第2話 この星で君と生きるための幾億の理由
こうして、僕は奇妙な本好きの話し相手を得た。
朝の暇つぶしができた。電車の中で勉強をするほどではない。スマホを見て目を悪くするくらいなら、どこかの女子高生と話をしたほうが、建設的だ。
「おはよう。シーナっち」
「気安いですね。そういえば、黒岩さんは毎日、私の隣に座ってましたよね」
どうやら、いまさら気付いたらしい。
僕が彼女の隣の席に座るようになって、かれこれ、三カ月くらい経っている筈だが。
「もしかして、ストーカーとかでしたか?」
「ちが……」
思わず叫びそうになったが、その声に驚いて、前に座っている婦人が僕を睨みつけてきた。ストーカーという言葉が聞こえて心配したのか、シーナさんが笑っている様子に気付いて、再び視線をスマホに落とす。
何事もないかの如く、地下鉄は駅を出た。
危うく通学路を変えなくてはいけなくなるところだった。
確かに、電車の中に、他にも席はある。だが、降りる駅の都合上、この先頭車両が最も都合がよく、一番出入り口に近い席はここなのだ
ちなみに、この時間、この地下鉄で僕の高校に行く生徒は、僕一人だ。
そう言えば、この時間はシーナさん、……いや、少なくとも地下鉄の中くらいは、シーナ先生と呼ぼうか。シーナ先生と同じ制服の高校生もいない。前に、何人かいたような気がするが、少なくとも今は一人だ。
余程遠い高校なのだろうか?
満員電車が嫌いな僕は、一時間半早く学校についてでも、この時間のこの電車を選んでいる。
他の生徒がいないことは幸いだった。お蔭で、僕もシーナ先生も、気兼ねなく話すことができる。
今日、シーナ先生のその手には、昨日とは違う本があった。
タイトルには『この星で生きるための数億の理由』とある。
「それは?」
「もう読み終わった本です。先日、黒岩さんが、装丁に興味が湧いたと仰ったので、ちょうど装丁や装画の凄さをお伝えするのに適したものをお持ちしました」
……あれ? 言ったっけ?
僕、そんなこと、言いましたっけ?
でも、まあ、確かに装丁という視点で、自分の部屋の本を眺めていたのは確かだ。
ヤバい。シーナ先生に引きずり込まれていく気がする。
「それもまた、青い絵……じゃなかった装画の本ですね」
「はい。私、青みの本に少し惹かれる傾向がありまして」
そういうと、そのカバー表紙絵の下半分を持って、こちらに見せた。
「この本をお読みになった事は?」
「いや。初見です」
「ざっくりお伝えすると、少年と少女が、高校を舞台に繰り広げる物語です」
「ああ、恋愛系?」
「一概に恋愛系というカテゴリーに縛れるのかどうかわかりません。そういうことに、私は詳しくないので」
シーナ先生は良き読者ではあるが、本をカテゴリーで見たりはしないらしい。
あくまで「青かったから買った」ということらしい。
この本のあらすじは、ネタバレしない限りでお伝えすると、定時制高校と普通高校の生徒間で交わされる、書簡小説の体で進行するお話らしい。テーマは「死」。遺書から始まる書簡小説だ。
「それがこの二人です」
カバー表紙は薄暗い森にある廃車のバスにもたれかかって座る二人の男女の高校生が描かれている。時間帯は夜。ただ、二人を包み込むように、どこからか光が射している。それは希望や祝福にもとれるし、天国からの誘いにもとれる。
その廃車となったバスにはドクロのペイントが施され、それが死の印象を与えるのかもしれない。
よく見ると、水辺らしい。
「なんだか、悲しい物語になりそうな予感がする」
「はい、少し悲しい物語でもあります」
そういうと、シーナ先生は指で隠していたカバーイラスト、装画の下半分を見せた。
「この装画は『ふすい』という方です。私、この人の装画の仕掛けが好きなんです。ある意味、天才ではないかと」
下半分は、水面だった。
登場人物の二人が水面に写りこんでいる。
天才……と呼ぶほどかは分からないが、暗い森の湖面らしく、写りこんだ二人の姿もまた彩度が落ちて暗い。
「綺麗ですね」
全体的に深い青の美しさ、夜の静けさを漂わせた絵だ。
「この水面の二人をよく見てください」
言われて、湖面に写りこんだ二人をもう一度見ると、その違いに気付いた。
「あ。もしかして?」
「そうです。この湖面に写る姿は過去です。この二人の関係をしめしています。ほら、背景の木も比べてみてください」
確かに。
湖面の中に写りこんだ木は低く、まだ成長していない。これが過去であることを示している。
「……ああっ! そういうこと!?」
思わず大きな声を上げて、周りの乗客が訝しそうにこちらを見つめた。
このご時世だ。つい、頭をペコリと下げざるを得ない。
一人、マスクの向こうでにんまりと笑顔になっているのはシーナ先生だけだ。
「そういうことなんです」
こここそ、帯で隠れる場所だ。
例の出版社が宣伝で巻きつける、「だれそれ絶賛」とか「第〇〇回 なんとか賞受賞」とかを書いた圧が強いものだ。
その帯に隠されて、ほの暗い、二人の過去がある。まさに、二人の過去が隠されているのだ。
「本を読む人は、帯を大事にするそうですが、私は外してしまうのです。出版社の『売りたい!』という気持ちが出てしまっていて、商売とは言え無粋です。ですので、購入した際、帯は外すことにしています。これは購入者の特権ですからね。ですが、そこにこんな仕掛けを隠すとは、この装丁は粋だなと思います」
確かに購入者だけがそれを外していいはずだ。読んだ人にだけわかるプレゼントと言えよう。
しかし、よくできた装丁だ。
誰がどういう指示を出しているのかは知らないが、この本への愛情と作者への敬意と読者サービスに溢れている。
なるほど。天才と言いたくなるのも分かる気がする。これは読者に向けたささやかな『仕掛け』だ。
「今日は、前回の『帯隠し』が分かりやすい例として、この本をお持ちしました」
そういうと、シーナ先生はそそくさと本をカバンにしまった。
「次回はまた別のものをお持ちしましょう。では」
シーナ先生は、立ち上がると、振り向きもせずに、電車を降りた。
気付けば、もうシーナ先生の降りる駅だった。
☆☆今回の装画
この星で君と生きるための幾億の理由
https://onl.tw/kW2jeda
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