第60幕 サイレント•デイ•ドロップス 1

#血族


屋敷の庭園の剪定と屋敷裏の丘の手入れの途中、衝撃の事実を聞かされたメリルは体調を崩した。

マリーとスージーはメリルの心を落ち着かせるため屋敷のキッチンで紅茶を淹れていた。


1階の隅の応接室でメリルは気を静めている。

ダイニングテーブルの中央に置かれた燭台の揺らめく火を虚ろな眼差しで眺めるメリルは静かに座っていた。


メリルの目の前にティーカップが置かれ、マリーが紅茶を注ぐ。

薄くスライスしたレモンがカップの縁に飾られている。

「ありがとうございます、マリーさん…」

「いいえ…」

今は傍に居て差し上げないと…、ひとりにさせてはダメですね…。

「これ…私が作ったブラウニーです…、良かったら食べてください…」

スクエア型のブラウニーの乗った皿を申し訳なさそうに差し出すスージー。

「ありがとうスージーちゃん」

スージーはメリルの右隣に座り、メリルの手の甲に左手を優しく添えた。

「ごめんなさい、私の配慮が足りませんでした」

「スージーさんは悪くありません。私が今まで説明していなかったのがいけなかったんです…」

ただ、メリルさんは月に1度、留置所の旦那さまとは面会されているはずなのに、旦那様からダニエル坊っちゃまについては一切語られていなかったということ。

「私もこのお屋敷のメイドとして使えた時はウィルソン坊っちゃまとダニエル坊っちゃま本当の兄弟だと聞かされました。メリルさんは旦那様とはどういう経緯でお知り合いになられたのですか?」

「…彼と出会ったのは私が15歳の時でした―」

メリルは口を付けていたカップを皿の上に戻し、天井を見上げ語り始めようとした時だった。

先ほどまでの晴天は曇り始め、静かな雨がポツポツと客室の窓を叩くようになっていた。

庭園の木々が風に揺れ、擦れる音も聴こえてくる。

「さっきまであんなに晴れていたのに…」

スージーが外を眺めつぶやく。

すると風の叩き付ける音ではない何かが玄関の扉をノックした。

一度ではなく、二度三度と。

「なんでしょう…。私が見て参ります」

マリーは椅子から立ち上がり玄関へ向かった。


マリーが扉の前に立つと、ピリリと空気が張り詰める感覚があった。

ドアノブに手を掛ける前に気付いた違和感。

この扉の向こうに居るお方は普通の人間では無いなにか…。

扉の上部のステンドグラスから覗く黒い影。

ステンドグラスに届くということは身長は5mは越えているだろう。

「スージーさん!メリルさんを連れて逃げてください!」

ただ者ではない邪悪なオーラを感じて2歩後退りをした。

この方を屋敷の中に入れるわけには行きません!

「あなたは、いったい何者ですか!」

屋敷の壁に叩き付ける雨と風の音に混じり微かにかすれ声が聞こえたが返答は無い。

「マリーさん?外には誰が…」

マリーの声を聞きつけスージーとメリルが廊下に顔を出す。

「キッチン奥の食料庫にしばらくの間身を隠していてください。私が迎えに行くまで決して開けないでください」

マリーさんは平静を装っているが、ただ事ではないことは察しがついた。

「そんな!マリーさんお一人で…」

「急いで!」

マリーさんは目の前の不審者に背中を見せないよう両手を広げ、私たちを逃げるよう促した。

「食料庫…、行きましょうメリルさん!」

「はい!」

スージーはメリルの手を引きキッチンへと向かった。


外に佇む人物は扉をトトン‥トトン‥とノックした。

マリーは意を決し、再びドアノブに手を掛け勢いよく扉を開け放った。


すると目の前にはマリーより少し背の高い灰色のフード付きのローブを着た人物が扉より3mは離れた石畳の上に立っていた。

先ほどの5m以上の影はいったいなんなのだろう…。

「ぁ…ようこそ、いらっしゃいました」

マリーは平静を装い、いつも通りの接客で会話を試みる。

ローブの人物が目深に被ったフードを脱ぐと露にしたのは、茶色味がかった金髪と目鼻立ちの整った大人の色っぽさのある女性だった。

前髪はセンター分けで左側だけ長く片目を隠しているようだった。

後頭部でポニーテールにした髪はフードを被っていたせいか癖が付き乱れている。

「―…モンタナ…」

ローブの女性は私の顔を見るなり目を見開き、聞き覚えの無い名前を口にした。

「いいえ、私の名前はモンタナではありません。マリーと申します。失礼ですがあなた様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「失礼…、人違いなのね…。私の名前はジュディ。”ジュディ•ラド•ウィンターズ”よ」


「ジュディ•ラド•ウィンターズ…さん」


ウィンターズということは旦那様のお知り合いなのだろうか。

しかし私がこの屋敷にメイドとして仕えるようになって、そのような親族の名前を聞いたこともお会いしたことも無い。

どうして今になって姿を現したのか…。

「あの…、ダグラス様とはどういうご関係でしょうか?」

「ダグラス?あぁ…、アリアの契夫(フェアマンテ)よね?アリアはもう死んだでしょ?死んだ妹に興味は無いわ。この屋敷にはまだ"子供"が居ると聞いたのだけれど…、会わせてもらえる?」

ダグラス様のことも、奥様が亡くなられたことも知っているにも関わらず、一度も顔を会わせたことが無かったジュディという女性。

「子供とはどなたのことでしょうか?この屋敷に小さなお子さまはおられません」

「…まぁいいわ。中に入れてもらえる?」

私は表情を変えず、右太腿に忍ばせているシースナイフに手を伸ばした。

「…そんな殺気立たなくても大丈夫よぉ。すぐに捕って食べたりなんてしないからぁ」

(っ!しまった…、気付かれた…)

するとマリーの足の下を冷気のような風がするりと通り過ぎた。

「はいこれ没収~。よく研がれているわね」

ジュディがニヤリと笑うと、ジュディ左手にはマリーが隠し持っていたはずのナイフが握られていた。

「君は何も知らないようだ…」

「…そんな!!っ」

ジュディは3mはあった間合いを一瞬にして詰め寄った。

マリーの両手を頭上で拘束した5mの黒い影。

ギロリと見開いた眼孔、口裂け女のような大きな口でジュディはねっとりと囁いた。

「良いこと教えてあげるわ。可愛いらしいメイドさん」

背筋が凍るような感覚に襲われたマリー。

手首を拘束していた黒い影はマリーの目元を覆い、そのままマリーの意識は遠退いていいった。


――――


マリーの指示通り、キッチン奥の食料庫にやってきたスージーとメリル。

「マリーさん大丈夫でしょうか…」

「休館日の看板は外に立ててあるのにお客さんだなんてね。お知り合いかしら?」

キッチンから導線続きの食料庫は3.5帖ほどの大きさで窓は無く、天井には照明も無く薄暗く肌寒い。

その奥には屋敷裏の丘に繋がる勝手口の鉄扉がある。

3段になった木製の棚には缶詰や小麦粉の大袋など常温で管理できる食材が並べられている。

地面は重厚感のある石畳で床下収納もある。

床下収納の扉には十字に鎖が巻かれ、使用禁止と札が付いているため、私はいつもそこには触れないよう食材を取り来るようにしている。

「マリーさんが来るまでここで待っていましょう」

「そうね…。ぁ、88年物の赤ワインがあるわね。ウィルソンが生まれた年よ…」

食材庫に初めて入るメリルさんは棚に並べられたワインを手に取り思い出に浸っているみたい。

すると窓も無く風の通りも無いはずの食料庫に冷気のような風が2人の足元を掬ったのだ。

「どうしてかしら、さっきより寒くなったわね」

「そうですね…、どこからこんな風が…」

体感では3℃ほど室温が下がったように思えた。


…う"ぅ-…、う"ぅ-…


「「っ!?」」

掠れた唸り声が聞こえたと同時に床下収納の扉を封錠していた鎖が音を立て震え出したのだ。

「何がどうなってるの!?」

「この声…、まさかこの下から…」

それはまるで何かを呼び寄せているかのように。

ドドドンッ!ガシャーン!!

床下収納の扉を下から突き上げるような衝撃に驚いた2人は飛び退いて抱き合った。

X字に硬く封錠されていたはずの鎖はみるみるうちには外れていき、扉には亀裂が走り始めた。

「どうしよう!こ、このままじゃ扉が壊れてしまいます!」

「この下に…何かが居る…。確かめないと」

「えぇ!?メリルさん!」

恐怖で立ち尽くすしか出来ないスージーを余所にメリルは石畳に両膝を付き、緩くなった鎖を解き始めた。

鎖は意とも簡単に外すことが出来た。

下から突き上げる衝撃は無くなり不気味な静けさが食材庫を漂う。

「…開けるわよ?」

「ゴクリ…、はい…」

メリルは意を決し床下収納の扉を開けた。

すると枠組み一杯の大きな目玉が現れ、ギョロギョロと動きメリルとスージーの姿を捉えた。

「ひっ…、目玉?」

「えいっ!」

ズゴッ!

メリルは巨大な目玉に臆することもなく、チョップを食らわせた。

「えぇ~!!メリルさんそんな大胆な…」

目玉は反撃をしてくることもなく、静かに消えていった。

扉の下には階段のような段差が見えた。

あの巨大な目玉は幻だったのか、何者かの姿は無く、ヒューと冷たい風が突き抜けるように吹くだけだった。

「確かめる必要があるわね」

「は、入るんですか!?勝手に入ったらマリーさんに怒られますよぉ…」

「こんな怖いことがこれからも続くようなお屋敷にスージーちゃんは住みたいの?」

「い、嫌ですけど…、怖くないんですか?」

「平気よ~。おらワクワクすっぞ~」

…さすがメリルさん。

犯罪者が沢山収容されている刑務所にパンを届けているだけあって肝が据わっているみたい…。

メリルは怖がるスージーの手を取りニコッと笑った。

「行くわよ♡」

「…はい…」


2人は手を繋ぎ慎重に階段を降りていく。

「暗いですね…」

「だいぶ奥まで続いているみたいね」

壁や天井には照明は付いていないため、スージーはスマートフォンのライトを使い地面を照らした。

「ありがとう」

「いいえ」


階段を下りると長い通路奥までが続いていた。

通路の天井には裸電球がぶら下がっている。

電源が何処にあるかも分からないのでそのままスマートフォンで照らすようにする。

壁沿いに木製の扉があった。

「入ってみましょ?」

「…はい!」

ドアノブに手を掛け、息を飲んで扉を開け放つ。

部屋の内部をスマートフォンで照らすと、そこは窓もない殺風景な子供部屋のようだった。


――――――


………ぴとん…、…ぴとん…。


「…ここは…どこ…」

頬に雫が落ちて、意識の取り戻したマリーが目を開けるとそこは見慣れない建物の中のようだった。

土壁で四方を覆われた部屋の中央の椅子に、マリーは手足を縛られ座らされていた。

口には布のようなもので押さえ付けられ声が出せない状態だった。

目線だけを動かし周囲の状況を確認する。

天井からコードに取り付けられた裸電球が2mの間隔で2本ぶら下がっている。

腕や足に暴行を受けたような痣や切り傷は無い。

さっきまで屋敷の玄関で客人の相手をしていたと思ったのだけれど。

「目を覚ましたわね」

マリーが椅子に座る左後方から声が聞こえた。

先ほど相手をしたジュディという女性の声だった。

ジュディはマリーの口元を縛っていた布を解く。

「ここは…何処ですか?何が目的ですか!」

ジュディは数歩歩いてマリーの目の前に仁王立ちになり不適な笑みを浮かべる。

「あなたが"私たち"の事を何も知らないから、イジワルしたくなっただけよ。あなた普通のメイドじゃないわね?名前は?」

「私の名前は…マリーです…」

「マリー?娼婦リストにそんな名前は無いはずよ。"本当の名前"は?」

とジュディは牛革のバインダーを持ち何らかの資料を見ているようだ。

「娼婦…リスト?」

「この屋敷に仕えていながらそんなことも分からないの?アリアもダグラスもだらしないわね」

「あなたはアリア奥様のお姉さまなのですか?」

「正確には私は次女でアリアは三女。で、ダグラスはアリアの契夫。お分かり?」

そう言うとジュディはマリーの目の前にバインダーに挟まれた資料を見せびらかす。

土汚れや湿気でしわしわになった和紙に家系図のような表と名前と顔写真が載ったページだった。

そこには確かに、ダグラスの他に2名の男性。

アリア、ジュディと並んだ隣に長女と思わしきアマンダという女性の写真があった。

娼婦リストの欄には顔写真は無いものの、3名の女性の名前が記されていた。

「私の…、名前は…」

この屋敷でメイドとして雇われ、マリーという名前を授かったことと同時に、思い出したくもない過去の記憶がフラッシュバックする。


「…ナタリー•メラ•カーティス…」
















































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3つ星ピエロ 第5章 悠山 優 @keiponi

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