最終話

彼女と別れ、俺は出費が変わらない。

なぜか。


なぜか俺は飯田いいだの家の食堂に、一日置きに通っているのだ。

なぜか飯田の家の飯は、金を無駄にしていると思わなかった。

昔、婆ちゃんの家で食べた飯と似たような味がするからだろうか。


懐かしい味を食べると、どうして泣きたくなるのだろう。


俺は飯田の家の飯を食べながら、何度も泣きそうになった。


俺がこんな小さな食堂に通っている理由は、どうして飯を食べると泣きたくなるのかを知りたいだけだと思う。

普段と同じようにひとりで食っているのに、何が違うのだろう。

実家にいた頃、母親の飯を食って泣いたことなどなかった。


母は、毎日ため息をつきながら飯を作ってくれた。

「あんたが公立に行ってくれれば、もう少し楽ができたのに」

そんな言葉を毎日聞いた。

たいしたことは言っていないと思う。

死ねと言われたことはないし、家族から暴力を受けたこともない。

でも、そう言われて食う飯は味がしなかった。


食事はただの栄養補給。

体を動かすために毎日、機械的に食えばいいと知った。


飯田の家の飯は、機械的に食うものではない気がする。

理由はわからないが。



俺は学生の内から、マネジメント経験を積みたいと考えていた。

気が付いたら、飯田の家の経営に口を出していたし、気が付いたら飯田の家でバイトしていた。

気が付いたら、飯田を「陽介ようすけ」と呼んでいたし、気が付いたら飯田の父さんを「大介だいすけさん」と呼んでいた。

気が付いたら、飯田食堂に俺の部屋ができていたし、大学を卒業した俺は飯田食堂の社員になっていた。


この2年半。

俺は何も考えていなかったと思う。

でも、それでいいと思ってしまった。

元々理由もなく、貯金していた。

金がある人間が、価値のある人間だと思っていたから。


当時大学生だった俺より、飯田食堂には貯金がなかった。

でも俺と比較にはならないほど、飯田食堂には価値があると思った。

そう思ってしまったとき、はじめて俺の中の価値観が歪んだ。


金がかかる人間はクズで、金を稼げない人間は不要。

金のある人間ほど贔屓されるし、金を使いまくる人間は卑下される。

それが常識である。


この考えは、本当に正しいのか、と。


元カノは金がかからない女だった。

でも、いい人ではなかった。

さんざん俺のデマを流した挙句、男性地下アイドルにハマり、その貢ぎ金を稼ぐために大学を辞めた女である。


しかし同じ大学を辞めた飯田陽介はクズではないと思う。

この2年半で飯田食堂は、ぎりぎり黒字になった程度。

けして儲かっているわけではない。

でもなぜか、この食堂には、この男には価値があると思ってしまった。


大学生になってから、ろくな飯を食っていなかったから、思考が鈍ってしまったのだろうか。


俺は、学生バイトの割には金があったと思う。

親の仕送りなしで、100万近い金を貯めていたから。

けれど、当時の俺は金があるだけで価値はなかったと思う。

金を貯めるだけで、何も生み出してはいなかったのだから。


俺にとって金は、安定剤だったのだ。

通帳の数字を見るだけで、安心できた。

俺はこんなに金を持っている。

俺は100万も一人で稼いだのだと。


しかし年収を100万以上稼いでいる人なんて、山ほどいる。

飯田食堂もそうだ。

あんな小さな食堂でも、俺より稼いでいた。

今では当たり前の結果だと思える。

しかし当時の俺には、隕石が地球に衝突したレベルで衝撃的だった。

それほど俺はガキだったのだ。



大介さんに連れられて、俺はメンタルクリニックに通いはじめた。

まだ1年ほどしか経っていないが、俺はどこかおかしかったのだと思う。


大介さんにも、陽介にも俺の家庭環境について聞かれたことがある。

でも答えられなかった。

二人に話して俺はすっきりするかもしれないけれど、二人にはリターンがないと思ったのだ。

しかしメンタルクリニックの医師には、すべてを話せてしまった。

他人なのに。

いや、他人だからかもしれない。


医師は患者の状況を把握することが仕事だ。

医師には給料も発生している。

医師にもリターンがあるという事実が、俺の口を軽くさせた。


高校受験へ失敗したことを機に、家庭内で居場所がなくなったこと。

金がすべてだと感じたこと。

金さえあれば、自分の存在が肯定されると思っていたこと。


気が付いたら泣きながら医師に過去をぶちまけていた。

金を使ってまでメンタルクリニックに通う必要があるのかは、わからない。

でも俺みたいにひねくれた人間は、金を払わないと他人に悩みをぶちまけられないのだ。


今もクリニックには月一で通っている。

でも今は、愚痴をぶちまけるためじゃなくて、金に対する歪んだ価値観を正すために通っている。


陽介も大介さんもいい人だ。

俺もあんな風になりたいと思った。

そのためには、まず、俺の歪んだ価値観を正す必要があると思った。


女のためじゃなく、馬鹿な友人とその父親のために、俺は変わる決意をした。

アイツと大介さんと、飯田食堂を続けていくために。

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金目の転換 椨莱 麻 @taburaiasa

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