その愛が、私を助けてくれたのに――
「……場所を、変えましょうか」
プラムさんは持っていたペンを置くと、近くの司書さんに声をかけて交代してもらった。
案内されたのは、書物庫――プラムさんが明かりを付けると、大きな空間に本がズラリと並んでいる。
「え、えっと……ここ、私が入って大丈夫なんですか?」
「……大丈夫です。貴方が来る事は分かってましたから、事前に学長には許可を取っています。今から僕が話す事は、周りに聞かれたくなかったので……」
閉ざされた部屋の静寂の中で、プラムさんが小さく息を吸う音がはっきり聞こえる。
真っ直ぐ私を見るプラムさんの表情は、優しい。けど――いつものような優しさじゃない。無理して表情を作っているのが分かる。
「ウィロー嬢……お姉さんの冤罪が証明されて、侯爵の義妹となる貴方には様々な縁談が来るでしょう。その縁談の中にきっと僕以上に貴方を幸せにしてくれる人がいます。どうか僕の事は気にせず、貴方自身が最も幸せになれる道を選んでください」
「な、なんで」
「僕には継ぐ家がない。何の力もないつまらない男です。それでもかつての、僕と同じ立場の貴方ならば、僕でも養っていけると思った。ですが……今の貴方と僕の立場は明らかに違う。僕の想いは、貴方の幸せを制限してしまう」
侯爵の義妹――その立場を得た私に自分の為にすり寄ってくる人達とは真逆に、プラムさんは私の為に私から離れようとしている。
本当に――本当に、この人は、何処までも優しい。その優しさにずっと私は甘えてきたけど――この優しさには甘えたくない。
「……私の幸せは、プラムさんの傍にあります。貴方が庇ってくれた時から、ずっと。それをちっぽけな幸せだなんて決めつけないでください」
「……ですが」
「プラムさんの言う通り、『侯爵の義妹』を愛する男は山ほどいると思います……! でも『踏み台令嬢の妹』を受け入れようとしてくれたのはプラムさんだけ……! 何の後ろ盾もない、素の私を受け入れてくれたのは、貴方だけなんです……!!」
「ウィロー嬢……」
「そんな風に呼ばないでください! 前みたいに、リウシュ嬢って……ううん、リウシュって呼んで! 敬語なんて使わないで!」
涙がボロボロ零れ落ちる。プラムさんを困らせたくないのに、言葉が止まらない。
「教えてください……プラムさんはどうして私の事気にかけてくれたんですか? 私の事が、好きだから、じゃないんですか? 好きじゃないのに好きにさせておいて、そんな風に突き放すんですか……!? どうし」
言いかけた口はプラムさんの胸に塞がれた。
抱き締められてる――その温かな感触に、声も涙も止まる。
「……ごめん。君をこんなに傷つけるつもりじゃなかった」
静寂が戻った書物庫の中で、プラムさんが苦しそうに呟く。そして――しばしの沈黙の後、途切れ途切れに言葉を続けた。
「…………君と初めて会った時、勉学の為に開放された場で険悪な雰囲気を作り出されたら困ると思った……サリーチェ嬢の悪評は聞いていたけど、君があれこれ言われるのは違うと思ったし、廊下で一人辛そうに歩いてる君を見かけて、せめて僕だけでも、図書室の中だけでも穏やかに過ごさせてあげたいと思ったんだ」
力なく震える声は、やっぱり、温かくて――
「……だけど君と話していくうちに、親近感を持って……君の可愛らしい姿に好意を抱くようになった。君がここで穏やかに過ごす姿を見ているうちに、このまま時が止まってしまえばと思う事もあった。そんな時にあの本を見つけたんだ」
あの本――<引き裂かれた愛>。
「……あの本を読んでいるうちに、僕は踊り子と君を重ねてしまった。君は図書室で過ごしている時は楽しそうにしていたけど、廊下や訓練場で見かける時は変わらず辛そうな顔をしていたから……僕に気を使っているだけで、本当に踊り子のように、狭い隠し部屋の生活に嫌気が差しているんじゃないかと思って……」
ああ、だから――だからプラムさんは私に、あの本を読んでほしかったんだ。
「図書室なんて、限られた場所でしか寛げないのは窮屈なんじゃないか、何故堂々とできないのかって、苦しんでるんじゃないか……そうやって、君が抱えているだろう不満はいくらでも思いつくのに、僕は君が貶されない狭い空間を限られた時間用意する事しか出来なかった。こんな男より、地位もある強い男に愛された方、が」
力強くギュッと抱きしめ返すと、プラムさんの声が途切れる。
もういい。もうプラムさんの気持ちも、苦悩も十分伝わったから――今度は、私の番。
「プラムさん……私は、図書室で、プラムさんとお喋りできて、本当に幸せでした」
「……そう言ってくれるだけで、僕は」
「プラムさん、手紙で書いてくれましたよね? 学校に居場所がなくて、もし家にも居場所がないようなら、いつでも僕の所に来てほしいって……一度言った事は最後まで貫き通してください。私はもう、貴方が傍にいてくれないと幸せになれないんです」
「確かに上位貴族に嫁げば良い生活が出来ると思いますけど……幸せとは限りません。私は贅沢より幸せが欲しい。プラムさんは地位も力もないかもしれないけど……いつだって私を幸せにしてくれるから」
ゆっくりと包容を解かれる。寂しさを感じながらプラムさんの顔を見上げると、涙を溜めた眼差しで私を見つめていた。
「……本当に、僕でいいのかい?」
「はい。それにお姉ちゃんが侯爵様に愛想尽かされたら上位貴族の人も手のひら返したように私に冷たくすると思いますし。そういう意味でも、プラムさんがいいです」
「……ああ、それは……確かに」
私の言葉が予想外だったのか、プラムさんが少し驚いた後視線をふせて――良いところだったのに微妙な沈黙が漂う。
「こ……後悔してます?」
「いや、後悔、というより……サリーチェ嬢の面倒を見きれる自信がなくて……」
恐る恐る問いかけると、プラムさんが困ったように微笑んだ。良かった。私の面倒は見てくれるらしい。
「お姉ちゃんがこっちを頼ってこないように、私、頑張りますから。プラムさんは私の事だけ考えてればいいです」
「……分かった」
落ち着いたプラムさんは改めて私が返した本と――添えられた封筒を見る。
「あ、あの、その手紙……今思い返すと、お姉ちゃんが死んだと思い込んでた時に書いた手紙で、ちょっと情緒不安定な所もあると思うので……何なら、か、返してもらっても……」
「僕は……あの状況で、この本と僕の手紙を読んで君がどう思ったのか知りたい。駄目かな?」
ううう。さっき言いたいことは言ったし、改めてその手紙読まれると本当恥ずかしい、んだけど――
「そんな風に言われたら、断れないです……」
「ありがとう……リウシュ」
ああ――プラムさんが微笑ってくれるだけで、私、本当幸せになれる。どんな贅沢でも得られない幸せが、ここにある。
うっとりしていると、プラムさんは棚から2冊の本を取り出した。<引き裂かれた愛>と<禁断の愛>だ。
「あの……その本、図書室に置くんですか?」
「いや、この本の持ち主が分かってね。本が戻り次第返してほしいって言われてるんだ」
「持ち主が……どうやって?」
話を聞くと、プラムさんは私に本を託した後、これを書いた作家について何か分からないかと末尾に記載されている印刷を請け負った商会を訪ねて調べてもらったらしい。
かなり古い帳簿には依頼主の名前は無く、大金を支払われた事、二冊ずつ作られた事、依頼者が希望した届け先の一人がこの学校の創設者である前学長だったそうだ。
「それで前学長に確認を取った所、大切な友人から贈られた物だそうで、見つかったのであれば手元においておきたいって言われたんだ」
「そうだったんですか……言おうかどうか迷ってたけど、この本は、何ていうか……凄く引き込まれる分、闇にも引き込まれるような感じがして……図書室に置くのは止めた方がいいんじゃないかなって思ってたから、良かったです」
勧めてくれたプラムさんに言うのはこんな事言うのは悪いかなと思ったけど、プラムさんも何かしら感じてたみたいで。
「……ああ、僕も三冊目は読み進めるのにかなり時間を費やしたから、君に読ませて良いものかどうか悩んだんだ。前学長が手元に戻したいと思ったのも人に見せるものじゃないと思ったからかもしれない」
この三冊の本が私とプラムさんを結びつけてくれた気もするし禁断の何かに触れたようなドキドキも含めて、良い経験をさせてもらったと思うけど――
プラムさんが抱える3つ揃った本を見てると、やっぱり図書室の棚より高貴な家の本棚が似合うと思った。
こうして、私はプラムさんとお付き合いする事になった。
16歳と20歳の婚約なんて珍しくも何とも無いんだけど、侯爵の義妹を家も継げない男に取られるのはもったいない、と思う奴らがそこそこいるらしく。
「お姉ちゃんがやらかして侯爵様に見限られたら私には何の価値もなくなるけど、いいの?」
そう言い続けると皆、押し黙り、私はまた図書室以外では一人で過ごすようになった。
でも――今はすごく気楽。嫌な人達の笑顔に合わせて笑顔を作って過ごすより、一人の方がずっと楽。
プラムさんはもちろん、お父様もお母様にサウセ――一応、お姉ちゃん。
私を心配してくれる、私を想ってくれる、大切な人達がいるって分かってるから。
こうして私は無事に卒業して、プラムさんと結婚して慎ましくも幸せな生活を送る事になる。
そうそう。『お姉ちゃんが見限られたら』って半分本気で言ってたんだけど――結局、お姉ちゃんは侯爵様と離れる事なく最後まで仲良く添い遂げた。
先に亡くなったのはお姉ちゃんで――侯爵様は後を追うように亡くなった。
「年齢差があると彼女を止められる気がしないからな……それじゃあまた、来世で」
それは残された家族を悲しませない為の冗談だったのか、本気で来世でもお姉ちゃんの面倒を見るつもりなのか分からないけど――凄い侯爵様は最後まで、お姉ちゃんの事を話す時、優しい微笑みを浮かべていたらしい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※本話にて番外編終了です。ここまでお読み頂き、本当にありがとうございました!
2人を結びつけた3冊の本のもう片方のセットが何処にあるのか……作者が誰なのか。それは本編を読み返して頂けたら分かるかもしれません。
3冊の本の作家が誰か分かった方は♥を押して頂けたら今後の参考になるのでありがたいです。
ついでに面白いと思われたら更に下の☆☆☆から評価いただけると嬉しいです……!
黄緑侯爵と踏み台令嬢~若侯爵は踏み台にされたヒドインを助けたい~ 紺名 音子 @kotorikawa
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