第21話 濁りのある白の話し。

 月曜日。

 結局、大仏の意味がわからないまま出勤してきた。

 フロアに入るのが非常にに気まずい。

 だからといって、入り口で立ち止まるわけにもいかず、そのまま進んだ。


「おはようございます」


 社員さんたちはもう全員が席について忙しそうにしている。

 安本さんはまだ来ていないけれど、机の上にあるボックスには、すでに受付待ちの書類が山積みだ。

 そういえば千堂副部長が忙しくなるって言っていたっけ。


「おはようございます」


 パソコンを起動してメールのチェックを始めたとき、後ろから安本さんの挨拶が聞こえてきた。

 どんな顔をしていいかわからず、パソコンを見つめたまま挨拶だけ返すと、席に着いたのを見計らって、そっと振り返った。

 受付のボックスにため息をもらし、メールのチェックをしながらまたため息をついている。いつものように肩のあたりに黒い色が滲んで魔王が姿を現したのを視て、なぜかオレはホッとした。

 忙しいからか、フロア全体が静まり返っている。みんなができあがった報告書や図面をプリントアウトする印刷機の音だけが響いている。

 オレも修正を終えた図面をプリントして印刷機に向かうと、印刷機の隣にあるコピー機の前で、安本さんと湊さんが同じフロアの別部署にいるパートさんと、なにやら話しをしている姿が見えた。

 話しはすぐに終わったようで、パートさんは自席に戻っていった。二人は半ば怒ったような顔でパートさんを見ている。


「どうかしたんですか?」


 オレは気になって声をかけてみた。


「なんだかコピー機を使うらしくて、今日はコピー取らないでくださいって言われてしまって……」

「そうなの。私たちも設計書も報告書も提出しなきゃいけないでしょ? コピー機使うなって言われてもさぁ」

「今、件数多いですよね? 納期とか大丈夫なんですか?」

「無理無理! 間に合わないよ。私、千堂さんに言ってくる」


 湊さんも安本さんも設計書の束を抱えたまま、千堂副部長の席へ向かっていった。

 なにか嫌な気配がした。足もとを濁った白い色が、霧のようにフロアの奥から流れてきている。

 この色には覚えがある。まだオレがこの職場に来て間もないころ、社員さんたちが会議が荒れていたと言っていたときと同じだ。


「なんで? あり得なくない?」


 湊さんの声だ。静かなフロアでその声は大きく響いて聞こえた。フロアの奥で、あのパートさんがムッとした表情を浮かべている。

 オレは急いでプリントした図面を取って席に戻った。


「――やけん、今日のところは使わんであげて」

「意味わかんないんだけど。納期、どうすればいいの?」

「私も量があるから困ります。千堂副部長、チェックも遅くないですか? 支社分の戻しも早くしないと、受付でストップしてますよ?」

「わかってる。わかってるけん、でも今日のところは聞いてやってくれんと?」


 平謝りの千堂副部長に、二人ともそれ以上なにも言わず、憮然とした顔のまま自分たちの席に戻っていった。

 霧のような濁った白は、いつの間にかオレのふくらはぎあたりの高さまで埋められている。

 なにか嫌な感情が伝わってきて、だんだん気持ちが悪くなってきた。

 オレはたった今プリントしてきた図面を設計書と一緒にまとめて、安本さんの受付ボックスにそれを置いた。


「……受付、お願いします」

「はーい。ありがとうございます」


 仕事が進まない苛立ちもあったんだろう。

 勢いよく噴出した魔王は、いつも以上にオレを威嚇してきた。


(――オレのせいじゃないのに)


 思わず顔をそむけたとき、足もとを埋めていた霧が一瞬で引いていったのを視た。

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