第22話 お昼の話し。

 結局、午前中は安本さんも湊さんも、みんなが印刷物を出している合間を縫って、印刷機を使って一、二部ずつ増刷を進めていた。

 一案件で少なくて五部からの増刷が必要なのに、そんなやり方では進んでいないも同然で、昼休憩を目前にしても一件も仕上がっていない。

 なにかしてあげたくても、こればかりはオレにはどうにもできない。

 せめて製本のときには、前のように手伝ってあげたくて、オレに割り当てられた案件を淡々と進めるも、単に安本さんの受付と千堂副部長の戻りを増やすだけだと気づいた。

 だからといってのんびり仕上げているわけにもいかず、結局は魔王に威嚇されながら作成を進めた。

 図面の修正をしていると、モニターにメールが届いたポップアップが表示された。


(うわ……また新規案件? ん?)


 メールソフトを開くと、湊さんからだ。疑問に思いながらメールを開く。


≪今日、外にランチに行きませんか?≫


(お昼のお誘い? オレに?)


 メールをよく見ると、あて先が安本さんとオレになっている。


≪了解です≫


 安本さんの返信がオレにも届く。戸惑いながらも、オレも了解の返信をした。

 ほどなくチャイムが鳴り、湊さんも安本さんもサッと席を立って外へ向かう。オレも急いで後を追った。

 湊さんの案内で入ったお店は、会社からほど近い小さなビルの二階で、カウンター席だけの縦長の店だった。

 夜はBarとして営業しているらしい。

 ランチメニューはカレーの一品のみ。スパイスの香りが午前中の気分の悪さを吹き飛ばしてくれた。

 湊さんを真ん中に、三人で並んで座った。

 湊さんの色が赤い。怒っているだろうことがはっきりとわかる。


「結局さ、午前中ずっと使っていなかったでしょ! コピー機」

「そうなんですよね。私、印刷機で何度かコピー取りましたけど、全然使っていませんでしたね」

「えっ……じゃあどうして使うななんて……」

「知らないよ! もう本当、なんなの平林! ムカついてしょうがないんだけど!」


 安本さんが湊さんをなだめている。あのパートさんは平林さんっていうのか。

 目の前に出されたカレーを頬ばりながらも、湊さんの悪態が止まらない。

 コピー機のことだけじゃあなく、平林さんの仕事の姿勢にまで言及している。

 どうやら勤務時間の半分以上を、ネットサーフィンやブログを書いて過ごしているらしい。

 同じフロアの他部署でも問題になっているそうだ。そんな話しが出ているなんてまったく知らなかったし、そんな嫌な色も感じたことがなかった。

 平林さんの部署はそんなに暇なんだろうか?


「それにしても、午後からも使われないようなら、ちょっと考えないといけませんよね」

「私、使わないと思う。だって平林の作ってるのって確か会社の販売用カタログだよ。一日中コピー機つかうのなんかあり得ないよ。外部に印刷に出してるはずだもん」


 確かに、販売用のカタログを作るのにコピー用紙はないだろう。

 そのあとも湊さんの口撃が止まらないままだ。赤い色がだんだんと濃くなり、広がってきた。

 高校のころ、先生の怒りで教室が埋まったことを思い出す。このお店は広くない。


(大丈夫だろうか……?)


「あの……とりあえずオレになにか手伝えることがあったら言ってください。微力でしかないですけど……」

「じゃあ木村くん、コピー機、買ってきて」

「え……」


 湊さんの向こうで、安本さんが吹きだした。


「微力なのにコピー機は無理ですよね」


 少し体をのけぞらせ、笑いながら湊さんの背中越しにそう言った。

 それを聞いた湊さんも笑いだす。赤色が濃いオレンジに変わり、少しずついつもの黄色に戻った。

 ホッとしてオレも一緒に笑った。


「とりあえず、様子をみましょう。今日はもう諦めるしかないでしょうから」


 安本さんの肩からは、魔王が出る前と同じ黒い色がジワリとにじんでいた。

 午後からは、オレも気になってコピー機の様子を見ていた。

 使われている様子は、やっぱりない。

 湊さんの表情は険しく、また赤い色に戻ってしまっている。

 後ろからは安本さんの小さなため息が何度も聞こえてくるし、魔王の気配も強く感じた。

 時折、濁った白がフロアの奥から流れてくるけれど、なにかの拍子に一瞬で引いていく。

 印刷した設計書を取りに席を立ったとき、その濁りが平林さんのほうから出ていることに気づいた。

 オレのつま先まで迫ってきているのを視て、あわてて足を振ってその場を離れた。

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