地獄変(6)

 今まで様々な物怪もののけやあやかしと対峙したことがあったが、巨大な蝦蟇がまの相手をするというのは初めてのことであった。


 蝦蟇は大きな口を開けると、そこから長く伸びる舌を出して篁のことを捕らえようとしてくる。あの舌に捕らえられたらひとたまりもない。篁は必死に動き、蝦蟇の舌から逃れようとした。

 見境なしとはこのことだった。蝦蟇は舌を伸ばすと篁に限らず、それが味方の罪人たちであったとしても舌が触れたものは自分の口の中へと引き込んでいく。その様子を見た罪人たちは自分が食べられまいと、大慌てで蝦蟇の近くから逃げていく。

 そんなこともあり、罪人たちの反乱軍は大混乱に陥っていた。後方からは花の指揮する鎮圧軍が押し寄せ、前方では巨大な蝦蟇が見境なしに周りにいる人間を食べようとしているのだ。


「おのれ、篁。我の邪魔をしおってからに」


 自分が出現させた蝦蟇のせいで味方が混乱に陥ったというのに、道摩はそれを篁の仕業だと言わんばかりに怒りのこもった口調で言う。


 蝦蟇の動きというのは、とても遅かった。巨大な体は素早く動かすことが出来ないらしく、厄介なのはあの伸びてくる舌だけだった。

 篁はそれを見極めると、呼吸を整えて鬼切羅城を構えた。


 蝦蟇の舌が伸びてくる。その舌は粘液のようなものをまとっており、その粘液に触れると皮膚が焼けるようになるということは、触れてしまった罪人たちを見てわかっていた。

 うまく蝦蟇は自分の舌の動きを調整できないらしく、篁に向かって伸ばしたはずの舌は篁の近くにいた罪人を捕らえる。舌に捕らわれた罪人は、慌てて逃れようとするが、身体に粘液がつき動けなくなってしまう。皮膚の焼けるような臭いがし、罪人の身体が少し溶けているのが見てわかる。どうやら、あの粘液は人を溶かすもののようだ。

 抵抗も虚しく、罪人の身体は蝦蟇の舌に巻き取られて行こうとする。


 罪人の身体を捕らえた舌が引っ込む瞬間。それを篁は待っていた。

 篁は一気に蝦蟇に走り寄ると、そのまま飛び上がって鬼切羅城を斬り下ろした。

 鬼切羅城。かつて主従を結んだ鬼であるラジョウの力が宿った太刀。元は閻魔大王が篁に与えた鬼切無銘という名の太刀であった。

 その鬼切羅城が蒼い光を放ちながら蝦蟇の身体を真っ二つに斬り割いた。


「あなやっ!」


 そう叫んだのは蝦蟇の背に乗っていた道摩だった。

 まさか篁が太刀で蝦蟇を斬るだなんて、想像もしていなかったのだろう。

 斬られた蝦蟇は煙のようなものを放つと、ただの一枚の紙きれになった。


 式神というのは、人形ひとがたと呼ばれる紙に式神の魂を乗り移らせたものだという話を篁は聞いたことがある。おそらく、この蝦蟇も道摩が紙に宿らせた式神だったのだろう。


「おのれ、篁。なかなかやるではないか。だが、次はどうかな」


 道摩はそういうと、腰に佩いていた剣を抜き放った。

 その剣は実戦で使うようなものとは違い、なにやら煌びやかな紋様が入った儀式などで使われる剣のようだった。

 剣を構えた道摩は何やらぶつぶつと呟きながら歩きはじめた。その歩き方は何とも奇妙なものであり、まるで酔った時の千鳥足のようにも思えるものだった。


「篁様、危ない」


 そう声をあげたのは鬼面童子であった。

 篁はその声に反応して、後方へと飛びのく。

 ちょうど篁の立っていた辺りに、空から数十本の剣が降り注ぐ。


「外したか」


 舌打ち混じりに道摩が言い、さらに千鳥足で歩き回る。

 この道摩の歩法は、陰陽師たちが行う禹歩うほと呼ばれる呪術のひとつであった。千鳥足のようにして歩いて見えるのは、北斗七星の形を現しながらジグザグに歩いているものであり、実は引きずっている片足で地に図形を描いて術を施していたのである。

 以前、朝廷に仕える陰陽師である刀岐ときの浄浜きよはまが使う呪術は何度か見たことがあったが、このような動きをまとった呪術を見たのは初めてのことだった。


「痛い、やめろ離せ」


 再び鬼面童子の声が聞こえた。

 そちらに目を向けると、鬼面童子が罪人に捕まえられしまっていた。

 篁は素早く動き、鬼面童子を捕らえている罪人のことを斬り倒す。


「篁様、ありがとうございます」

「なんの。こちらも助けられておる」


 そんな会話を篁たちが交わしている間も道摩は、禹歩を続けていた。

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