地獄変(7)

 破軍星はぐんせい

 それは陰陽道において不吉な星であった。北斗七星の柄杓の柄の先端部分で、七番目の星。陰陽道では、そこに位置する星を剣先になぞり、忌み嫌っていた。


「そ、そんな……まさか……」


 突然、道摩が禹歩をやめて、たたずんだ。

 一体、何があったというのだろうか。篁と鬼面童子は呆然と立ちすくんでいる道摩のことを見ていた。


「破軍……破軍なのか」


 道摩がまるでうわ言のように呟く。

 何が何だかわからなかった。道摩は真っ青な顔をしており、持っていた剣はその場に放り出されている。


「どういうことだ、これは」


 篁は隣にいる鬼面童子に尋ねた、鬼面童子もわからないといった様子で道摩のことを見ているだけだった。


「我をお許しください」


 天を仰ぎながら道摩はその場に座り込んでしまった。


「篁……小野篁とか言ったな」


 座り込んだ道摩が篁に話しかけてくる。


「そうだ。さっき名乗ったであろう」

「お主は、破軍星じゃ」

「何の話だ。破軍星とは何だ」

「お主の向かうところに敵は無し。お主に逆らえば、必ず負ける。それが破軍星の定めよ」


 道摩はそう言ってため息をつく。


「上手い話に乗せられた我が馬鹿じゃったのう。こんな上手い話があるわけがないというのに……。我は死んでまで愚か者じゃった」


 何を言っているのかわからないが、道摩は篁と戦うことは諦めてしまったかのように座り込んだまま立ち上がろうともしなかった。


「篁よ、ひとつだけ教えといてやろう。お主には水難の気が出ておる。水に関することには注意するんじゃな。我に出来る罪滅ぼしは、こんなものかの」


 そう道摩が言うと、雷鳴が轟いた。

 思わず篁と鬼面童子は地獄の空を見上げる。


「終わりじゃ」


 道摩はそう呟いて、篁たちと同様に空を見上げた。

 その刹那、巨大な塔のようなものが上空から降ってきて、座り込んでいた道摩を押しつぶした。


托塔たくとう天王てんのうさま……」


 鬼面童子が呟くように言った。


「托塔天王?」


 篁が聞き返すと、鬼面童子は無言で頷いた。

 再び雷鳴が聞こえ、すぐ近くに雷が落ちた。まわりにいた罪人たちは、落雷によって次々と倒れていく。

 その後も何度か落雷は続き、最後の雷鳴と共に大きな人影が現れた。

 偉丈夫と呼ばれる篁よりひと周り大きなその影は、唐の鎧のようなものを身に着けていた。

 托塔天王は、羅刹や鬼神といった鬼たちを眷属として従える仏神の一人であった。別名、多聞天たもんてん。さらに別の名を毘沙門天びしゃもんてんともいう。托塔天王はその名の通り塔の形をした宝珠を操り、悪鬼がいればその宝珠で潰してしまうという術を持っていた。


「我が眷属けんぞくの羅刹たちが殺められていると聞いて飛んできてみたが、まさかこのような者に出会うとはな」


 托塔天王は笑いながら言う。

 このような者。それは篁を指してのことのようだ。


「名は何と申す」

「小野篁にございます」

「そうか、篁か。どうだ、篁。お前も我の眷属にならぬか」


 真剣な眼差しを篁に向けながら托塔天王は言った。


「失礼を承知で申し上げます。この小野篁という者は、現世の者でして」


 口を挟んだのは花であった。花は罪人たちが雷に打たれて全滅したため、篁の元へと駆けつけて来たのだった。


「そなたは、地蔵菩薩の眷属だったな」

「はい」


 地蔵菩薩。それは閻魔大王の仏としての別名である。


「なるほど、面白い。現世の者と地蔵菩薩の眷属か。これは愉快」


 そう言って、托塔天王は豪快に笑った。


「それで、この変の首謀者は何処におるのじゃ」

「わかりませぬ」


 花がそう答えた。


「わからぬとは、どういうことじゃ」

「托塔天王さまが潰されてしまったからです」

「何をじゃ」

此度こたびの変を起こした者です」

「……左様か」


 托塔天王は気まずそうに言うと、自分の宝珠である塔に潰されてしまった道摩の方を見た。


「まあ、良いか。首謀者が分からずとも、これで地獄の変は終わりじゃ。終わりよければ全て良しじゃ」


 再び托塔天王は豪快に笑うと、雲のようなものに乗って去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る