第23話 不穏な話。

 火曜日。

 昨日は結局、退勤時間までコピー機が使われることはなかった。

 オレは定時で帰れたけれど、安本さんと湊さんは残業して、取り急ぎある程度の部数をコピーしたらしい。


「おはようございます」


 フロアに入ると、もう安本さんも湊さんも出勤していて、コピー機と印刷機をフル回転させていた。


「お二人とも、ずいぶん早いですね」

「うん。一部でも多く、コピーだけでも取っておこうと思ってね」

「コピーさえ取っておけば、製本はあとからでもまとめてできますから」


 なるほど……。


「製本のときは、オレも手伝えるように書類の整備を早く終わらせるように頑張りますんで、声かけてください」

「ありがとう~。木村くんがそう言ってくれるとホントに助かる~。ね、安本さん」

「はい。本当に助かります。一人だとどうしても手が回りませんから」


 そんなふうに言ってもらえると嬉しい。急いでパソコンを起動すると、メールを確認して早速設計書の作成を始めた。

 次々に出勤してくる人たちに挨拶だけを返し、図面を修正してプリントしては設計書と束ね、安本さんの受付ボックスへ積み重ねていった。

 コピーをかけながら、安本さんはそれらすべてを受付して、千堂副部長のチェックボックスへと積み上げている。

 はた目からみても、ヤバい部数が溜まっている。

 そういえば昨日、安本さんが千堂副部長のチェックが遅いって言っていたのを思い出した。


「はぁ? なにを言ってるの?」


 湊さんの大きな声が響いてきた。みるとコピー機の横で平林さんと向かい合っている。

 湊さんが見えないくらい、赤く染まっている。恐ろしいほどの怒りようだ。


「だから、昨日は作業ができなかったから、今日もコピー機を空けてって頼んでるんです!」

「そんなの知らないよ! こっちだって納期があって困ってるのに! 二日も使えないとか無理だから!」

「仕方ないじゃないですか! 使おうと思っていたのが間に合わなかったんだから!」


 その言葉に湊さんはあからさまに呆れた表情をして、大きくため息をついた。

 二人の勢いに社員さんたちも固まったままで、誰も止めに入らない。平林さんもだんだんと血のような赤色に変わっている。


「……あのさ、間に合わないのがわかったら、その時点でコピー機も使わないってわかるよね? っていうか早い段階で間に合わないからコピー機も使えない、って気づくよね? なんでそのときに言わないの? まだ使わないです、ってさ。こっち、部数も多いし納期もあるの、平林さんもわかってるよね?」

「しょうがないじゃない! 間に合うと思ったんだから! とにかく、今日はきっと間に合うはずだから、使わないでください!」


 千堂副部長のボックスに書類を置いたまま立ちすくんでいた安本さんが、小走りで湊さんを止めに行った。

 止めに行ったんだと思った。


「ちょっと待ってください。間に合うはず、ってどういうことですか? コピーの原本、まだ出来上がっていないってことですか?」

「だったらなんなのよ?」

「なんなのもなにも、原本が出来上がってもいないのにコピー機を使うななんて、そんな馬鹿な話しはないです。出来上がってコピーが取れる状態になってから言ってくださいよ」


 安本さんの言い分に、コピー機近くの部署の派遣さんたちが「ホントそれ」「平林の嫌がらせ?」「サイテーなんだけど」などと囁いているのが聞こえてきた。

 昨日のお昼に、湊さんがネットサーフィンがどうとかで、ほかの部署でも問題になっているとか話していたっけ。

 不穏な空気が漂っている。周囲の派遣さんたちから冷ややかで深い青みが広がってきた。寒気を感じて鳥肌が立つ。

 あわてた様子の千堂副部長が走り寄ってきた。


「どうかしたと? なんか揉めてる?」

 

 分が悪いと感じたのか、平林さんは「じゃあもういいです!」と捨て台詞を吐いて自席に戻っていった。

 取り残された千堂副部長は派遣さんたちに今の出来事で詰め寄られ、しどろもどろになりながら平林さんを庇っている。

 気づけば湊さんだけじゃあなく、ほかの派遣さんたちまで真っ赤な色を発していた。

 安本さんは……。


(うっわ……あれはヤバすぎるって……)


 いつも以上の大きさで、いつも以上に目を吊り上げた魔王は、耳まで裂けていそうなくらい大きく口を開いていた。ギシャーとか叫び声が聞こえてきそうだ。

 口を開いているのを視たのも初めてだ。恐すぎるよ……。

 それに、オレがこの職場に来てから、フロアがこんなにはっきりと不穏な色に包まれたのも、初めてのことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る