どうかいつまでもクズなあなたでいてください

亮兵衛

どうかいつまでもクズなあなたでいてください


『天網恢恢疎にして漏らさず』

 天はいかなる悪事も見逃さない。

 悪人は一時的には逃げおおせようとも最終的にはその報いを受ける。

 因果応報、自業自得、悪因悪化、向天吐唾。

 悪事を働き周囲に迷惑をかける輩を見かけては、そういった言葉を頭に思い浮かべていずれ天罰が降るのだろうと連中に対して憐れみの感情を抱いていた。

 そう、これは思いやりなのだ。

 いずれ地獄に堕ちる憐れな人間に対する少しばかりの思いやり。

 いかに悪人といえども人間が地獄に堕ちるその瞬間の絶望は計り知れない。

 きっとそいつは、自分が地獄に堕ちるなんて夢にも思わなかったことだろう。

 その苦しみを想像だにしていなかっただろう。

 だが、それも仕方ないのかもしれない。

 悪事は身に返るのだから。

 地獄に堕ちるものは堕ちるべくして堕ちていく。

 不幸になるだけの理由があるのだ。

 それでも、同情を禁じえない。

 真っ当な人間なら共感してもらえるだろうか。

 そう、これは思いやりなのだ。

 他の感情などない。

 決して。



 

「おせーんだよ、さっさとしろよジジイ!」

「も、申し訳ございません・・・」


 怒鳴り声でコンビニ店員を威嚇する若者。

 何がそこまで気に入らないのか、レジのカウンターを蹴り散らかすおまけ付きだ。

 立場の弱いものをいびるその姿に、おれは嫌悪感と憐れみを抱いた。

 そんな言動でしか自己表現ができない、育ちや頭の悪さに。

 そして想像する。

 彼にこの先待ち受ける数多の不幸を。

 彼の素行の悪さが災いし、いずれ取り返しのつかない傷跡を残すのだ。


「・・・んふ」

「てめえ、なににやにやしてんだよ!」


 気がつけば若者の矛先はレジに並んでいたオレに向けられ、謎の難癖をつけ始めた。


「あ、あ、いや・・・べ、別に」

「キモい面でじろじろ見やがってよ・・・なにか文句あんの?」


 見ず知らずの人間の容姿を貶す。

 思った通りの育ちの悪さだ。


「え・・・な、にも、いや別に・・・」

「は?はあ?なんて?うぜーんだよ全然聞こえないんですけど」


 貧しい語彙力。

 言葉ではなく態度や暴力で何でも解決してきた証拠だ。


「だから、その・・・なにも」

「くせーんだよ!喋らないでもらえるー!?」


 ひとの話を掻き消すようにでかい声で、根拠のない罵倒。

 世の中にはどうにもならないクズがいるものだと、改めて実感した。


 同じ人種がどこにでもいた。

 どこにでもいる、普通のクズ人間。

 こんな人間を憐れに思うようになったのは、中学生の頃からだったか。

 似たようなやつらがいた。

 人の容姿を貶し、言動を笑い、存在を蔑んでいるようなクズどもが。

 最初は憎んでいた。

 なぜこんなにも責められなければならないのか。

 徒党を組んで一人を寄ってたかって攻撃して。

 恨みが募り殺意を抱いたこともあった。

 我慢の限界に達し暴れて反撃しようかと考えた時期もあった。

 だが・・・。


 ・・・暑い、汗をかいてきた。

 このコンビニ空調強すぎないか?

 頭が痛い、めまいもする。

 風邪でもひいたか。

 なんだか調子が悪い。

 すぐにここから離れよう。


「おい!逃げんじゃねえよ!」





 夜風にあたり、だいぶマシになった。

 おかしなやつと同じ空間にいると気分も悪くなるものだ。

 思い返してみても清々しいまでの悪人ぶりだ。

 対応していた店員には同情する。

 ・・・いやしかし、真に同情すべきはやはりあの若者か。

 あのような立ち振る舞いを続けていればいずれ報いを受けるに違いなだろう。

 恨みを集め、人望をなくし、自ら生きにくい人生を歩んでいくことになる。

 おれには理解できない。

 なぜ進んで地獄に堕ちようとするのか。





「・・・」

「・・・あんた、また財布からお金抜いたでしょ」


 深夜だというのにお袋はおれの帰宅を起きて待ち、ぼそっと言い放った。


「小腹が空いたから。大した額じゃないんだからいいだろ」

「この前ゲーム代渡したばっかりなのに・・・」

「うるせーな黙れよババア!」

「・・・」



 歳をとるとなぜ小言が増えるのだろうか。

 自分の思い通りにならないとイライラする人間が多すぎる。

 こんな世の中では、おれがこうなるのも仕方のない話だ。



 ネットニュースを流し見していると、いろんな人間の悪意が情報として入ってくる。

 芸能人の不倫、政治家の汚職、傷害事件・・・。

 一般に成功者と呼ばれる人種であっても、底辺とされる人種であっても、

 悪事を働けばみな等しく、罰を受けているのだ。

 これほどわかりきった結末をどうして迎えてしまうのか、やはりおれには理解できない。

 かわいそうだと、憐れむ気持ちが強くなる。

 どれだけ外面をよく見せても、根っからの悪が顔を出す瞬間が必ずある。

 天はそれを見逃さない。

 それをおれは知っている。

 だからおれは欠かさない。

 いずれ報いを受けるだろう人間たちの監視を。

 どういう結末を迎えるのかを見届けるべきなのだ。



 コンビニで昔を思い出したからか、中学時代の夢を見た。

 群れなければなにもできない、クズたちの顔。

 今でも鮮明に覚えている。

 SNSで監視を続けているから彼らがどう成長したかもわかる。

 彼らがどのような報いを受けるのか、見届けるために。


 当時、小さな報いが下ったことをよく覚えている。

 度胸試しと銘打ち、おれに橋の上から川へ飛び込ませようと強要してきたときのことだ。

 悪童衆のお調子者枠担当と言える男が一人、おれが川へ飛び込む様を特等席から見物するとでも言わんばかりに橋の手すりの上に立って覗きこんていた。

 だが余りにも食い入るように体を傾けていたため、バランスを崩し川へ転落したのだ。

 それからの奴らの慌てふためきようは正に滑稽だった。

 想定外のことが起こるとこうもこいつらは弱いのか、と。

 飼い犬の芸をお披露目しようと下卑た笑みを並ばせていたが一転、飼い主は図らずとも自分でネタをバラしてしまったのだ。


 川の流れはゆるやかで大事には至らなかったが、度胸試しどころではなくなったためその日は流れるように解散した。

 後日、なにごともなかったかのように小悪党に戻ったやつらだったが、橋の上で踊るように慌てていた姿を思い出していたおれとしては、やはり憐れみの気持ちしかなかった。

 今はこの程度で済んだがこれから先、このまま非行を続けて善悪の秤が悪に傾き切ったとき、どのような結末が待っているのか。

 ・・・想像するだけで震えが止まらない。



 翌日、不快な夢を見たせいか、体がだるく陰鬱として気分だった。

 雨が降っているが気晴らしに散歩に出る。

 雨の日に出歩くのを嫌う人間は多いが、おれは好きだった。

 傘をさせるから。

 人と目を合わさず、人の動向を観察できる。

 人間観察を必要とするおれには必需品だ。




「あ・・・」

 横断歩道で早足でズカズカと歩いてくるサラリーマンをすんでのところで避けた老婆が転倒した。

 自分が原因であると知ってか知らずか、その瞬間さらにスピードを上げて去っていくあの男は一体なにを考えているのだろうか。

 罪悪感を覚えその場から一秒でも早く逃げ去りたかったのか、老婆が転倒したという事実をただ認識しただけか、そもそもなにも見えていないのか。

 いずれにしても余裕を失い忙殺された毎日を送る悲しい性を持たされた社畜だと、俺は同情した。

 なぜ、自分のためでもなく、他人のためでもなく、会社のために生きるのか。

 社会の歯車とはよくいったものだ。

 給与という油をさされ小気味よくカチカチと動くその歯車は、なるほどちょっとやそっとの異物などお構いなしに跳ね除け、押し潰し次の歯車を回すのだろう。

 その異物こそが、人が人らしく生きるために必要な要素であるとも知らずに。




「お母さーん、どこー!?」

 駅前で子どもが迷子になっている。

 それを我関せずで見ないふりをし素通りする大人たち。

 思いやりを持てない社会の歯車はあのサラリーマンだけではないのだ。


「恵まれない子どものために募金と署名をお願いします」

 公園の広場で募金活動を行っている団体がいる。

 ここでも大半の人間は素通りだ。

 彼らの訴えに何か感じるものはないのか。

 見て見ぬふりをすることに心は痛まないのだろうか。


 街中を観察しているとどこにでもいることに気が付く。

 人の不幸に無関心でいられる心無い人間が。

 そう、無関心も悪なのだ。

「自分には関係ない」と、対岸の火事だと決め込むものは決定的に想像力不足なのだ。

 明日は我が身とどうして考えられない?なぜ人の気持ちに寄り添えない?

 それはおそらく、自分の身と心を守るためなのだとおれは結論づけた。

 文字通りだ。近づきすぎると類焼するから。

 寄り添いすぎると心を壊すから。

 みな、当事者にならないよう必死だということ。

 そうまでして自分という存在が侵されないように守るその姿は、やはり傍から見れば憐れに思う。

 全ては自分に返ってくる。

 善行も悪行も、他人に振る舞えばいつの日か同等かそれ以上のソレが自分の身に降りかかってくる。

 おれはその片鱗を、過去に見てきたのだ。




「・・・ん?」


「ですから、画面にタッチしていただくだけで結構ですので・・・」

「おれが20以下のガキに見えるってのか!!」

 コンビニのレジには典型的な老害がモンスタークレーマーとなり店員に怒鳴り散らしていた。

 いや、あの手の人間は歳をとる前からああなのだろう。

 人間、そう簡単に人格が変わるものではない。

 善人はいつまでも善人、悪人はいつまでも悪人というのが世の真理だ。

 だからこそ、いずれくるしっぺ返しはさぞ痛烈なものになるだろう。

 それが不憫でならないからおれはいつもこうして——-

「いやーお父さん、店員さんも年齢確認は仕事に一つとしてやってることですから、ね?」

「あ!?おいおれはこいつと今話してんだよ黙ってろ!」

「だから、お店のマニュアルでしょうから」

「うるせえってんだよ!」

「あー、お父さん・・・酔ってますね?」


 ・・・客の一人が仲裁に入った。

 あまり見ない、珍しいパターンだ。

 無関心と悪が蔓延るこんな世の中でなんとも奇特な人間もいたものだ。

 きっと根っからの人格者で選挙にも当然のように欠かさず投票にいくようなああああ———

「 ・・・え?あ?あ、あ」


 逃げ出したくなるような気持ち悪さがその空間にはあった。

 すぐにでもその場を離れたかったが、沼にでもハマったかのように足が地面にこびり付いてしまった。

 そして一種の放心状態で、人格者の客と老害の問答をただひたすら眺めていた。

 なにか、おかしい。

 頭の中でいろんななにかが瓦解し始めた感覚に陥った。

 あの人格者の顔を、おれは知っている。

 そして、一致しなかった。

 その人格者と、おれが知りうるあの顔の男の人間性が。

 お前はそんな人間じゃなかったはずだ。

 お前は、だれだ。


「・・・もしかして、君・・・」

 いつの間にか老害を撃退していたそいつはおれのほうを見て、バツが悪そうに話しかけてきた。

 違う、知り合いじゃない。

 やめてくれ。





 気がつけば二人肩を並べて歩いていた。

 この状況はなんだ。

「中学生の頃、だよな。ずっと後悔してた。」

 ・・・後悔?

「大勢で寄ってたかって・・・最低なことしてたと思う。

 いじめてるなんてこと、当時は全然自覚できてなかった。」

 ・・・いじめ?

「こんなこと今更謝ったって許されることじゃないよな・・・。でも、ほんとにごめん。

 おれがバカだったんだよ。人を傷つけて自分が強くなった気になって。くだらないおれの見栄で、追い詰めちまった。」

 何を言っているんだ、こいつは?

 謝っているのか?どういうことだ。

 ・・・善人になろうとしているのか?それは無理だ。

 お前は根っからの小悪党だろう。

 生涯お前はしょうもない悪を働き続け、溜まりに溜まったそのツケを人生のどこかで一気に払う、その日がくる。

 そのときにようやく、お前は自分の所業に気づくのだ。

 ああ、自分がやってきたことはなんて愚かなことだったんだろう、と。

 自分の人生の価値に、最後の最後に絶望するときがくる。

 そんな人間だから、おれはお前に同情していたのだ。

「おれ、ずっとどうすれば償えるのかとか、高校入ってから考えてた。だけど卒業と同時に君には連絡つかなくなったし、仮についたとしても面と向かって謝る度胸がなくて・・・今日ばったり会って流れで謝るなんて、やっぱ最低だよな・・・。」

 うるさい。

 おれに同情させろ。

「罪滅ぼしってわけじゃないけど、なるべく困っている人いたら助けるようにとか、ボランティアとか献血とか、そういうことはやるようにしてるんだ。」

 どうでもいい。

 同情させろ。

「ほんと、だからなんだって話だけど・・・でも、謝りたかったってのは本当なんだ。すまなかった・・・。」

 同情させろ。






「あ・・・」

「大丈夫ですか?立てますか?」


 クズの顔。

 クズのはずだった顔。

 今老婆に救いの手を差し伸べた女は、橋の上で飛び込む寸前の俺を指差して笑っていた女だ。




「ひっぐ、ひっぐ・・・」

「どうしたの?迷子かな」


 クズの顔。

 元、クズの顔。

 迷子に声をかけたあの男は、稚拙ながらも罵詈雑言を俺に浴びせていた男だ。



 人格者のような男と別れたあと、帰路についたおれはあの雨の日と似て非なる光景をいくつか見た。よく晴れた日だった。

 おれの中に孕んだ矛盾を嘲笑うかのように、人助けを行なった人間たちは過去、おれがクズと断定していた人間たちだった。

 更生したのか?まともになったつもりなのか?

 それは無理だ。

 おまえらが真人間になるのは地獄を体験したあとのはずだ。

 それとももう落ちたのか?

 いや、一日も欠かさずチェックしていたはずだ。

 おれがその瞬間を見逃すはずがない。

 じゃあなぜあんな善行ができる?

 わからない。

 わからない。

「・・・同情させろ。」





 今もなおSNSでやつらの言動はチェックを続けている。

 理由は同じだ。

「報いを受けるその瞬間を見届けるため」

 ・・・そのはずだったが、今はもう別人の日記を見る思いである。

 おれの知る彼らは中学のときの彼らだった。

 常にチェックしているからその変化に気づかなかったが、

 よく考えて見てみると、かれらのそのつぶやきからは過去の人間性は全く出ていなかった。

 まともになったつもりなのだ。

 おれを取り残し変化していこうというのだ。

 あまりにも虫が良すぎないか。

 おまえらはクズだからこそ、今後待ち受ける困難に苦悶の表情を浮かべるはずだった。

 クズであり続けるからこそ、過去と未来のバランスが取れていたのだ。

 ・・・同情させろ。

 今後の絶望の未来に。

 更生するな。

 いつまでもクズであり続けてくれ。

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