第8話 匿名
三年生となった。あと一年の我慢。
いや、「我慢」というと続かない。「徳を積む」のだと言い聞かせる。
そんな新学期初日に、シーナ先生に出会えたことは、僥倖と言える……だろうか。
先生の顔は、沈痛そのものだった。
「おはようございます。シーナ先生」
「……おはようございます」
「そちらも、今日から始業ですか?」
「いえ、うちは昨日から始業でした。今日は、在校生は休みなんですが、私、新入生のお世話をする係でして」
どうやら、彼女の学校では今日が入学式らしい。
授業がないせいだろう。いつもよりも小さなカバンだ。教科書もノートも入ってないのだろう。そして膝の上には、一冊の本があった。カバンはそれを入れるためのものか。
タイトルは『匿名』。
これも『あの夏が飽和する。』同様にネット由来の小説だ。YouTuberが主人公の小説だ。作者も動画などで活動をしている方で、多彩な才能を持っていると聞いたことがある。
当然、シーナ先生の友人のことが頭をよぎった。
「例のご友人は? いかがでした?」
新学年が始まったのだ。
新しいクラスできっと、今までとは違う空気に包まれ、過去のことは忘れて……。
そんな雰囲気ではないことは、シーナ先生のうつむき加減でわかる。
「新しいスタート……にはならなかった?」
「彼女は私とは別のクラスになりました。彼女のクラスは……彼女の友人が一人もいないクラスです。それどころか……前のクラスの……例のサイトに書き込みをしたと疑われる生徒などが一緒です。もう一つのクラスなら彼女のことを庇える友人も多かったというのに……」
学校が、彼女の不登校の理由を把握していないのか。
いや、診断書を出しているはずだ。
全くその手の配慮がされない高校ということか?
……若しくは、逆に原因、事の発端となった例の生徒を、何らかの理由で学校が庇う必要でもあったのか。
「あの、確か、沢田って言いましたか。そいつもまさか、彼女と同じクラスですか?」
「はい。沢田は……あの子の担任です。そのまま彼女の担任になりました」
…………え?
沢田とは、教師の名前だったのか。
勝手に勘違いをしていた。
確か、シーナ先生は前に「学校に明るみにされた」と言っていた。僕はそれを「学校の生徒に対して明るみにされた」だと思い込んでいたが、本当は「学校によって明るみにされた」だったのか。
しかし、いくらなんでも、教師が生徒のプライバシーを……。
「学校は……彼女の甘えや我儘ではないかと疑っている様子です。ネットでの芸能活動を素行の悪い要注意人物とみなしたかもしれません。ですが、あまり我々が騒ぐと、校則違反で彼女を追い込みかねないですし……」
なるほど。そういう学校なのか。
アルバイトや芸能活動を制限する校則は多い。
高校に入った時に、まず最初に注意事項として伝達される。
もちろん、大半は、それを無視して行うものだが。
だがシーナ先生のその友人は、ネットの歌い手活動はしてもいいのか、担任に確認してしまったのかもしれない。真面目な性格が仇となった。
彼女の活動を把握した担任の沢田は、それが何か、どれくらい大切なものかを理解できないだろう。趣味か、いかがわしい収入くらいにしか考えていないか。
だから、皆の前で不用意にそれを告げてしまった。恐らくは軽い気持ち。学校のルールを守らせる措置程度の浅い考えだ。
その結果が、彼女の不登校につながった。
それにしても、何故、新学年でも、同じ担任のクラスに入れたのか? せめて二年生は別のクラスにしておけば、彼女の病気も快復するだろうに。
その担任は、自分が発端という認識がないのか?
これでは病状が悪化してしまうだけだ。
……いや、逆か? それが狙いか?
「沢田は、自分のミスを認められない狭量な性格ですから」
シーナ先生のため息が深い。
人生は親ガチャ以上に、教師ガチャだ。
「沢田は、自分が原因だと知っている筈です。……自分の失態を学校にバレずに済むように、彼女を目の届く範囲におき……自主退学させようと……自分のクラスに入れたのかもしれません」
僕も同じ考えだ。
シーナ先生が、時折、歯を食いしばりながら、告げた。
「でも……それでも明日はケイは、……明日だけは学校に行くと言ってます」
ケイという名が、シーナ先生の親友の名らしい。Kなのかもしれない。
「それは……大丈夫なのですか?」
「分かりません。ですが『駅で待ち合わせ』と言われました」
シーナ先生は鼻をすすって、顔を上げた。
「今は、それだけが希望です。それに彼女と読みあった本は、絶望の中から希望を見出す本が多いです。きっと、歩き出そうとしています」
シーナ先生の膝の上にある本『匿名』は、確か、昔イジメられていた女の子が、その後、歌い手として動画配信とかで人気を博し、その動画で勇気づけられた子が、実は昔、その歌い手をイジメていた張本人だったという話だ。
あらすじだけでも、やるせなさがこみ上げる。
装画には、両手で顔を隠した少女の姿がある。灰色の背景に、灰色のフード付きの
それは、社会からの接続を拒みながらも、断絶しきれないまま、特徴なき人のように振る舞う少女にみえる。
あるいは、有名になり過ぎてプライバシーを失った有名人。若しくは、何か人に見られたくないような、犯罪を犯したような罪深さ。
残念ながら、あらすじしか知らない為に、この少女が、どちら側なのか分からないが、恐らく主人公だろう。
これもシーナ先生の友人、ケイさんの話に被るところがある。
自分のカバンの中にある『あの夏が飽和する。』のことを思い出した。
そして、今までの本のことを思い浮かべた。
……ケイさんの選んだ本が、この中にあるのか。
「あの……今まで紹介してくれた本ですが……」
口ごもった。いうべきかどうか、悩んだ。だが、言わないことを後悔して逃げていい局面ではなさそうだ。
「そのケイという友人が薦めてくれた本はどれですか?」
「それは、どういう意味ですか?」
「あの、ずっと引っ掛かっていて……。この本のラインナップは、シーナ先生の好みなのか、それとも、その友人のケイさんの好みなのか、どっちなんだろうと」
「ケイの紹介してくれた本が混じっています。……私は青が好み……なので……」
「僕には分からないのですが……もしかしたら、二人の間でしか分からない何かを伝えようとしていたり……若しくは、その内容にヒントがあったり……」
シーナ先生が唇に手を当てた。
「全てに共通しているわけではないですが、どの本も、僕には、なんとなく似たような匂いがする本だなぁと……」
別に嗅覚の話をしているのではない。ただ、なんとなく、そのラインナップが気になっていた。
何か伝えたいことがあるのか?
一旦、青の本は除外しよう。シーナ先生の本だろう。
……いや、青の本の中でも『レゾンデートルの祈り』はケイさん側だったか?
シーナ先生は、あまり好きなテーマではないと言った。だが、何度か目にして読んでみることにしたと……。
それは、適応障害のケイさんが、その本を何度も眺めていたからではないのか?
残るは『レゾンデートルの誓い』『かがみの孤城』『あの夏が飽和する。』そして、この『匿名』。……シーナ先生が青を後付けで説明した『アリス殺し』『クララ殺し』も怪しいのか。
「……確かに、その本たちは、ケイが薦めてきたものです。『あの夏が飽和する。』を紹介した後、沢田によって、クラスに歌い手の活動をバラされ……」
読書は人生にリンクする。
彼女の何かの叫びが、そこにあるのか。
「だとしたら」
シーナ先生が再び深く呼吸をし、眼鏡を押さえた。
「あの子は、この本を全く読んでいない?」
☆今回の表紙はこちら
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