晴天の霹靂でした。恋と死の物語。

雲鈍

第1話 ム所行

人生で一番いいことと、一番最悪なことが同じ日に重なってしまった。プラマイゼロならまだしも、「重なった」ことから割とマイナス側に寄っているかもしれない。まぁこれから俺は自首しに行く。そんな犯罪者のたわ言だから、朝のワイドショー程度に聞き流して欲しい。

人生で一番いいことは、愛する人を見つけたことだった。彼女はすらりと細長い肢体をしており、艶やかな黒髪をリボンのバレッタでとめている。「逢魔が埼学院大学」に通っている学生で、趣味はクラシックギターと絵画。特技は書道。齢3歳のころから始めて、何度も受賞をしたことがあるというのだから、相当なうでまえだ。俺は飽き性のせいか、3か月と続いたものなどないのだから、彼女のそういった一途さがうらやましい。そしてますます恋慕をつのらせていくのだ。

特に特定の男性はいない、けれど男性恐怖症というわけでもなく、雑談を交わす程度の人間はいるようだ。学友に向けられた彼女の笑顔は、惹きつける魅力はあるけどどこかハリボテじみていて、笑顔の先にある感情を読み取らせない。けれど相手を不快にさせない。そんな意思を込めた表情だった。

俺が彼女を見初め、そんな情報を手に入れるのに、今日は1日外を歩き回った。後ろをついてあるき、たまに空を眺めたり。彼女が去ったあと、若造に優しく話を聞いた。すごむ必要などない。こちらは年長者なのだから。みんなていねいに教えてくれた。中には警察に通報しようとする輩もいたが、無意味なのだった。なぜ無意味なのかを、説明しても平和ボケしたやつらは理解できないだろう。だから俺はクールに笑みを浮かべ、その場を後にする。男は背中で語るというやつだ。自分のかっこよさがにくい。


別段、彼女を手籠めにするつもりではなかった。彼女という存在が俺の人生を華やかにしてくれた。その事実に、自分自身でも驚いていた。世界はこんなに明るく、彩りに満ち溢れ、人々は笑顔を浮かべるのだと。今さら遅いと思う自分と、何かに感謝をささげる自分がいた。そうか、神。人はこんな気分の時に神に感謝するのかもしれない。俺はとうとつに、カルト宗教にはまった母親を思い出した。俺が5歳の時に、弟が死んだ。父は無口になり、母は多弁になった。母の感情は俺に向けられ、俺がその感情を支えきれなくなると、激情となって信仰へと向けられた。「神様はいつも見ておいでよ」と、手をこすり、額を地面にすりつけていた。父はいつのまにか不在になった。

その時の自分の感情をよく覚えていない。印象的なのは、ハエのようだ、という気持ち。ハエもエサを前にすると両手をこすりあわせる。その動作によく似ていた。幼心に、母親の姿がハエの姿と重なり、なんだか滑稽に見えた。


彼女がバスから降りて、角を曲がる。

見失わないように。

俺は歩く速度を速めた。


父から手紙がきたのは、高校を中退したときだった。中退の理由は家に金がないからで、俺は食うものにも困っていた。父が俺を迎え入れてくれるという。学費も出すと。平凡と平穏。ようこそようこそ。俺は申し出を断り、極貧を選んだ。

うーんと、当時の自分の気持ちを分析すると、自分は幸せになれない人間なのだ、とか思っていた。世の中には2種類の人間があり、幸せを享受できる人間と、幸せに唾をはきかけ呪詛を吐きながら不幸にひたる人間。俺は後者だった。それ以来、父と連絡は取っていない。


暗がりだった。通りにあかりがともっているが、心もとない。住宅街のあかりが道を照らすが、彼女はなぜか車道から離れて歩いていた。

右手に住宅街。車道をはさみ、竹林がうっそうとしている。そちら側は昏い。彼女のピンクのブラウスと、白いスカートが、まるで妖精のように闇夜に浮かび上がる。


小さく、悲鳴。

闇に、彼女が包まれたように見えた。人間だと理解するのは、数秒たった後。

黒いニット帽をかぶり、彼女をひっぱたたき、地面に組み伏せている。

そこまで理解してからは、体が勝手に動いた。


距離は10メートルと離れていない。足音を殺して近づき、不審者の背中に俺はつきたてた。ただの衝撃。そう感じたようだった。そいつがこちらをふりかえり数秒後、激痛のためにのたうち回った。叫び声があまりにも大きいので、俺はそいつの喉笛にかかとを落とした。

彼女はおびえていた。そして泥にまみれ、汚されていた。

「好きです」

彼女はきょとんと、こちらを見ていた。

自分が告白することなど、人生にないと思っていた。この場にそぐわぬ、なんという愛の言葉。

理解しなくていい。これはただの自己満足だから。

今日のことは闇夜にまぎれ、悪い天災だったと思い、忘れて欲しい。

男の背中から抜き取り、のどにもつきたてる。これで絶命するだろう。

どうせ一人も二人も同じだった。

「警察を呼んで」

周囲に人が集まってきていた。

俺は群衆にむかって叫んだ。


人生で一番最悪なことは、俺が人を殺したその日に、彼女に出会ったことだ。

もし先に彼女に出会っていたら、人を殺すこともなかったかもしれない。

人生ままならないな。

遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえた。

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