第8話 黒いオーラの話し。

「木村くん、どうかした?」

「……いえ、なんでもないです」

「あらら……安本さん、ひどいことになっちゃってるわね」


 間野課長は、安本さんの横に積まれた書類の山を見て苦笑した。


「木村くんはさ、漫画、読む?」

「ええ、まあ一応」

「安本さんってさ、ああいう忙しいとき、背後に不気味線出してるみたいに、黒いオーラが見えるような気がしない?」

「……不気味線?」

「ホラ、不穏なシーンとかで、キャラクターの後ろからモヤモヤ~っと黒いオーラが出てるの、見たことない?」

「あ~、はい。ありますね」

「あれがさ、見えるようなの。この忙しいのに、なんぴとたりとも私に話しかけるんじゃねえ! みたいな黒いオーラが」


 間野課長は、そういってクスクスと笑っている。

 オレとしては笑いごとじゃないくらい驚いたんだけど。間野課長曰く、安本さんは忙しくなるとそんな雰囲気を漂わせていて、周囲もそれに気づいているから、あまり触れないらしい。その空気感がまったく通じない人もいるそうだけれど……。


「でもね、単に集中したいだけみたいで、悪意があるとか相手が嫌いだからじゃないのよね。だから書類の受け渡しに声をかけるくらいは大丈夫なのよ」


 そう話しているあいだに、千堂副部長がチェック済みの書類を手に、盛んに安本さんに話しかけている。

 いつも皆にするように、にこやかに対応してはいるけれど、その頭上では魔王が激しく千堂副部長を威嚇している。


「でも魔王が……とても大丈夫そうには……」

「んん? なあに? 木村くんは安本さんを名前で呼んでるの?」

「えっ? 安本さんの名前って、下の名前ですか?」

「そう。真緒さんね」


 真緒さんというのか……。

 オレが言ったのは魔王だったんだけど、間野課長はどうやら聞き違えたようだ。


「下の名前で呼ぶなんてとんでもないですよ。話しをしたこともロクにないですし……」

「あら、そうなの? って、嫌だ。千堂くんったら。完全に安本さんの邪魔をしてるじゃないの」


 間野課長はそういって安本さんの隣で冗談を言い続けている千堂さんを追い払いに行った。

 そうだ、オレもこんなところで突っ立っている場合じゃない。書類を受付てもらって、次の報告書を作らなきゃ。

 急いで席に戻る。

 安本さんの後ろを通るときも、つい視線が魔王に向いてしまう。吊り上がった目がまたオレを睨んでいるけれど、不思議と吐き気も目眩も感じない。

 机に置いたままにしていた書類を手に、安本さんの横にある受付用のボックスにそっと入れた。


「受付、お願いします……」

「はーい。ありがとうございます」


 集中しているからか、モニターを見つめたままで、平坦な返事が返ってきた。

 魔王はオレが席に戻るまでずっとオレを睨んでいた。睨まれている割に、嫌な感じを受けないのが不思議だった。間野課長が、悪意がないと言っていたけれど、だからだろうか?

 視覚的には恐怖しか感じないし、の存在が気になって仕方ないんだけど。

 間野課長が言っていたように、話しかけてほしくないという安本さんからの空気は感じる。これをほかの社員さんたちも感じ取っているようだけれど、千堂副部長だけは、まるでお構いなしに話しかけに行っているのがすごい。

 

 お昼時には一度消え、安本さんは隣の部署の派遣さんと、書棚の脇に立って楽しそうに話しをしていた。

 よほど楽しいのかクリアな黄色だ。それが、チャイムが鳴って席についたとたん、ジワリと黒い色がにじみ出てきて、魔王がユラリと体を揺らす。


(こっ……わ……)


 これはおもての態度と感情の色が違う最たるものかと思ったけれど、間野課長の話しだと、多くの人が「黒いオーラを出してる」と気づいているようだから、また違うタイプなんだろう。

 怖いと思うのに当てられないのも、どうしてなのかわからないけれど、オレとしてはすごく助かる。この職場、好きだからできればまだ離れたくないからね。

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