両面宿儺(4)
両面宿儺の祠が近づいて来ているということは、嫌でもわかった。
それは千株も同じようで、先ほどから眉間にしわを寄せ強張った表情をしている。
瘴気とも呼べるような禍々しい黒い影が篁たちの周りを漂っており、馬が先に進むのを嫌がるようになってきていた。
「仕方がない、ここから先は歩いていくか」
完全に馬の脚が止まってしまったため、篁は千株に声を掛けた。
「そうですね」
千株も同意して、馬から下りる。
持ち物は、少しの食料と水、
「兄上にも見えておりますか」
「ああ、見えておる」
どうやらこの瘴気のようなものは千株にも見えているようだ。
「あの先に黒いものの塊があるようですが……」
千株が指さしたところには、小さな祠が立っていた。
間違いなく、この瘴気はその祠から湧き出しているものであった。
あやかしや物怪を見る力は千株にもあるが、あの禍々しい黒い塊はそういった力がないものでも見えてしまうほど強力なものだった。
おそらく飛騨の国の者たちも近づこうとはしないだろう。
あそこに両面宿儺はいるに違いない。
篁には確信めいたものがあった。
「気を付けろ、千株」
そう言いながら、篁は弓に矢を番える。
千株もそれに倣い、弓を構えた。
最初に現れたのは、小さな鬼だった。それも見たことのない種類のもので、腕が四本あったり、足が四本あったりしていた。どうやら、両面宿儺の力が鬼たちにも及んでいるようだ。
「来るぞ」
「はい、兄上」
鬼たちが集まってきていた。
あと少し近づいて来れば、弓の射程範囲内に入る。
先に矢を放ったのは千株であった。
風を切る音がし、弓から放たれた矢は一直線に鬼を目掛けて飛んでいく。
矢を浴びた鬼は浄化されるかのように姿を消した。
「兄上っ!」
自分の矢が鬼を消したことに、千株は驚きと喜びが混じったような声をあげた。
「いいぞ、千株。このまま矢を打ち続けるんだ」
「はいっ!」
篁と千株は次々と矢を番えると、鬼たちに向けて放った。
最初のうちは、矢を浴びせることで済んでいたが、次第に鬼たちとの距離は縮まってきていた。数が多すぎるのだ。
これ以上は矢で対応するよりも、太刀を抜いたほうが良い。
そう考えた篁は弓を捨てると、腰に佩いていた鬼切無銘を抜き放った。
篁によって抜き放たれた鬼切無銘の刃は蒼く輝いていた。
まるでその刃が周りの瘴気を吸い込んでいくかのように、黒き霧が晴れていく。
小物の鬼たちには、鬼切無銘を抜くだけで効果は十分にあった。
その太刀がただの太刀ではないということを感じ取った鬼たちは、斬られる前に逃げていく。
篁は鬼たちが退いていった道をゆっくりと進んだ。
そうしていくうちに、祠の姿が見える位置まで辿りついた。
小さな祠ではあるが、そこにある石碑には両面宿儺という文字がはっきりと刻み込まれているのが確認できた。
この祠の中から禍々しい黒き霧が放たれている。
千株がその祠に一歩近づこうとした時、周囲の気配が変わった。
「千株っ!」
篁は隣にいた千株のことを咄嗟に突き飛ばした。
間一髪のところだった。
先ほどまで千株が立っていたところに、大きな
「外したか」
「外したようだな」
「きちんと狙え」
「狙っておるわ」
ふたつの声が聞こえてくる。声色は男とも女ともわからぬものであった。
黒い霧の中から姿を現したのは、顔が前後にふたつあり、腕が四本、足が四本という奇妙な形をした巨大な鬼神であった。
「小野篁か」
「小野千株か」
前後にある顔が同時に別の言葉を発する。
「両面宿儺……なのか」
篁は初めて見る鬼神の姿に驚きを隠せなかった。
「いかにも」
「いかにも」
ふたつの顔が同時に同じ言葉を発する。声は似ているようで似ておらず、この声を聞いているだけでも、何だか妙な感覚に陥りそうになっていた。
「ここは、私がやる。千株は少し下がっておれ」
「あ、兄上、私は足が震えて動けませぬ」
千株は尻もちをついたまま、必死に後ずさりをしようとしていた。
正直なところ、篁も逃げ出したい気分だった。
今までも、獅子頭の羅刹や狗神といった得体の知れない物怪たちの相手をしてきたが、ここまで奇妙奇天烈な者を見るのは初めてのことである。
「武振熊命の血は絶やさねばならん」
「武振熊命の血は絶やさねばならん」
両面宿儺はそう言うと、先ほど投げつけてきた鉞を拾い上げた。
「我は武振熊命の血肉を喰らい、永遠の命を手に入れる」
「まずはお前からじゃ、小野篁」
その言葉を聞いた篁は、まだ妹が無事であることを確信した。
「千株、お主は妹を探し出せ」
「え、あ、兄上は」
「心配するな、大丈夫だ。さあ、早く妹を探し出すのだ」
「わ、わかりました。兄上、ご武運を」
千株は震える手足を何とか動かしながら、その場から姿を消した。
「逃がしたか」
「逃がしたな」
「まずは篁じゃ。篁を喰ろうたあとで、千株を喰らえばよい」
「ああ、そうじゃ。最後はあの女子じゃ」
両面宿儺はひとりで話をし、ひとりで完結させている。
その様子を見ただけでも、何とも奇妙であった。
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