第12話 龍神と黄金の雄太刀

 金曜日、佐助稲荷山の霊狐泉。コン太の戻りが遅い、と腕を組む仙狐の藤次郎。


 コン太はといえば、室町学園のグラウンドを手持ち無沙汰でブラブラしている。昨日は幸村の部屋に泊めてもらい、今朝は縁と一緒に室町学園に登校したが、放課後、温泉に行くまで、これといってやることもない。


『ええんやろか?こんなことしてて』


 でも、大仏様の言付ことづけけはちゃんと伝えたで。おまけに、日蝕の原因も観音様が教えてくれた。ラッキーやん。天使の兄ちゃんがちょっと悪戯いたずらしただけで、狐の嫁入りの邪魔をするつもりはないみたいや、、ってことは急がんでもええってことやな。

 そやな、考えることあらへん。縁さんが温泉に連れて行ってくれるって言うとるんや。何か分からんけど瑞鳥も飛んでる。吉兆や、神様、仏様が、のんびりしていけって言うとるんや。


 とりあえず、心配してるかも知れんから、連絡は入れとこ、と文字通りの葉書に「手掛かりを掴みました。明日には戻ります」と書いて郵便ポストに投函した。お昼過ぎには佐助稲荷山の藤次郎に届くはずだ。


 果たして、コン太からの葉書が藤次郎に届く。「さすがは白葉様の孫じゃ、もう手掛かりを見つけよったわ」と喜ぶと、わしらもこうしてはおれん。手分けしてコン太の行方を追って、コン太の応援に加わるのじゃ、と藤次郎も笠間の甚八、豊川の才蔵を連れて山を下りることにした。


 ***


 稲村ヶ崎から江ノ島までの七里ヶ浜は、サーフィンやウィンドサーフィンの聖地メッカで、江ノ島越しの海に浮かぶ富士山が空に映え、夕陽が美しい。

 その稲村ヶ崎にある温泉「極楽の湯」は、文字通りの極楽だ。目の前にひろがる七里ヶ浜を吹き抜ける潮風は心地よく、波間に溢れた光はキラキラと眩しく、時の経つのを忘れる。

 湯色は褐色がかった黄金色。これは、鉄分が多く含まれているからで、世に名高い名刀政宗は、稲村ヶ崎の砂鉄から作られたともいわれている。また、稲村ヶ崎は旧地名「極楽寺字金山ごくらくじあざかなやま」が示す通り、金鉱の跡であるともいわれ、「極楽の湯」には砂金が混じることがあるという。そして目の前が海であるにも関わらず、分厚い岩盤に守られ、全く海水を含まない泉質は、太古の松の有機質を含むアルカリ性のヌルとろで、湯上がりはさっぱりして心地よい。

 黄金の湯につかる夕暮れは、まさに西方浄土。海に溶け込む太陽と夕焼けの富士山が幻想的でどこまでも美しい。



 放課後、幸村が、縁とコン太、人の目には見えない観音様、阿修羅くん、子雲、サリエルたちご一行様を引き連れて「極楽の湯」に到着する。政宗には逃げられた。面倒臭いのは御免だそうだ。

 ともかく、観音様たちに生身で温泉を味わって貰うしかない。幸村が実体化させて、コン太に普通の人に化かして貰ったら、さっさと湯舟につけてしまうつもりだったが、いきなり性別で躓いた。


「温泉には、男女の別があるのですか?」


 どうしてしまったんでしょう、と観音様が怪訝そうに首を傾げている。阿修羅くんも、昔は混浴が当たり前でしたよね、と腕を抱えて考えている。観音様も、阿修羅くんも、サリエルも性別があるようでないのだ。ほんとうに面倒臭い。


「男女七歳にして席を同じゅうせずです」


 観音様に、そんなことも知らなかったのですか?性教育の常識ですよ、と教えてあげたら、観音様は「人って煩悩が多いんですね」とため息を吐き、阿修羅くんに向かってこう言った。


「仕方ない、私たちは女湯にしますか」

「さりげなく言っても駄目です。お二人はどっちかと言えば男でしょ」

「幸村くんと違って、女人にょにんの裸に興味はありませんよ、御仏にお仕えするものですから。可愛い犬が裸で歩いているからといって興奮しないでしょ、男女の裸なんてそのくらいのものです。サリエルさんも同じでしょ?」

「私は神に愛される身だ。その至福以外に求めるものはない」


 観音様がドヤ顔で僕を見下している。十一面も無駄に顔があるので、さすがに鬱陶しい。


「優越感にひたるのは勝手ですが、駄目なものはだめなんです。どっちでも良いなら男湯で良いじゃないですか」

「いやですよ、御仏は不浄な穢れを嫌うのです。成人男性と一緒なんて御免です」


 相変わらず我が儘だ。そもそも穢れを嫌うから女人禁制、逆じゃないか、と溜め息を吐く。


『それも煩悩ですよね』と念で話す。

『違いますね。それに幸村くんだって女湯の方が良いでしょ?』

『え?』

『え?じゃないですよ。霊のままだと温泉も水浴びも変わらないでしょ。幸村くんと一緒じゃないと、私たちは実体化できないんですから』


 なるほど、もっともだ。観音様のために、一肌脱ごう。僕も一旦、煩悩を忘れる。君子は豹変するものだ。


「仕方ない、僕も一緒に女湯に入りましょう」


 縁がにっこり微笑んでいる。やばい、こういう時の縁は観音様よりたちが悪い。


 なわけがないでしょ、と笑って誤魔化す。惜しいが、君子危うきに近寄らずだ。有無を言わさず、コン太の妖術で観音様と阿修羅くんを男の人に化かして貰った。サリエルは自らの幻術で天使の翼を隠した。性別は昔、双子の姉とくじを引いて姉が女性、サリエルが男性ということに決めたらしい。

 子供の特権でコン太と子雲は子供に化けて、堂々と縁と手を繋いで女風呂に入っていった。観音様や阿修羅くんのように人間の念や祈りから生まれた霊と違い、自然や生き物から生まれた子雲やコン太の霊は、特定の人の念や祈り、依代や場所に縛られないらしい。


 僕たちは男湯で服を脱ぐ。ようやく脱げる、けれど、早く温泉につかりたいというよりも、もう疲れたから風呂に入らずに帰りたいという気分だ。は〜っ、とため息を吐く僕の隣で、サリエルもローブを脱いでいる。


「天使なのに翼はないんだ」

「幻術で隠しているだけだ」

「でも、ちゃんとついてる。やっぱり男なんだ」

「これもすぐに取れる。男にも女にもなれる身だ」

「そうなんだ、でも取らないで、あった方が良い」



 ともかく、サリエルは放っておこう。観音様と阿修羅くんを監視する。


 意外だ、大人しく湯船につかっている。いや、瞑想してる?

 僕の両脇で観音様と阿修羅くんが、南無阿弥陀仏を唱和している。いつの間にか、爺ちゃんたちが観音様たちを囲んで、涙を流して拝んでいる。

 何だか落ち着かないけど、さすがに観音様にお教を唱えるなとは言えない。どうしよう?、、なんて、考えるまでもない、放っておこう。

 それより何だ?この蓮のような甘い香り、みずみずしさがあり、どことなく異国情緒を感じる、、、っていうか、温泉の泉質も変わってる?何、このエメラルドグリーンのお湯?


「西方浄土の美肌の湯です」と観音様が呟いた。


 それでは私も、と阿修羅くんが湯船をかえて祈ると隣の湯船が真紅に染まる。


「修羅の湯です。効能で悪い夢を見てうなされます」


 勝手に泉質変えて良いのか?といっても、後の祭りだ。御仏のご加護がある、僕のせいじゃない、と自分に言い聞かせておこう。そういえばサリエルは何処だ?露天風呂か?露天なら、江ノ島が見えるはずだ。

 

 おまえもか!


「月の湯だ」


 江ノ島どころか、闇夜の湯舟に月が浮かんでいる。洞窟風呂か?怖い、目には見えないはずだが、青い蛇がウヨウヨ泳いでる。

 

「露天風呂なのに、わざわざ闇夜にしなくても良いんじゃないか?」

「天使は肌が弱いのだ、日には焼けたくない」

「だから、いつもローブ着てるの?」

「あれは演出の意味の方が大きい」

「だったらサウナに入れば良いじゃん」

「むさ苦しいのはもっと嫌いだ。ここは夜風が気持ち良い」


 いや、夜じゃない。観音様も、サリエルも神様や仏様に近いものは我が儘なのだ。


 ***


 朝から鎌倉中の方々を探しまわったものの、コン太の手掛かりが全く見つからない。いい加減、甚八と才蔵がウンザリしていると、江ノ島越しの海に富士山が浮かんで見えた。しかも、「極楽の湯」という黄金の旗が空を背にはためいている。


「お師匠様、あちらに温泉があるようです」

「我らのためにコン太が働いている時に、師たるわしが温泉につかっているなどあろうことか」

「お師匠様、何故かお師匠様の首に手拭いが、しかもいつの間にか浴衣姿に変わっています!」

何故なにゆえじゃ、汝等うぬらも浴衣姿ではないか?どうしたことじゃ、狐につままれたようではないか?」


 と言いながら、何気なく大人1人、子供2人と、入浴券を購入している。




「いやああぁ〜、極楽、極楽、いい湯ですね」とご機嫌になって、そばにいた観音様に話しかける藤次郎。甚八、才蔵も一緒だ。

「ええ、美肌の湯だそうです。それに、どんな病にも効くそうです」と観音様。直ぐにコン太の仲間の仙狐たちと気づいたが、さすがに上手く化けていると妙に関心しながら、気づかぬふりをしている。

「特に、この甘くてみずみずしい蓮のような香り、とても癒されます」

「お目が高い、西方浄土に咲いてる蓮の香りです」

「そうなんですか?でも、説明書きには松の有機質成分を含むモール泉とありますよ、それに変ですね、湯色は鉄分を含む褐色がかった黄金色と書かれています」

「日替わりするらしいです」

「ほぉーっ、定食みたいですね。いや、なるほど、これはまた来たくなります、商売上手な温泉だ」

「是非、あちらの湯も試されて下さい。修羅の湯だそうです。子供さんもご一緒にどうぞ」


 ***


 江ノ島神社の辺津宮へつみや境内の八角のお堂・奉安殿ほうあんでん。ここには八臂弁財天はっぴべんざいてんと、安芸の宮島、近江の竹生島ちくぶじまの弁財天と並び、日本三大弁財天のひとつとして有名な裸弁財天はだかべんざいてん妙音弁財天みょうおんべんざいてん) が安置されている。

 この江ノ島弁財天は全裸で琵琶を奏で、功徳を授ける妖艶な天女の座像で、海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として信仰を集め、江戸時代には江ノ島詣の人々で大変な賑わいを見せていたそうだ。



『琵琶の演奏には飽きたわ』


 お堂の中で退屈していた裸弁財天が八臂弁財天に愚痴っている。八臂弁財天は勝運守護の神様で、頭上に蛇身の宇賀神をいただく宇賀弁才天。八本の腕には宝珠や剣、げきなどの武器を持っている。


『静かにもの思いに耽るのも良いではないか』


 辛気臭いわ!そもそも、おまえと一緒におるのが退屈なのだろうが、とウンザリする裸弁財天。同じ水の神でも裸弁財天は芸能、弁舌の神、八臂弁財天は闘いの神、龍神なので話しが合わない。何か面白いことはないものか、とボンヤリしていると、稲村ヶ崎の方から聞き慣れない声が漏れ聞こえてくる。


『何やら稲村ヶ崎の方が騒がしい』


 何だろう?と耳を澄ましていると、観音様、阿修羅、仙狐が人に化けて温泉につかって遊んでいるようだ。いったいどうやって、観音様は稲村ヶ崎まで来れたのだろう?さらに注意深く話しを聞いていると、幸村くんという者が観音様の霊を運び、実体化させていると分かった。面白い奴を見つけた!



 極楽の湯では、ご機嫌になった藤次郎たちが、泥饅頭や、木芽このめの枝豆、霊狐泉の水酒の大盤振る舞いで、飲めや歌えの馬鹿騒ぎを始めていた。観音様と阿修羅くんも水酒をついでまわり、不思議と酔える、と一緒になって騒いでいる。


『観音様のくせに煩悩だらけじゃないか。そろそろ実体を解いて良いんじゃないか?もう帰りたい』

『ちょっと待て、おまえ!妾もそこに呼べ!』

『また⁈今度は誰?』

『今度とは何じゃ?わらわは弁天じゃ。今すぐ、そこに呼べ、呼ばぬと祟ってやるぞ』

『呼びますけど、ここって、お風呂ですよ?』


「心配するな、もう脱いでおるわ」


 観音様と幸村の前に、妾にも酒をついでくれ、と満面の笑みを浮かべた弁天様が現れる。


 ***


 弁天様は仏法の守護神のうちでも天部に属する偉い神様だそうだが、僕に、まあ飲め、としきりに水酒を勧めてくる。僕は未成年なので飲めません、とお断りしてるのに、固いこと申すな、としつこい。神様ってこんなのばっかりで良いのだろうか?


「それより、ここは女人禁制の男湯です」

「女人禁制?温泉で修行でもするのか?まあ、気にするな、妾は神じゃ!女人とは違う」

「修行ではなくて、性別の問題です」

「そっちか、お主が発情したいなら構わんぞ。妾には指一本触れさせんがな」


 これみよがしに僕の目の前で豊満な美乳をぷるぷると揺すって、大笑いする弁天様。さすがに美乳はやばい。菩薩様や仏法の神様に、民主的な理性や法の常識は通用しない。ここは大天使のサリエルに頼むしかない。幻術で何とかして欲しい。


「何に変えれば良いのだ?」

「布袋様で良いと思う、同じ七福神だ」

「ずいぶんと違うが良いだろう。変えてやろう」


 布袋様はいつも笑顔を絶やさず、大きな袋に宝物をいっぱい詰めて、それを人々に分け与えてくれる笑門来福、夫婦円満、子宝の神だ。よし!妖艶なのよりずっと良い。


「何じゃ、これは⁇布袋のようではないか」


 妾に術をかけたのは誰じゃ?と弁天様が辺りを見回しているうちにサリエルに気付く。


「お主か?少し若いが妾の好みじゃ!」と目を輝かせる布袋様の姿をした弁天様。


 やはり妾が男湯にいるのは良くないわ。家族風呂があると聞いた、そちらでゆっくり二人だけで語ろうぞ、と布袋様の姿をした弁天様がサリエルのほそい二の腕を掴もうとしたその時だ、

 目の前の海が大きな白い波飛沫を上げて割れ、黄金の雄太刀おだちを咥えた龍神が現れる。


「年甲斐もなく若い男を誘惑しているとはな」


 それは龍神に姿を変え、黄金の雄太刀を咥えた八臂弁財天はっぴべんざいてんだった。


「何じゃ、お主も来たのか?」

「懐かしい面々に会いに来たのだ。久しぶりじゃなぁ、阿修羅、それに仙狐の藤次郎」


 八臂弁財天はっぴべんざいてんは三面六臂の阿修羅くんと闘って勝ったこともある闘いの神である。また、龍神としては霊狐泉の源泉を司る水の神である。秘術「狐の嫁入り」の霊力も元々は龍神様から白狐たちに授けられたものだそうだ。

 それに、と龍神様は幸村をじっくり眺めて言う。


「この黄金の雄太刀を持つべきあるじに返すためじゃ」


 次の瞬間、観音様も、弁天様も、阿修羅くんも、仙狐に白狐たちも、それだけでなく、縁にコン太、子雲も、皆んな元の姿に戻って一緒に湯船につかっていた。


「ここは龍神泉、霊狐泉や極楽の湯の源泉じゃ」


 目の前の海には極楽の湯と同じように江ノ島と富士山が見えるが、後ろを振り返ると佐助稲荷山の霊狐泉が見える。そして僕たちのいる龍神泉は苔むした岩で囲われた神秘的な泉で、その真ん中に黄金の雄太刀がつかだけを出して水面に突き刺さっている。

 幸村が龍神様と繋がったことで、龍神様が幸村と繋がっているすべての者を神の湯である「龍神泉」に呼び寄せたのだ。


「お主にしては気がきいておるわ。神も仏も人もない、男か女かもどうでも良いわ、ありのままで宝船じゃ、皆で一緒に騒ごうぞ」と弁天様は御満悦だ。


「縁も楽しめ。心配するな、誰も縁のは見ない」、なぁ、コン太、と幸村が弁天様の美乳に目が釘付けのコン太の肩を叩く。

「な、なんのことでございますか?ぼ、ぼくは縁さん一筋でございますよ」

「嘘だろ、ビ・ニュ・ウでも、美乳と微乳だぞ」と笑う幸村が、笑顔のまま龍神泉の湯に沈む。

「貧乳が何だっていうのよ、エロDK」と、苦しそうに股間を押さえる幸村に微笑む縁、「溺れてしまえ」と、容赦なく幸村を頭から湯の中に沈める。


『あかん、美乳は見たらあかん。目の毒やし、めちゃくちゃ危険や』と目のやり場を失くしたコン太が周りを見回していると、同じように周りを見回していた藤次郎とバッタリ目が合う。


『何でやねん⁈何でお師匠様たちがおるんや?サボってたのがバレてしまうやろ!』

何故なにゆえ、コン太はここにいるのじゃ?不味いぞ、遊んでいたのがバレてしまう!』

『いや、やばくない。天使さんを見張ってたと言えばいいんや』

『いや、シラを切る。霊狐泉のご神託でここに来たと言うのじゃ』


「お師匠様、日蝕の原因が分かりました!」

「おーおー、霊狐泉のご神託の通りじゃ!」


 ***


 なるほど、そういうことか、コン太から事の経緯いきさつを聞くと、仙狐の藤次郎はサリエルに向き直り、改まってお願いをする。


「狐の嫁入りは、人々の願いをお天道様に届けて、お天道様様のお慈悲によって、恵みの雨を降らせて貰う秘術なのじゃ。それ故に、お天道様が欠けるのは凶兆、願いが届かなければ、望みも叶えられんのだ。悪戯いたずらでお天道様を隠すのはやめて戴きたい」

「それは悪かったな。だが、月が太陽を喰らうか否かではない、祈りが太陽に届くか届かないかだ。貴様らの祈りが強ければ、太陽は自ら月を払い、願いを叶えるはずだ」


 龍神泉の中央に突き刺さった黄金の雄太刀がサリエルの目にとまる。なるほど、持つべき主に返す、ため、か。ちょうど良い、いい加減、私も飽きていた。「私は霊体に戻らせて貰う」と藤次郎に告げるサリエル。


「余興だ。脳天気な日本の神々に、美しい死の闇を授けよう、静寂のうたを聞かせてやろう!」


 黒いローブを纏った背中から白い翼を広げ、宙に浮かぶサリエル。その邪眼で神々の影を龍神泉に縫いつけ、その動きを封じ、魂を凍らせてゆく。そして目を瞑り、胸の前で十字を切る。


 月よ、、太陽、そして時を喰らえ!

 死の闇よ、失われた光を祝え!静寂の詩を謳え!


 身動きできない藤次郎が、三霊の白狐たちに念を送る。凶兆じゃ、お天道様が死にかけたまま沈む。我ら白狐で祈り、秘術「狐の嫁入り」で、お天道様から死の影を洗い流すのじゃ。お天道様が海に沈む前に死の穢れを祓うのじゃ。


 サリエルの無限皆既日蝕によって、合わせ鏡のように無限に繰り返される闇の果てに、どこまでも落ち続ける白狐たち。


「ぬぅぅ、抜け出せん。信じ難いほど強力な呪術じゃ。音もない、光もない。じゃがな、異国の神よ、我らを侮るな。コン太、才蔵、甚八、我ら白狐の妖力を見せてやろうぞ!」


「愚かな狐たちよ、堕ちて行け。白も黒もない死の淵に沈むが良い。時さえも失われた静寂を味わうが良い」、宙空から幸村を見下ろすサリエル。さあ、どうする、幸村。


 ***


『特異点の者よ、白狐に力を貸してくれぬか?』

『龍神様?』

『黄金の雄太刀で、あやつの闇を斬ってくれぬか?あやつの邪眼もお主には効かぬのだろう』


 黄金の雄太刀は昔、新田義貞が海に投げ入れたものだそうだ。鎌倉は南は海、残りの三方も山に囲まれた天然の要害。攻めあぐんだ義貞が海に黄金の雄太刀を投げ入れ、龍神に祈ると潮が引き、義貞の軍は稲村ヶ崎を海から突破、由比ヶ浜から上陸して、鎌倉幕府を滅ぼしたそうだ。


『この黄金の雄太刀をお主に授けよう。七百年、わしの霊力を注ぎ込んだ雄太刀、お主なら使えるはずじゃ』


 またか!気づかないうちに黄金の雄太刀を握らされている。しかも、雄太刀が語りかけてくる。異国の神の戯れを許すな、白狐たちは命をかけてこの地を守ってきた、それを守るのが僕の定めだという。いい加減にして欲しい。


『我らの大地を守るのじゃ、その定めに生きよ』


 定めって何だ?誰なんだ?どうして勝手に決める?なのに、分かってる、僕は逆らえない。僕よりももっと深いところで、誰かがそれを望んでいる。


『何でもいいや、何でも斬って、終わらせる!』


 だけど、気づいた時に、闇を斬り裂さいていたとしても、それは僕じゃない。僕が斬る以前に、誰かが斬っているのだ。


 ほら、僕の目の前で闇が真っ二つに割れている。

 

 そして江ノ島と太陽を塞ぐ月が、漆黒の海とともに二つに割れて、その裂け目から溢れでた光の渦が一つの河となって、闇の中、稲村ヶ崎から江ノ島を突き抜けて太陽まで続いている。勿論、僕は素っ裸のままだ。


『やはり無限皆既日蝕の闇でさえ斬るのか』


 サリエルの邪眼の呪縛から逃れた白狐たちが、月を洗い流し、豊穣の恵みを大地にもたらす雨を願って祈りを込める。やがて、雲一つない空から雨が優しく降り始め、太陽を覆う月の欠片かけらを溶かし、洗い流してゆく。沈む太陽が江ノ島と海をオレンジに染め、白狐たちの恵みの雨が大地を優しく濡らす。


『狐の嫁入り、甦りの雨か、、悪くない』


 空を見上げて、落ちてくる雨にサリエルが微かに笑う。そして、透き通る灰色の瞳から白狐たちを見下ろす。狐たちよ、良くやった。この雨の恵みを、私も祝福しよう。


 ***


 さて、珍しいものが見れたと、龍神泉の湯舟で酒盛りをする菩薩と神々の一座。飲めや歌えやで大いに盛り上がり、芸能の神・弁天様が白狐たちと一緒にきつねダンスに興じている。


 これはかなりやばい、目が離せない、離したくない、の、に、観音様と阿修羅くんが一緒に踊ろうと僕をしきりに誘ってくる。相変わらず気がきかない観音様たちだ。

 だいたい絶対無理でしょ。高校生の僕には幼なじみの前で素っ裸できつねダンスを踊る勇気なんてない、と分かって欲しい。しかも観音様と阿修羅くんと一緒になんて、絶対に有りえません!




(稲村ヶ崎)


 稲村ヶ崎は鎌倉の門です。そこから東が鎌倉の由比ヶ浜、西が七里ヶ浜、腰越、そして江ノ島です。週末、ここから七里ヶ浜、江ノ島弁財天を往復し、鎌倉大仏殿高徳院、佐助稲荷神社、銭洗弁財天宇賀福神社、鶴岡八幡宮、由比ヶ浜をぐるっと走ってみました。


「なげ入れしつるぎの光あらはれて千尋ちひろの海も陸となりぬる」


 稲村ヶ崎古戦場跡には明治天皇の歌碑が建っていました。新田義貞が後醍醐天皇から賜った黄金の太刀を海に投げ込み、海の神、水の神である龍神に祈ると、モーセの出エジプトの紅海が割れるが如くに潮が引き、軍勢六万余騎が稲村ヶ崎の干潟を真っすぐに駆け通り、鎌倉に乱れ入ったそうです。


 江ノ島神社の辺津宮へつみや境内の八角のお堂・奉安殿ほうあんでんに鎮座している裸弁財天・妙音弁財天みょうおんべんざいてん八臂弁財天はっぴべんざいてんも海の神、水の神です。弁天様は七福神の紅一点で宝船に乗っていたりしますが、もともとは川の神だそうです。海や湖、泉などの水辺に祀られ、「お水」関係の神様ということで守備範囲がとても広くなっています。豊穣を司るだけでなく、音楽や弁舌のような流れるものを司り、そこに色気なんかも加わって、裸で琵琶を弾いたりする智慧の女神です。

 龍神様やその化身である宇賀神と一体化することもあり、八臂に剣、斧、法輪を持って三面六臂の阿修羅と戦って勝ったりもして、戦闘を司る神でもあります。そこに財福、除災の役目も加わっているので、何でもありのお得な神様です。そのおかげか、江ノ島弁財天は全裸で琵琶を弾き、芸道上達の功徳を授け、幸福・財宝を招く艶めかしい天女として、江戸時代に一世を風靡し、江ノ島詣で賑わったそうです。


 佐助稲荷神社は稲村ヶ崎の北東の鬼門を護る神社でした。その岩窟にある「霊狐泉」から湧き出る水は往古いにしえより麓の田畑を潤してきた霊狐の神水だそうです。この三方を尾根に囲まれ、古くから鎌倉の隠里と呼ばれ、福神の住むところといわれた佐助ヶ谷の最奥には、銭洗弁財天宇賀福神社も鎮座しています。源頼朝の夢に現れた宇賀福神を祀る神社で、御神体は体は蛇、頭は人の形をした水の神とされています。ここにも湧水があり、「銭を洗い清めれば福銭となり、一家は栄え、子孫は長く安らかになる」そうです。


 最後に鶴岡八幡宮に登って鎌倉の街並みを見下ろし、由比ヶ浜を走って戻ると約20km、ハーフマラソンくらいのコースになりました。勿論、走った後は稲村ヶ崎温泉の「黄金の湯」につかってのんびりです。残念ながら戻った時には日が暮れていて、夕陽に染まる江ノ島と富士山を見ることは出来ませんでした。晴れた日に、また、リベンジランです。

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ちょっと待って、幸村くん ナマケモノ @yayaya66

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