第10話 死にたがりの君に贈る物語

「女子高生が二人、電車に飛び込んだらしい」

「大丈夫なの?」

「新学期だからな」

「なにも、この駅でしなくても」

「だから柵をつけろと」


 大人たちの声が遠のいていく。

 自分の心臓の音だけが、こめかみを撃つように響く。


 駅員の隣で、線路を覗きこむ。このボロ駅のホームには柵がない。

 電車よりも随分離れた場所に、二人の少女が倒れていた。


「おーい! 大丈夫か!?」


 運転手が線路に向かって声をかけるが、線路で倒れている二人は動かなかった。

 ……いや、一人、長い黒髪の女子高生が少し動いた。


 生きてる


 その黒髪の少女の体を抱きかかえるようにした、ショートカットの女子高生……シーナ先生は……動かない。眼鏡はどこかに飛ばされ、頬に擦り傷が出来ている。


「あ、こらっ。降りないでっ!」


 無意識のうちに、僕は線路に飛び降りていた。

 そこは思いのほか高く、着地と同時によろけて転び、線路にしこたま頭を打つ。


「……うそでしょ? シーナ先生? 大丈夫? ……大丈夫?」


 シーナ先生は、彼女を抱えたまま動かない。そっと、その抱きかかえられたほうの長髪の少女の肩に手をかける。


「大丈夫ですか?」

「……ん……」


 ホームから「揺すってはいけない!」と声がかかる。

 そうだ。頭をぶつけている可能性がある時は揺すってはいけないんだった。


「誰か!」


 ホームを見上げ、運転手に声をかけた。


「救急車を! 早く! 生きてる!」


 急に片方の視界が遮られた。血の匂いがした。


「おい。君も、血が出てるぞ」


 さっき転んだ時に、額を切ったらしい。そう言えばひどく痛い。いや、そんなことはどうでもいい。


「……シーナさん。シーナ先生、聞こえますか? 黒岩です。遅れてすみません」


 シーナ先生の手首の脈を探すが、焦って脈がどこか分からない。首を触っても、どこに脈があるのか……。いや、脈がないのか? シーナ先生の腕や首が、僕の血のついた指の跡で赤くなっていく。


「ダメですよ? こんな終わり方は絶対にダメですから。僕もまだ見せたい本があるんです」


 こんな物語の終わりがあってたまるか!

 

 脈を探して、シーナ先生の手首を探っているうちに、もう一人の少女がゆっくりと半身を起こした。


「大丈夫か? 君が、ケイさん?」


 不意に名前を呼ばれ、少し怯えた顔で、その少女は頷いた。状況が分からないらしい。


「怪我は?」


 少女は記憶を失くした人のように、僕の顔を見つめる。

 君の記憶の中にはない。僕たちは初対面だ。


「もう大丈夫だよ。シーナ先生が守ってくれたんだ」


 その言葉にはっとしたように、横たわっている少女を見つめた。それが自分の友人であることを初めて認識したらしい。


「……椎名? ……めぐみっ!? めぐみ、どうして!?」

「だめ! 揺すらないで!」


 ビクッとその少女は伸ばしかけた手をとめ、それで全ての状況を悟ったのか、みるみるその目に涙が溢れてきた。


「めぐみっ……めぐ……うぅああああぁぁぁぁ……」


 黒髪の少女が、再びシーナ先生の胸に顔をうずめた。しばらく、地下鉄の闇に向かって彼女の嗚咽と慟哭が響いた。


 不意に、その泣きじゃくる少女の髪を、優しく撫でる手があった。


「……怪我はない?」


 うっすらと目を開けたシーナ先生は、慈しむように、ケイさんの髪を撫でている。

 意識が戻ったのだ。


 その瞬間、僕の体から力が抜けていく。緊張していた体が、急に緩んだ。


「生きてる! おい! 生きてるぞ! 全員生きてる!」


 見守る大人たちの声がする中、シーナ先生はケイさんの顔を寄せ、何かを呟いた。ケイさんは泣きじゃくり、大きな声でごめんなさいを繰り返していた。

 僕も自分でも知らない間に泣いていた。涙が止まらなくなっていた。


 救急隊員たちが目の前に降りてくることも遠い出来事に見えた。


 その後は、よく覚えていない。現実はそんなもんだ。気が抜けて呆然とする中、椎名恵と牧村佳は、担架に乗せられて運ばれていき、どこをどう通ったのか、気付けば、僕も病院だった。



  ◇



 牧村佳。シーナ先生の友人のケイさんは、ほとんど軽傷で済んだ。電車にぶつかったときか、線路に落ちた時に脳震盪を起こしたようだが、それ以外の怪我らしい怪我がない。


 椎名恵。シーナ先生の怪我は、全治三か月。落ちた時に左腕を骨折。右足の骨にもヒビが入った。それよりも頭を縫う怪我が一番、痛々しい。それでも、これくらいで済んだのは奇跡だ。一ヶ月は入院だ。

 それと、眼鏡を壊した。


 僕はと言えば、電車に飛び込んだわけではないのに、頭を八針縫い、ついでに体を支えようと手を突いたときに、左手の小指を骨折していた。

 一番どうでもいい怪我だ。

 

 その後、病院で三人とも警察の簡単な事情聴取を受けた。


 その日の内に、学校には、連絡が行ったらしい。

 僕の学校と言えば、何故あの場にいたのか、この謎の行動を咎められたが、別に僕が死のうとしたわけではないし、僕は事故後に線路で転んだだけで、大した罰を受けることなく、特に何か罰則を受けるわけではなかった。

 迎えに来た両親もただただ呆れていた。

 

 一方でシーナ先生の学校は大騒ぎになったらしい。

 学校は牧村佳の病状を把握していなかった。牧村の両親の指摘で、沢田の机からそれが見つかった。沢田は、牧村佳の診断書を学校に提出せずに、意図的に隠していたことで、教育委員会の調査対象だ。こども庁様々だ。

 他の苦情も合わせて、免職処分はほぼ確定だそうだ。


 これで、少しでもシーナさんの学校が良くなるのを祈るばかりだ。


 僕は額の傷の治療で、シーナ先生が入院している病院にしばらく通った。もちろん、ついでにシーナ先生の病室に見舞いにも行くのだが、あまり男子が、女子の病室を訪れる訳にもいかず、毎週金曜日の夕方だけにした。

 それくらいが、僕とシーナ先生のちょうどいい距離感だ。

 

 シーナ先生は、見舞いのたびに、僕にまで迷惑をかけたと謝ってくれるが、僕の方こそ、何の役にも立たなくて、謝られても困るだけだ。

 それより皆、怪我くらいで済んで良かった。だから今、笑って話ができる。


 その牧村佳は、毎日、シーナ先生の見舞いに来ているそうだ。まだ学校は休んでいる。無理をする必要はないと思う。

 最近は、少しだけ笑顔が出るようにもなったそうだ。心の回復には時間がかかるだろうが、もうこれ以上のことは起こらないだろう。


 僕たちに時間だけはたっぷりある。ゆっくりとやり直せばいい。彼女の歌声を待っている人がいるのだから。


 さて。問題の、電車を止めた賠償責任についてだが……。

 なんというか。なんというべきか。……異例のお咎め無しとなった。

 

 相手が高校生だからではない。

 ありていに言えば、椎名恵が嘘をついた。


「貧血でホームに倒れそうになった友人を私は捕まえようとしただけだ。このホームに柵がないため、このようなことが起こった。むしろ、責任は、市営地下鉄を管理する市側にある」


 これで押し通した。

 牧村佳も、何も覚えてないを繰り返している。結果、今年中に、あのボロ駅にも柵が付くことになるそうだ。


 あの時、牧村佳に耳打ちしたのはこれだろう。シーナ先生は「何も覚えていないと言いなさい」とでも言ったのだ。


 本当のところはどうなのか?


 やはり、牧村は自殺しようとしていたに違いない。

 その真相は僕にも教えてもらえない。


 シーナ先生は飛び込もうとする彼女を見つけて追いかけた。


 地下鉄の運転手は、黄色の線を越えた女子高生、牧村佳に向けて、警笛を鳴らしたが、後ろから来た少女が一緒に飛び込み、電車は二人の少女を跳ねた。


 しかし、二人が先頭車両で待ち合わせていたことも幸いした。


 減速していた電車の先頭車両にぶつかりはしたものの、二人を跳ね飛ばしたわけではない。

 その車両にはシーナ先生の靴跡が残っていたという。

 シーナ先生が電車を蹴ったのだ。その反動で、かなり遠くまで二人はとんだ。シーナ先生の足はその時に折れた。


 そんなところだろうと、予想したが、シーナ先生は教えてくれない。


「物語は、中身を知っている人にしか分かりませんからね。装画は読後に、その見え方が変わりますから」


 そう言うとあの目付きの悪い、いたずらっ子の顔で笑った。説明しなくても分かるでしょ? という意味だろう。眼鏡がないと鋭い目つきだった。


 本当は、牧村佳を止める役は僕だったのかもしれない。その為に呼ばれたのだろう。豪雨さえなければ、未然に止められた筈だ。


 しかし警察に、何故四つも向こうの駅に、ずぶ濡れの恰好で行ったのか、説明しないといけない。これは装丁を眺めて物語を想像するようにはいかない。


「なら、朝から遭いに来てしまった、私の熱烈なストーカーでいかがですか?」


 そう、シーナ先生は笑うが、むっとした僕の顔を見て、頭を下げた。


「ごめんなさい。じゃあ、朝の時間を楽しみにしている二人にしましょう」


 という。それはそれでよく分からない。


「それはどういう関係なの?」


 そういうと、例の目付きの悪い顔で、ジロリと睨んできた。


「彼氏とかでいいんじゃないですか?」


 そう言うと何故か怒り始めた。それは想定外の設定だ。

 仕方がなく、僕はしばらく椎名恵の彼氏として振る舞うこととなった。


 ということで、病床のシーナ先生の病院に行くたびに、土産として本を置いていくことにした。本好きの彼氏と、装丁好きの彼女という設定だ。警察にも怪しまれない。


 その中で一冊だけ、牧村佳、ケイさんに渡してくれるように頼んだ。

 タイトルは『死にたがりの君に贈る物語』。

 あっと、嫌味じゃない。読んで欲しいだけだ。


☆☆今回の表紙

死にたがりの君に贈る物語

https://onl.tw/vRdCn5E

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