回答 「我間野 カエの場合」

 あぁ、もう嫌だ。胃が痛くなってきた。早く帰って水浴びがしたい。


「あたしゃね、もともとこの地にいなかった生き物なんだとさ。人が勝手に連れてきて、野に放って増えたと言われているさね。でもね、あたしゃ、ここで生まれ育って、ここが故郷なのさね。けれども他の連中に、お前はよそ者だよそ者だと罵られ、石を投げられ、追い出され。あら、悲しいや。およよよよ……」


 人気ひとけのない廃校舎の裏庭で、顧客のお婆さんに会ってから小一時間。延々と話を聞かされている。身振り手振りを交え、涙を流し、袖を拭い、また熱弁を繰り広げる。腰が曲がり、顔には深くしわの入った老婆だが、やたらと劇的な言動は若々しささえ感じられる。

 わたしは赤い日傘を差して突っ立ったまま、上役に言われたとおり、話を右から左に聞き流していた。


「どこへも行く当てがなくなって、途方に暮れていた時さ。あのお方に会ったのは。あのお方が化ける力を与えてくださって、あたしゃ、生きながらえることができたのさね。もちろん、最初は上手くいかないこともたくさんあった。犬に化けて、人に拾われ捨てられたこともあったさ。猫に化けて、縄張りのボス猫に引っ掻かれたこともあったさ。それでもあたしゃね、懸命に、生きて生きて、生きてきたのさね。あぁ、なんて健気な、およよよよ……」


 お婆さんはその場でくるりと宙を回り、人の姿から犬の姿に変わり、猫の姿に変わり、そしてまた人の姿になる。化ける力の使い方は上手いようだ。その技量と話術を、別のところへ活かせないのだろうか。


「うぅ……、おばあさん、大変だったんだね……」


 そして、コンはさっきから涙を流して、お婆さんの話に聞き入っている。

 ここに来るまでは人の姿だったが、今は感極まって耳も尻尾も丸出しだ。溢れる涙を拭いながら、耳はぺたんと垂れて、尻尾も垂れながら左右に揺れている。

 その様子を見て、お婆さんは感激したように両手を広げた。


「わかってくれるかね、狐の子よ!」

「うん! ぼくはおばあさんの味方だよ!」


 ふたりは頬を涙で濡らしながら、ひしと抱き合った。

 コン、お前はなにをしにここへ来たんだ。


「というわけだから、おねーさん! おばあさんに化ける力をもう少しだけ貸してあげようよ!」


 コンはお婆さんから離れると、わたしの袖にすがりつく。金色の目を潤ませながら、訴えかけてくる。

 お婆さんは「およよよ……」と袖を濡らして泣くばかり。

 涙でぐしゃぐしゃになったふたりの顔を見比べて、わたしはため息を吐いた。


「ダメだ。今すぐ『化ける力』を返せ」

「「鬼! 悪魔! 人でなし!」」


 お婆さんとコンが、声を揃えてわたしを罵った。

 なんとでも言え。わたしは人ではない。


「コン、騙されるな。お婆さんの言っていることは九割がた嘘だ」

「えっ、そうなの?」


 コンがきょとんと首を傾げる。

 その背後で、お婆さんの動きがピタリと止まった。


「化ける力を手に入れてから、なにをしていたか調べさせてもらった。お婆さんは、犬にも猫にもなっていない。ずっと人に化けていて、近所の人々に、食べ物をもらったり金を貸してもらったりしながら暮らしているそうだ」


 迫真の演技と巧みな話術で、人間たちを味方につけ、立ち振る舞っているという。


「じゃあ、よそ者扱いされて追い出されたって話は?」

「それもおおむね嘘だ。確かに、お婆さんはこの土地では外来種扱いになっているが、住処には他の同種が今もたくさんいる。追い出されたわけではなく、興味本位で自ら住処を出ただけだ」


 その後、道に迷って途方に暮れ、上役の目に留まったのは間違いないらしいが。

 コンは首を捻って、後ろを見た。

 お婆さんは袖で顔を隠し、「およよよよ……」と言っているが、その声はさきほどよりも自信なさげだ。


「そもそも、我々『化貸屋』は『化ける力』を商売をしている。さっき、力を与えてくださったと言ったが、正しくは貸しただけだ。契約期間はもう過ぎている。今すぐ力を返して、利子も支払ってもらう」


 しばし、沈黙が流れる。

 お婆さんは顔を袖で隠したまま、深くうつむくと、小さな声を零した。


「わかったよ……」


 だが、そう言うと途端に膝をつき、地べたに座り込んで嗚咽の声を漏らす。


「ただ、せめてもう一度、もう一度だけ、化ける力を使わせてくださらんかね。どうしても、どうしても、最後になりたいものがあるのさね」


 まるで土下座をするように、地べたにひれ伏して手を合わせる。

 コンがまた涙を誘われ、わたしの袖を握った。


「おねーさん、おばあさんのお願いを聞いてあげようよ! もう一度だけって、言ってるんだからさ!」


 コン、だからお前はなにをしにここへ来たんだ。

 そうは思いつつ、わたしは懇願するお婆さんを見下ろした。なにを言っても泣きつかれそうだ。深くため息を吐き、しぶしぶ首肯する。


「わかった。あと一度だけだ。それが終わったら返してもらう」


 コンの顔が、パァーッと明るくなった。


「やったー! よかったね、おばあさん!」


 そう言って、ふと疑問に思ったように、首を傾げた。


「ところでさ、おばあさんは、なにに化けるの?」


 お婆さんは、地面にひれ伏した姿勢で、動きを止めていた。もう、すすり泣く声は聞こえない。かすかに上がった顔から、チロリと出された舌先が見えた。にやりとした狡猾な笑みが。


「それはね、これさね!」


 言うや否や、お婆さんは地を強く蹴り、真上に跳んだ。老婆とは思えない跳躍力。そのまま空中で一回転すると、その影がどんどん大きくなっていき、わたしたちを呑み込む。


「ちっ!」


 わたしはコンの手を握り、傘を捨てて飛び退いた。次の瞬間、落下してきた大きな影が、赤い傘を押し潰す。

 目の前に現れたのは、六メートルほどある巨大な茶色いカエルだった。


「お、おばあさん!? なんでこんなに大きくなっちゃったの!?」


 コンは状況についていけないようで、目を白黒させている。

 巨大ガエルとなったお婆さんは、大きな口をニヤリと曲げた。


「それはね、お前たちを食べるためさね!」


 口の中から舌が飛びだし、目にも留まらない速さでわたしたちに向かって――。


「コンっ!」


 わたしはコンから手を離し、そのまま突き飛ばした。

 コンが「わっ」と声をあげて、地面に転ぶ。

 わたしの身体に、カエルの舌が巻き付いた。


「おねーさん!?」

「来るな!」


 舌がぎちぎちと身体を締め上げる。そのまま舌はわたしを口へ運ぼうと引っ張る。足を踏ん張ってはいるが、地面をずるずると引きずられていく。


「あたしゃね、この力が気に入っているのさね。奪われるくらいなら、喰ってしまうだけさ。徴収人ごときが、あたしゃの敵ではないさね!」


 巨大ガエルは目を弓なりに曲げて、「あひゃひゃひゃ!」とあざ笑う。舌の締め付けがさらに強くなる。もうカエルの足もとまで、身体が引きずられている。


「まったく。舐められたものだ」


 さっきから舌の唾液が、身体にまとわりついて気持ち悪い。早く家に帰って、水浴びがしたい。

 わたしは足を踏ん張ったまま、全身に力を込めた。


「なにをするつもりさね? ……あ? あちゃ! あちゃあちゃあちゃ!?」


 わたしの身体が、舌の束縛から解ける。

 巨大ガエルが悲鳴を上げ、やけどの負った舌を振り回した。

 身体に巡る高熱を感じながら、わたしは背に朱色の翼を生やして飛び上がる。


「この炎、喰えるものなら喰ってみろ」


 身体に込められていた熱が、外へ発散され、炎を形作る。わたしは右の手のひらを上に向けた。身を渦巻く炎が、右手の上に収束していく。

 業火の塊を握り締め、巨大ガエルに向かって急降下する。


「い、いやぁ! いやさねぇっ!!」


 巨大ガエルの舌が、わたしをたたき落とそうと振り払われる。

 だが、その攻撃は宙をかするだけ。

 わたしは舌をかわし、巨大ガエルの懐の下に降り立った。そのおしゃべりな口をめがけて、拳を突き上げる。


「ゲコォーッ!?」


 巨大ガエルが、殴り飛ばされ宙に浮く。直後、その体が紅蓮の炎に包まれた。

 後ろでコンが、「ファイヤーアッパーカットだ!」と尻尾を揺らしながら叫んでいる。勝手に技名をつけるな。

 頭上で燃える炎の塊が、しだいに小さくなっていく。その中からポロリと、小さな生き物が落ちてきた。手のひらほどの茶色いカエルが、地面に仰向けになってピクピクと足を震わせていた。


「ガマガエル――人の名を、我間野がまのカエ」


 わたしは着ている黒スーツの懐から、一枚の白い札を取り出した。それを人差し指と中指に挟み、ガマガエルに向かって伸ばす。カエルの腹に文字が浮き出て、札の中へと吸い込まれていく。

 札に呪文が書かれていることを確認し、わたしはその札をまた懐にしまった。


「これで、『化ける力』は回収した」

「ゲロ!? ゲロゲロー!」


 ガマガエルは目を覚ますと、手足を地面につけて、逃げるように跳ねていく。


「待て。まだ利子が残っている。コン」


 言うと、コンが飛び跳ね、カエルを両手で捕まえる。カエルは悲痛な声を上げるが、もう化けられないから得意の話術は使えない。


「よくやった。そのまま持っていろ」


 コンが両手でカエルをつかんだまま、わたしのそばへ駆け寄った。


「どーするの?」

「食べろ」

「えっ? いいの!?」

「ゲロッ!? ゲロゲロゲーッ!!」


 コン、口の端からよだれが出てるぞ。お婆さんに対する同情はどこへ行った。

 ガマガエルは顔を青くしながら、必死に手足をばたつかせる。体からは脂汗が噴き出して、滴り落ちていく。

 わたしは懐から小ビンを取り出し、カエルの下に置いて、落ちる汗を回収する。


「なにしてるの?」

「ガマの油は妙薬になる。これが利子代わりだ」

「どのくらい回収するの?」

「絞り取れるだけ絞り取る」

「おねーさん、えぐいね」

「わたしは仕事をしているだけだ」


 仕事が終わったら、このカエルはもとの住処に戻せばいいだろう。老体はそこで穏やかな余生を過ごせばいい。

 それにしても、乾いた唾液がスーツにへばりついて気持ち悪い。胃も痛いし、早く帰って水浴びがしたいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

化貸屋徴収日記【ハーフ&ハーフ3参加作品】 宮草はつか @miyakusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ