第7話 驚愕した話し。

 月曜日。

 なんとなく気まずい気持ちで出勤してきた。


「おはようございます」


 フロアに入り、いつものようにあいさつをする。

 自分の席に座り、パソコンを起動するとまずはメールのチェックをした。数件の報告書用データが届いている。

 さっそくそれをプリントしていると、次々に社員さんたちが出勤してきた。その中に、安本さんの姿も見えた。

 入り口から通路を歩いてくるみんなを眺めて(あれ?)と思った。

 安本さんの色はいつもどおりだけれど、社員さんたちの色が一様にくすみ切っている。

 なにかあったんだろうか?

 フロア内の雰囲気も、いつもと違ってなにか不穏な空気が漂っているようで、乳白色の霧のような色がうっすらと充満してきた。

 普段から静かなフロア内が、さらに静かな気がする。良く見ると、オレの向かい側にある隣の部署は、デスクの島に数人の派遣さんを残して誰もいない。

 オレは隣の席にいる社員さんに聞いてみた。


浅川あさかわさん、隣、今日は誰もいないんですね。みなさん外回りですか?」

「あ~……隣ね。あいつら、当分のあいだ、現場なんだよ」

「えっ? 現場?」

「そうなんだよ。あちこちで、かなりの物件の現調が全然進んでないんだってさ」


 向かいの席の毛塚けづかさんが表情を曇らせてそう言った。毛塚さんの隣にいる門脇かどわきさんは、疲れ切った表情だ。


「金曜日の会議でそれがわかって。もうね、会議大荒れだったんだ」

「……そうなんですか?」

「すごかったよな。罵詈雑言の嵐。結局、隣のやつらが現場に駆り出されることになってね」


 浅川さんがその時のことを思い出したのが、苦笑いでそう言った。

 社員さんたちには申し訳ないけれど、オレはその会議に出席する立場じゃなくて、本当に良かったと思ったよ。

 普段から穏やかな雰囲気の人たちが集まって、そんなに荒れるなんて、どれほどなんだか。まして、罵詈雑言の嵐だなんて、一体どんな色で部屋が埋め尽くされていたことか……考えるだけで身震いしそうになる。

 土日は社員さんたちは休日出勤を強いられることになり、かなりの案件の報告書と図面を仕上げたそうだ。


(……なるほど。それでこの、みんなの色か……)


「支社からも結構な件数のデータが来ると思うから、木村くんも忙しくなっちゃうだろうけど……」

「図面とか、手に負えないと思ったら、オレらに振ってくれていいからさ」

「納期もあるから、その辺は遠慮しなくていいから」


 浅川さんと門脇さんはそういってくれるけれど、こんなに疲れ切った様子なのにそれもどうかと思って、オレも必死で頑張ることにした。

 ふと気になって、安本さんへ視線を向けた。安本さんの席はオレの斜め後ろだから、背中しか見えない。

 報告書や設計書を受け付けるために置かれたボックスに、書類が山積みだ。

 片手でそれらの物件名をチェックしながら受付をすると、ボックスのまま千堂副部長のデスクにそれを置いた。


「千堂さん、チェックお願いしまーす」


 無感情の声でそう言うと、すぐに自分の席に戻り、支社から届いたらしい報告書の印刷を始めている。

 急な忙しさのせいなのか、安本さんの肩あたりからジワッと黒っぽい色がにじみ出ている。

 オレもぼんやり見ている場合ではなく、データをもとに報告書の作成を始めた。お昼前には、朝に届いたメールの分を作り終え、安本さんに受付をしてもらおうと立ち上がって振り返った。


(――えっ?)


 安本さんの体から真っ黒い色があふれ出し、ちょうど頭の上あたりで、は形を成していた。


(……なんだあれ……まるで魔王じゃないか……こんなの初めて見た……)


 RPGゲームに出てくるキャラクターのような、真っ黒い影でコウモリの羽を生やし、角のようなとんがりのあるは、吊り上がった黄色い目でオレを睨んでいる。

 思わず後ずさりした足が椅子に引っ掛かり、バランスを崩して転んでしまった。


「木村くん、どうしたー? 大丈夫か?」

「あ……はい。大丈夫です。椅子に足が引っ掛かっちゃって」


 問いかけてきた浅川さんに苦笑いで答えると、オレは書類を机の上に置いたまま、トイレへと駆け込んだ。

 あんなふうに、人の色がなにかの形になっているのは、初めて見た。

 今のところ気分の悪さはないけれど、あんなのと一緒に同じフロアにいて大丈夫なのか不安になる。

 冷たい水で顔を洗って、フロアに戻った。通路の途中で立ち止まり、もう一度そっと安本さんに目を向けた。


(――やっぱりいる)


 は周りを威嚇するように漂っていた。

 呆然と立ちすくんでいたオレの肩を、誰かがたたいた。振り返ると間野課長だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る