第11話 伏見稲荷の白狐の災難

 鶴岡八幡宮の境外末社だった佐助稲荷神社は、源氏山公園の南、鎌倉の隠れ里と呼ばれる緑深い地にある。往古むかしより佐助の稲荷山は麓の田畑を潤す水源の地であり、境内の片隅には、霊狐の神水と称される「霊狐泉」が今も絶えることなく湧き出ている。

 朱色の鳥居が49基並ぶ参道、所狭しと祀られた神狐しんこ白狐びゃっこは訪れる人を幻想の世界へ誘う。が、佐助稲荷にはもう一つの隠された顔がある。全国各地の稲荷神社から白狐の霊が集まる修行の場でもあるのだ。


「ここが秘術『狐の嫁入り』修得の地『霊狐泉』、わしは仙狐せんこの藤次郎、狐の嫁入りの呪術師範じゃ」

 

 仙狐とは、修行を積んで仙術という神通力を使えるようになった狐のことだ。仙狐の藤次郎によると、近頃の人間は天気雨を狐に化かされたようだから、狐の嫁入りと言うと思っているが、それは間違ってるそうだ。元来は恵みの雨、それをもたらす狐の訪れを嫁入りのように喜んだから、と言うのが正しいらしい。


「晴れた日に雨を降らせてこそ一人前、努めて励むのじゃ」と、藤次郎に言われて、日本三大稲荷の伏見稲荷、笠間稲荷、そして豊川稲荷から修行に来ている三霊の白い子狐たちが、両手を合わせて坐禅を組み、瞑想し、雨乞いをしていた。まさにその時だった、サリエルが戯れで皆既日蝕を起こしたのは。


 突然の皆既日蝕に戦慄わななく仙狐の藤次郎、お師匠様!と怯える白狐たち。


「あるべきはずもない日蝕、お日様を隠されたら『狐の嫁入り』が成り立たぬ、一大事じゃ。これは我らが一族への挑戦だ。伏見のコン太、特命の任務じゃ、直ちに山を下り、日蝕の原因を調べてくるのじゃ!」、、と言うことになった。


 ***


 藤次郎から特命を受けたコン太、取り敢えず、狐色のランドセルを背負った子供に化けてみる。


「ラッキーやん、解放されたで」


 実はこのコン太、祖父が伏見稲荷の白葉はくようと呼ばれる天狐てんこである。天狐とは千歳を超えた強力な神通力を持つ狐だが、その中でも伏見稲荷の白葉は別格、四つの尾を持ち、千里先のことをも見通す、神に近い存在と言われている。だが、コン太に言わせると、こうなる。


「いゃ〜、ほんまに、うざいわ」


 周りからのプレッシャーが大き過ぎるのだ。『千五百年以上生きとる爺ちゃんと比べんなっちゅうねん』と内心では思っているが、周囲の期待に応え、従順で模範的な良い子の狐を演じてきたので、今更、キャラを変えられない。


『人間なんて困ればええんや、狐の知ったことか』


 今日はぐれたる、取り敢えず大仏様でも拝んでみるか、と山を下りる。鎌倉大仏殿高徳院までは人の足でも20分、白狐の足だと5分もかからなかった。さっそく、子供料金の拝観料を枯葉のお札で払い参拝する。


『でかっ!なんや、こいつ偉そうに』


 と思いながらも、まずは一礼して手を合わせる。そして内心では、胡座あぐらをかくな、正座やろ、反省せんかい!と文句を言いながら、台座をぐるっと周る。再び正面に戻ると、大仏様のご尊顔を拝見し、深々と頭を下げて一礼し、静かに手を合わせる。


『わしの爺ちゃんがいつも言うとるで、謙虚にせなあかんってな、よう覚えときや』


 最後に丁寧にお辞儀して立ち去ろうとした時、呼び止められる。


『ちょっと待て、白狐の子』

 

 伏見のコン太が振り返ると、大仏が慈悲深い阿弥陀如来の微笑みを浮かべ、デーンと偉そうに座っている。そ、そやから謙虚にせなあかんのや、とコン太も愛らしくにっこり笑う。


『お呼びでしょうか?』

『おまえ、随分と裏表があるのだな』

『仰ることが、分かりません』

『千里眼の白葉ともあろう天狐が気付いておらぬとはな、孫とはよほど可愛いものなのだな』


 あかん、完全にバレとる、しかも爺ちゃんを呼び捨てにしよった、滅茶苦茶、不味いんちゃうか??あかん、やっぱ、すぐ土下座や!


『お、お見逃しを!正体がバレたら、伏見には帰れません。な、なにとぞ、お慈悲を!!』

『心配するな、白葉の可愛い孫だ。悪いようにはせん。が、一つ頼みがある』


 ***


 なんでやねん、任務が増えてしもたで、と思いながら江ノ電の鎌倉行きの切符を買うコン太。

 電車に乗ると窓を向いて座ったが、長谷から鎌倉だと由比ヶ浜も、海も殆ど見えない。何も見えへん、と黄昏れていると、『尻尾、出てるよ』って耳打ちされる。


 それは縁だった。弓道部の練習試合で鎌倉高校に行った帰りの電車で、白い尻尾がある小学生に気付いて声をかけたのだ。


 あかん、恋なんて知らん、けど、これは恋かも知れん。もう日蝕なんて、どうでもええやんって感じやわ。縁さんの笑顔ひとつで、心臓がキュンとなる、花が咲いたみたいに世界がパッと明るくなる、ほんま、どないしよ、変な感じやわ。


 コン太がドキドキ、モジモジしながら、縁と手を繋いで歩いてる。偶然と言うか、筋書き通りと言うか、コン太は大仏様のお使いで毘沙門堂に行くところだった。だったら、連れて行ってあげるということで、縁がコン太と手を繋いで一緒に歩いてる。


 毘沙門堂に着く。縁は家主の了解も得ず、乱暴に靴を脱ぎ捨て、コン太の手を握ったままズカズカと階段を上る。そして毘沙門堂の2階、そこはいつも通りの方丈、現在のカオスだった。


「な、な、な、なんですか?ここは?」


 絶句するコン太。十一面観音の菩薩様、三面六臂の阿修羅くん、瑞鳥の小雲ちゃん、邪眼の大天使サリエル、目つきの悪い政宗、そして自称超魔術師の幸村ら6人が一斉に振り返ってコン太を睨む。


『こ、怖い、ち、ちびりそうや』

 

 びびったコン太はすごすごと縁の後ろに隠れようとするが、尻尾が上手く隠せない。ただし、わざわざ隠すまでもない。化けていても、白い子狐の霊だと分からない観音様や幸村ではない。


「その狐、縁の子?」


 口を滑らせた幸村に、ふざけんな、と縁の回し蹴りが綺麗に決まる。え?っと目を丸くして、嘘でしょ?と縁を見つめるコン太。


「私じゃなくて、幸村のお客さん」

「どういうこと?」


 ***


 縁は偶々、コン太の尻尾が見えたから、声を掛けたそうだ。そしたら、僕に会いに行くところだって言うから、連れて来てあげたらしい。


「可愛い子狐をほっとけないでしょ」

「珍しい。明日、雨が降らないと良いけど」

「珍しくない。ちゃんと幸村にお礼をして貰うから。雨なんか降らないよ」


 縁に可愛いと言われたコン太が、火傷やけどしそうなくらい真っ赤になっている。しかも、『縁さんは美しいだけやない、裏表もありそうや。ごっつう、魅力的や、もうたまらんわ』と関西弁で心の声がダダ漏れだ。可哀そうに、恋の盲目と裏表のある同胞に巡り逢えたことで変になってる。


 縁の方は「また、新しい顔がいる」とサリエルに気付いたようなので、僕がサリエルを紹介する。


「驚くなよ、死と月を司る大天使サリエルだ!」

「ふーん、凄い美少年。驚いたわ」


 もっと驚けよ!縁のリアクションの無さが分からない。ほんと拍子抜けする、とガッカリしている僕には構わず、縁は観音様に「今日は何の集まりですか?」と尋ねている。聞かなくても良いことは聞く。


「幸村くんに温泉に連れて行って貰いたいとお願いしていたところです。偶には裸の付き合いも良いんじゃないかと思うので」

「絶対、嫌です」

「阿修羅くんが背中を流してくれますよ。サリエルさんも日本の温泉は珍しいんじゃないですか?」

「無理です。サリエルはともかく、観音様と阿修羅くんは絶対無理、他のお客様に迷惑です。湯舟で隣にいたら怖いでしょ」


 何考えてんだ、湯舟で隣にいたら怖いわ!だいたい汗なんてかかないんじゃないか?温泉に入る必要ないだろ、と愚痴っていると、観音様が『御免なさい、そんな贅沢を望むのは間違いですね』と念を送ってきた。そうか、温泉って観音様には贅沢なことなのか。でも、仕方ないでしょ、お終い!!のはずが、縁のちゃぶ台返しでひっくり返る。


「良し決めた、私も温泉に行く。幸村、私たちを温泉に連れてって。さっきのお礼を返して貰う」


 何故かコン太まで縁に訴えかけている。狐の霊も温泉が珍しいのか?、、いや、ちょっと待てよ、狐は人を化かす。尻尾が出てるけど、コン太は子供に化けてる。ということはだ、観音様、阿修羅くん、小雲も人に化かして貰えば良いんじゃないか?


「分かった、幸村、コン太も一緒に連れてって」

「勿論!コン太も一緒に決まってる」


 あれ?


「温泉も良いけど、コン太は僕に用があったんじゃないの?」

「そや、あぶなかった。忘れるとこやった」


 まずは手土産を、と泥饅頭を渡そうとするので、甘いものは苦手なので、と丁重にお断りして、コン太の話しを聞くことにした。



 大仏様は、僕に高徳院まで来て貰いたいそうだ。昔、僕が大仏様に預けたものを返したいらしい。急ぐ話ではないが、心の準備をして必ず来るように、とのことだった。

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