カフェ店主はただの兄

天海透香

 


「ちょっと、琴理ことり!」


 放課後の教室。

 私・花堂琴理はなどうことりが帰ろうと荷物をまとめていると、同じクラスの凛ちゃんがセーラー服の襟の後ろを引っ張ってきた。


「ぐぇっ……!やめてよ、凛ちゃん。死ぬよ?」


 私は涙目で抗議する。


「この前の日曜日に男の人とスーパーにいたでしょ?あれ、誰?!新しい彼氏?!」


 凛ちゃんとは中学3年の今年初めて同じクラスになった。

 今は4月。

 だから、彼女はまだ知らないのだ。

 参観日や体育祭などのイベントにことごとく出現する兄のことを。

 毎年一年が終わる頃には、私に兄バカの兄がいることをクラスの中で知らない者はいない。

 ん?ちょっと待って、彼氏ってなんだろう?


「あの、私彼氏いるとかって話、したことあったっけ?」


 私の記憶では、未だかつて彼氏がいたことはない。


「だって琴理、この前まで2年の、えーっとほら、あのちょっとヤンキーっぽい美術部の……」

濱口大雅はまぐちたいが?」

「そう、それ!付き合ってたよね?」


 はぁ……。

 私は思わずため息をついた。凛ちゃんはすぐそっちに結びつけたがるんだから。


「大雅は、兄がちょっと関わっただけの近所の子だよ」

「あの子も可愛いよねぇ!ちょっとヤンチャっぽくてさ」

「……伝えとく」


「なんか俺の噂してました?姐さん」


 背後からひょっこり当の大雅が現れて、私は心臓が止まるほどびっくりした。

 ……みんなで私を暗殺する計画でもあるんだろうか?


「一緒に帰りましょう、姐さん!」

「君は美術部で芸術を爆発させて来なさい!」


 私は大雅を睨む。


「噂をすれば大雅くん。この子じゃないとするならじゃあ、本命は昨日の彼なんでしょ?!」


 なおも続ける凛ちゃん。


「え?昨日の彼って誰っすか?俺というものがありながら!」

「俺というものって……!君はただの舎弟でしょう、貴兄たかにいの!」

「傷つくなぁ……」


 大雅を無視して私は凛ちゃんに説明する。


「だから、昨日一緒にいたのは兄だってば」

「……へ?」


 凛ちゃんはぽかんとした顔をした。


「お・に・い・ちゃ・ん!」


 凛ちゃんの耳元ではっきり発音してあげる。


「えっ?えっ?……だってお兄さんてアラサーの引きこもりの冴えないおじさんて言ってなかったっけ?!」

「だからそうだったでしょ?27歳、インドアで小説ばっかり書いてる引きこもりの…」


 大雅はそれを聞いて吹き出した。

 凛ちゃんが興奮してわめく。


「見えない!!20歳そこそこかと思った!それに冴えなくないじゃない!どう見てもイケメンだったよ?!」

「あー、一応外出する時は身だしなみを整えてっていつも言ってるからね。でも中身はアラサー引きこもりの……」

「あれが兄じゃしょうがないよね…。琴理が誰にもなびかないわけだ…」


 聞いてない。

 凛ちゃんはブツブツ言いながら勝手に納得している。


「だいたい、中学生の私に20歳くらいの彼氏がいると思う凛ちゃんの感覚もどうなの!?」


 私が言うと凛ちゃんは、

「今時何があってもおかしくないっしょ!小学生が好きな大人だっているんだから!」

としたり顔で言う。


 そういう人と付き合ったらまずいんじゃないかと、私なんかは思うんだけど…。

 これ以上凛ちゃんの妄想に付き合うのは疲れるので、私はさっさと退散することにした。


「姐さんは下手に目が肥えてるから困るんだよな……」


 後ろ姿に向かって大雅が何か呟いているのが聞こえたけど、聞こえない聞こえない。


        *


 自宅兼カフェのドアを開けると、今日もカウンターの中から兄の貴兄たかにいこと花堂貴見はなどうたかみが笑顔で迎えてくれる。相変わらず涼しげな目元に口角の上がったきれいな口もと。


「お帰り、琴理。おやつに新作のバスクチーズケーキがあるから手を洗っておいで」


 貴兄の綺麗に整った顔を見たら、私はなんだか無性に反抗したくなった。


「いらない。太るから」


 そう言って、貴兄の横を通り抜けて2階の自室に行こうとした。

 途端に貴兄が大げさに動きを止める。


「琴理、ついに反抗期か……!今まで目立って反抗したこともなかった琴理が、ついに……。辛いが仕方ないね。これは成長することの痛みなんだね。きっとどの親も通る道だ……」


 ハッキリ言ってウザい。

 でも心なしか貴兄の目がうるっとしているのを見て、もうなんか反抗するのもバカバカしいっていうか……。


「……わかったよ。食べればいいんでしょ?バスクチーズケーキ!」


         *

 にこにこと見守る貴兄。

かくして今日も私は反抗することなく、「カフェ・一善」のカウンターでおやつのバスクチーズケーキを食べているのだった。


〈完〉

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