第4話 レゾンデートルの祈り

「黒岩さんは、ザイオン効果はご存知ですか?」

「知っているけど、え、なんで、シーナ先生も知っているの?」


 ザイオン効果とは、プロモーション用語だ。

 何度も目にする広告は、知らない間に、買い手に信用を抱かせたり、興味を惹かせたりする。その効果をザイオン効果という。

 春の全国中間模擬試験の現代文で、ちょうど出題された説明文が、ザイオン効果の話だった。シーナ先生は、まだ一年生なので受けていない筈だ。

 単に知識として持っているのだとしたら、恐るべし。


「私、この本は、正直、最初はあまり興味がなかったのですが、あまりにも何度も目にした為、つい、買ってしまった本です」


 そういうと、カバンから一冊のハードカバーの本を出した。

 タイトルは『レゾンデートルの祈り』とある。


「こちらの本はもうお読みですか?」

「タイトルは一時期、よく見ました」

「そうですか。こちら、もともとはWeb小説のサービスで書かれていたものらしいですよ」


 よく存じ上げています。

 僕がちょうどそのWeb小説サイト、カクヨムを使いだした頃に、何度も激推された作品なので。

 噂にこそ聞いているがとても出来が良いらしい。

 ただし、僕は中身をまだ知らない。


「私は、あまり興味のあるテーマやタイトルではなかったのですが、友人といると、あまりにも何度も目に飛び込んできて、気付いたら買ってしまいました。その時、なんで買ってしまったのか、自分の心理に驚いて、ザイオン効果という言葉にたどり着きました」


 ザイオン効果、恐るべしだ。


「ま、私好みの青い表紙絵ですし、好きな装画師さんでしたから、買ったのはいいのです。この装画から、黒岩さんはどんな印象を持ちますか?」


 その装画は、見るからに不思議な絵だった。

 波打ち際の絵だ。そこに女性が仰向けに寝た絵だった。

 海(池かもしれないが)は天側、つまり絵の上側で、下側は砂浜だろう。女性はその波打ち際で寝ているため、背中はおろか、髪まで濡らしている。足は海に向けられ、つまり天側からなので、逆さに吊るされているような構図だ。

 普通は、海を下側に書き、人の上下は、下が足側になる筈なので、不安定さを演出しているのだろう。

 当然、その顔も上下が逆さまなので、表情はすぐには読み取れない。微笑んでいるようにも悲しんでいるようにも見える。


 ただ、穏やかだ。その状況を受け入れているようにも見える。

 その手は指を組み、おなかの上に乗せている。


「手をおなかの上で組んでいるのは、死のイメージにも見えますよね」

「とても良い着眼点です。この本のテーマはまさに死です。安楽死が許される世界で起こるドラマが、この小説の主軸です」

「海、特に波打ち際というのが、何かこう……なんて言えばいいんだろう……定まらない感じや、境界線を感じさせます」

「なるほど。とてもいいですね。未読の方にそこまでの感情を喚起させたのであれば、上出来でしょう」

「そういう話なのですね?」

「それは、本編を読んでいただくしか。私は、無粋な情報を未読の方に与えてまで読んで欲しいわけではないので。あくまでも露出している情報を元に装画の面白さを教えたいのです。あなたの読書の楽しみを奪うつもりはありません」


 恐らく、レゾンデートルの祈りを読んでいる方は、この僕の感想や、シーナ先生の言い様を読んで、ヤキモキしていることだろう。

 

「装画は『ふすい』さんです。覚えていますか?」

「前に聞いた人の中にいましたが……えっと、どれでしたっけ?」

「ちっ」


 え? いま、舌打ちを?

 シーナ先生は、ジロリといつものように睨むが、どうも、これは本当に睨みつけているようだ。


「あーっと、あれだ。星の奴」

「星がタイトルにあるのは二つ紹介しました」

「……えーっと、mocha氏ではないほう」

「消去法ですか。残念ですが、まあいいでしょう」

「あ、あれだ。帯をうまく使ってた方だ」

「そうです。覚えていましたね」

「今回も何か仕掛けが?」

「ふすいさんの装画の能力はもちろん、相変わらず高いままです。それよりも今回は、装丁の仕事として、本全体を見てください」


 そういうと、シーナ先生は本を僕に手渡した。


「ハードカバー本ってちょっと久しぶりだな」

「書物の形式は、過去からいろいろな編纂を辿っていますが、印刷技術が生まれてから数百年、特に日本では昭和以降、それほど変わっていないそうです。ハードカバーは外側に堅いボール紙を使うことで、折れたり、破けたりしないよう、本の寿命を上げようとする努力がされているそうです」

「装画には、いろいろなアイテムが描かれていますね。これらは、物語に?」

「もちろん、関係あります」

「これは海ですか?」

「明示されてはいませんが、小説の舞台は、江ノ島近辺です」


 なら、海なんだ。


「めくっても?」

「どうぞ」


 硬い表紙をめくると、一枚の何も書かれていないページが。

 割と凹凸のある、ざらりとした感触の紙で作られている。


「それは見返しの『遊び』といいます。ハードカバーの本の製本時、ここに紙を貼って綺麗にするのですが、わざと一枚だけ、ページのように模して、本編の前に一枚、挟みます」

「このざらつき感は、人を不安にします」


 もともと、装画の時点で不安な絵だったせいもあるかもしれない。


「面白い感想です。私は、この模様を海のようにも感じました。ですが、装丁の方が、何かしらの意図をもって、この紙を選んだのだと思います。読者の方が手に取って、この物語の最初のページに入るのに相応しい、指先の感触を作ったはずです」


 タイトルのページをめくろうとして、ふと、ハードカバーに隠された表紙が気になった。

 何か、小さな斑点が見えた。


「これは何です?」

「え。もう見つけたのですか? 黒岩さんは優秀ですね。もう一度、装画をご覧ください」


 ページを閉じ、その表紙絵を眺めた。


「あ。ひょっとして、これは、何か舞ってますか? 雪?」

「白くて雪のように舞うものですが、雪ではありません。花びらです」

「……ちょっと、失敬」


 一言謝ったのは、それは下着を覗くような行為に感じたからだ。

 シーナ先生は、その意図に気付き、頷きながら顔を上気させた。


「やはり」


 カバーを外したその本の表紙には、舞い散る桜が描かれていた。白地に桜の花びらだけが降り注ぐ光景だ。


「よく見つけました。あなたが見つけたのは、この物語にも関係のあるところです。ですが、時間切れですね」


 そういうと、シーナ先生は本を取り上げ、カバーを付け直し、カバンにそれをしまった。


「あなたは、とても優秀ですね。さぞ、頭のいい高校に通ってらっしゃるのでしょう」


 その通りだ。僕が通う高校は、県内でも一二を争う進学校だ。

 だが、言い出しておいて、シーナ先生は、そんなことは人間の価値ではないかのように、颯爽と席を立った。

 僕が自分の高校をもう一度告げようとした矢先に、シーナ先生は会釈をしてそれを遮った。


「では。次回は、続編をお持ちしましょう」


☆☆今回の表紙はこちら

レゾンデートルの祈り

https://onl.tw/9RS4SQD

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