第5話 レゾンデートルの誓い

 ちなみに、僕はこの電車で、シーナ先生と毎日逢えているわけではない。


 少なくとも僕は毎日同じ時間の同じ地下鉄に乗っているのだが、シーナ先生は、不定期だ。いたりいなかったりする。

 特定の曜日というものもないが、強いて言うのであれば、月曜日には逢えるチャンスが多い気がする。

 つまり、ほとんど一人で登校している。

 どれだけ多くの乗客がいても、僕はいつも一人だ。人が多ければ多いほど、僕は一人であることを突きつけられる。


 それだけに、唯一、人と会話するこの出会いは、とても貴重だった。


「おはようございます。シーナ先生」

「おはようございます。黒岩さん」

「シーナ先生も、いつも一人なんですか?」


 その問いに少し驚いたものの、曖昧な表情を浮かべて、話を逸らしてきた。この風変わりな嗜好や性格の持ち主だ。彼女も友達が少ないのかもしれない。


「今日は、先日の続編をお持ちしました」

「珍しい。今日は青くない本ですね」

「はい。さすがに、続編となると、青じゃなくても買わざるを得ません」


『アリス殺し』の時のような必死な言い繕いもなく、素直に認めた。

 青が無くても買わずにいられないほど、先日紹介してくれた『レゾンデートルの祈り』はいい本だったということだろうか。

 

 その本のタイトルは『レゾンデートルの誓い』。『祈り』が青い表紙だとしたら、打って変わったように、この『誓い』はオレンジの表紙だった。


「では早速」


 シーナ先生から本を預かって、装画、装丁の内容を読む。

 これもまた、海の装画だ。同じ絵師さん、ふすいさんの絵だろう。

 同じように頭を下側に女性が波打ち際で眠る絵だ。

 髪型や服装から、どうも、前回の登場人物とは違う印象。

 前作の『祈り』では寒々しい海の印象だったが、『誓い』の海は、どこか暖かげに感じられなくもない。

 女性は、体をくの字に曲げ、花を抱えて眠っているようにみえる。

 花は……彼岸花か?


 彼岸花と言えば、花言葉は確か「悲しい思い出」だ。お墓や死を連想させる花でもある。


 つまり、この作品も前回同様にテーマは死……いや、本当にそうか? 何か、違和感がある……。


「この女性の体勢、前回のような死を感じさせませんね」

「黒岩さんは、『祈り』の装画を見て、すぐに死のイメージを喚起されていましたね」

「ええ。まるで、出棺の時の体勢でしたから。これは……ああ、そうか。胎児かな? これは生命の象徴? 再生や、生きることがテーマなのでは」

「驚きました。大変、結構な推察です。黒岩さんの感受性は、かなり高いですね」


 シーナ先生は目を丸くしていた。

 ま、これでも小説書いてますからね? Web小説で読者もまだ少ないですけど、気に入ってくれる人もいますから。そして、僕と社会の繋がりをくれる、僕の大切なお仕事です。


 さておき、なるほど。

 前回が死をイメージ。今回は生をイメージ。

 それを、女性の姿だけで印象として刷り込んでいく。このふすいという装画師は、本当に天才的なのかもしれない。シーナ先生がほれ込むわけだ。


 では、この表紙を包むオレンジの光は、夕陽ではなく、朝日なのかもしれない。

 始まりを意味するのだろうか。


 興味深い装画だ。俄然、中身を読みたくなった。


 そもそもにして、死は文学のテーマになりやすい。そして生と死は表裏一体だ。どう生きるかという物語は、どう死ぬかで完結する。

 確か『祈り』の時に、この話は安楽死をテーマにした話だと、前回、シーナ先生は言っていた。この『誓い』もそうなのだろう。

 安楽死……。日本ではタブーのようなテーマだ。

 生きている人間が『死を選ぶ』という状況はドラマチックではあるが、軽々しく扱えない。


 ……。

 自分にはまだまだできそうにもないテーマだ。

 異世界を旅している方が、性に合っている。


「あの……お忘れですか?」


 言われて我に返った。シーナ先生の顔を見ると半分困った顔と半分怒った顔をしている。眉を下げながら、じろっと睨む顔が可愛らしい。


 ……なんだっけ?


「あ。そうだ。カバーをめくってもよろしいですか?」

「はい。どうぞ」


 シーナ先生が少し恥じ入りながら、僕がカバーをめくるのをじっと見ている。

 前回の『祈り』では、桜の花びらが舞い散っていた。

 今回は……。


「ほう」


 本の表装が、前回は白地に桜吹雪だったのに対し。今回は黒地に桜吹雪だ。真っ黒な表装に、桜の花びらが舞っている。


 それは、まるで夜桜の一瞬を切り取ったような、吸い込まれる感触。

 前回は、華々しく散りながら広がりを感じたが、今回は散りながら闇に消えて行く感触が残る。


 非常に対照的な造りになっていた。


 言われてみれば、桜も、日本では生命の象徴だ。

 散って行く桜に、人は人間の儚さや覚悟を重ね合わせたものだ。

 前回は白地にしたことで、華やかさと希望、生命の息吹を感じた。今回は黒地にしたことで落ちていくような死や、一瞬だけ垣間見るような妖艶さや、どこかに潜む生への執着が覗く。


 本当にそういう話なのかまでは分からない。


「興味が出ましたか?」

「はい、とても」


 ページをめくろうとするところで、シーナ先生が本を取り上げた。


「今日は残念でしたね。ですが、黒岩さんの才能が開花したようでうれしいです」

「え?」

「はい。もう、駅につきます。私はこれで」


 どうやら、絵に見惚れている間に、あっという間に時が過ぎたようだ。


「では、また今度。次は、もう少し仕掛けのあるものをお持ちしましょう」


 そう言うと、いつも通りに颯爽と電車を降りて行った。その顔は、とても嬉しそうだった。



☆☆今回の表紙

https://onl.tw/q7FbxjJ

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