第3話 アリス殺し クララ殺し

「おはようござます。シーナ先生」

「おはようございます。黒岩さん」


 地下鉄で隣の席に座ると、シーナ先生は早速カバンから本を取り出した。


「今日は二冊、ご紹介です」

「へぇ、何か違うんですか?」


 シーナ先生がニタついているのがマスク越しにも分かる。

 この女子高生は、本の仕掛けを伝えるのが嬉しくて堪らないのだろう。今更だが、随分と変わった人だ。


 本のタイトルは『アリス殺し』と『クララ殺し』だ。


「ご存知ですか?」

「名前は聞いたことがありますが、未読です」

「それは残念です」


 と言ったものの、あまり残念そうではない。

 僕に解説できる楽しみがあるからだろう。


「タイトルにインパクトがありますよね」

「そうですね。出版する側からすれば、このタイトルはおいしいでしょう」


 最早、業界視点すら持ち合わせた感想だ。


「装画は丹地陽子さん。装幀は藤田知子さんです。どちらの本もこの二人が担当しています。これをごらんになって、何か気付いたところは?」

「えーっと……青くないですね?」


 そう指摘すると、それは予想外だったのか、はっとした顔で表紙を眺め、

「いや、青あるし。ここです」

 とアリスの服とクララの服を指さした。


 今までは全体的に青だったのだが、今回はそういう感じの絵ではない。


 アリスとは不思議の国のアリスということだろう。イメージのままの服を着ている。クララとは、どちら様のことだろうか? アルプスの少女ハイジくらいしか、存じ上げていない。しかもクララの表紙は、同じ服を着た少女が二人いる。「クララが立った」で大喜びする話だったが、双子だったっけ? 記憶があいまいだ。もしかしたら、もう片方がロッテンマイヤーさんなのかもしれないが、同じ顔に見える。少なくともハイジではなさそうだ。


「非常に面白いミステリー形式なのですが、不思議の国と現実を行き来して、不思議の国で起きた事件を解決しようと試みる内容です」

「へぇ、転移転生的な?」

「いえ。どちらかと言うと、夢の世界ですね。胡蝶の夢パターンとも言えます」


 まさかの夢? そういうのは禁忌だと聞いたが……。よほど面白い仕掛けがないと、プロでは許されないはずだ。相当、捻った面白さがあるのだろう。


「で、何か気付いたことは?」


 催促される。彼女が電車に乗っていられる時間は僅かだ。

 だが、何も思いつかない。

 今回は特に帯のところに仕掛けがあるわけでもない。

 アリスの表紙、よく見ると上から自殺か絞首刑用の括り縄が垂れ下がっている。

 もっと見ると、このアリス、後ろ手にでっかい斧を持っているではないか。こわっ。

 クララのほうは、やはり足が悪いのか。機械仕掛けのイメージで、片方の少女の足は義足のようにも見える。


 他には……


「このトカゲは両方の絵にありますね?」

「ふふふ。良いところに気が付きました。実はこの二つ、同じ世界線の話で、この二つの物語をつなぐ、重要なキャラクターが、このトカゲです」

「ああ、これは別の話ではないってこと?」

「はい。正しく、同じ世界です。装丁師が、装画に、これは必須と指示したのでしょう。ナイスプレイです。出版は、アリス、クララの順ですが、小説の時間軸はクララ、アリスです。この順番であることが、面白い構造が生み出せています」


 よほど小説の内容が面白かったのだろう。

 マスクの向こうのニタニタが止まっていない様子だ。


「いいお話なんですか?」

「グロいホラーですね」

「あぁ……そうですか」


 正直、苦手分野だが、好きな人は多いだろう。

 シーナ先生は、二つの小説の頭の部分を見せた。


「ちなみに、このようなサイズの小説を『文庫』と言います。『A6判』とも。今日までお見せした四冊は、全部このサイズでしたね」

「はい、覚えています」

「アリス殺しとクララ殺しは、前の二冊とは少し違います。わかりますか?」

「……青くない?」

「いえ、青いです。そこではなく、この天の部分をご覧ください」


 シーナ先生は、おもむろに本の上を見せた。

 青色部分については絶対にこちらの主張を認めないつもりだ。


「本の上部のことを『天』と言います」


 どうやら専門用語らしい。そこは不揃いのガタガタした状態になっていた。

 僕の訝し気な表情を悟ったのだろう。


「そうですね。人によっては『綺麗じゃない』と思う人もいるかもしれません」

「さすがに、横の部分や、下側に比べると、綺麗とは言い難いです」


 そう言えば、不思議だった。このサイズの本、稀に、こうやってガタガタしているものがある。記憶にあるのは新潮文庫だ。何故、上を綺麗にしないのか……。


「本の横のことを前小口。下のことを地といいますが、そこは製本する時に綺麗に削ります。ですが、天の部分は削らない本もあります。何故かご存知ですか?」


 ふと頭をかすめたのは、紐の栞のことだ。あれは常に頭についている。綺麗にしてから付けられるものではないのかもしれない。

 しかし、シーナ先生が手にしている、アリス殺し、クララ殺しには紐の栞がない。


「先生は、紐の栞、取っちゃったんですか?」

「??? あ。スピンのことですか?」


 スピンが何か分からなかったが、後で、本についている紐栞の専門用語だと知った。


「スピンもまあ、無関係ではないのですが、実はこのガタガタは、この本が高級品の証なのです」

「え、逆でしょ?」


 シーナ先生の目が今までなかったほどニタリと半月に変わる。


「このようなギザギザした本を『天アンカット』と専門用語で言うそうです。実は、こっちの方が制作にお金がかかるそうです」

「そんな……」

「元々、本は、ペーパーナイフで切ってページを進むことはご存知ですか?」

「はい。学校の図書館で坊ちゃんの初版形式の復刻版を見たことがあります」


 自慢ではないが、僕の学校の図書館は高校にしてはかなり充実していて、その本が無造作に置かれていた。

 今教えてもらった、本の天や地、小口(本の表紙を除いた本体の全ての端部分)は、その復刻版では全て金で覆われていて、それぞれのページが袋とじになっている。

 さすがに、それを切る人はいないので、正直、飾ってあるだけの本だ。

 昔の人は、それをペーパーナイフで一枚一枚切って、読み進めたのだ。

 その為、どこまで読んだのか、一目瞭然なのだという。ちなみに金で覆われていたのは、虫食いを防ぐ為だ。

 それくらいに本とは貴重で価値のあるものだったという。

 今は、ペーパーナイフと言えば、封筒を開けるときに使うくらいだが、実はあれはあれで「レターオプナー」という別の専用器具ナイフがあり、ややこしいところだ。


「同じです。これはフランス装ともいいます。その名残が、この天の不揃い加減なのです。岩波文庫が始め、後に続く文庫はこれに倣ったと言われています」


 そう言うと、愛おしそうに、その不揃いの断面を撫ぜた。


「では、これで。次回は、ハードカバーの装丁を」


 そういうと、慌てて本をカバンにしまい、電車を降りた。

 どうやら、今日は、文庫の専門用語を伝えたかっただけらしい。


 しかし、あのアリスと、クララは、妙に頭から離れない、不気味さのある絵だった。そうなると、確かに、人目を惹くという点で成功している表紙なのだろう。


★★今回の装画はこちら

アリス殺し

http://www.tsogen.co.jp/img/cover_image_l/42014.jpg

クララ殺し

http://www.tsogen.co.jp/img/cover_image_l/42015.jpg

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