両面宿儺(3)
朝を迎えた時、篁は何事もなかったかのように屋敷へと戻っていた。
弟の千株と共に粥で朝食を済ませ、家人に馬の用意をさせた。
「しばらくの間、留守にする」
そう家人に告げ、文を書くと弾正台へと持って行かせた。
千株は父から譲り受けたという立派な太刀を腰に佩いており、格好だけは立派な武人に見えた。ただ兄である篁から見ると、まだ幼さもあり、どこか頼りないようにも見えてしまう。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
家人に見送られ、篁と千株は飛騨の国に向けて出発した。
羅城門を抜け平安京を出る際、篁はそびえ立つ羅城門を振り返りながら、もう一度必ずこの門を潜ると心に誓った。
飛騨までの道のりは、馬に乗れば一日程度で着く距離だった。
ただ、両面宿儺が飛騨の国の何処にいるのかまではわからない。そのため、飛騨の国に着いてから両面宿儺の行方を追う必要があった。
飛騨の国に入った頃、上空を一羽の鳥が飛んでいるのが目に入った。
普段であれば、鳥の姿など気になることはないというのに、なぜかその鳥だけは気になったのだ。
「少し休もう」
篁は千株に声を掛けて馬を降りると、木陰に入った。
「水を探してくる」
少し疲れた顔をしている千株に言い、篁はひとり木々の生い茂る雑木林の中へと入っていく。
水の音が聞こえてきた。近くに川が流れているはずだ。
篁が雑木林の奥へと進んでいくと、川辺に一匹の大きな鳥がいた。鷹である。
「これは驚いたな」
そう篁が言うと、鷹はゆっくりと首を篁の方へと向けた。
「空から篁様のことを見ておりました」
「やはり、花であったか」
「はい。ひと足先に、飛騨に入って両面宿儺の様子も見てきましたよ」
鷹の姿の花は羽を広げて見せながら、篁に言う。
「なんと。奴はどこに?」
「もう少し先に小さな祠があります。そこが両面宿儺の封印されていた祠でした」
「奴はまだそこにいるのか」
「そのようです。ただ、ひとりではありません。どこから連れて来たのか、数名の
「そうか……。両面宿儺に対して、飛騨権守は動いておらぬのか」
「気づいてはいるみたいですよ。何か禍々しいものが動き出しているということには。しかし、篁様のようにあやかしが見える人間でなければ、両面宿儺の姿を見ることはできませぬ」
花が鷹の姿のまま笑って見せる。
藤原貞本は力にならないということはわかった。やはり、ここは自分と千株、そして花の三人でどうにかするしかないようだ。
「わかった。色々と助かった。引き続き、何かあれば教えてくれ」
「わかりました。あ、そうそう千株様も篁様ほどではありませんが、あやかしに対する力をお持ちのようです。先ほど、空を飛んでいる時にわたしと目が合いました」
「ほう。やはり武振熊命の血を引いているものだからかのう」
「そうかもしれませんね。では、わたしはひと足お先に」
花はそう言って空へと飛びあがっていった。
篁は川で水を汲むと、千株の待つ場所へと引き返した。
千株は疲れていたのか、木陰で横になっている。
「戻ったぞ。ちょうど、そこに川があった」
篁が声を掛けると千株が身体を起こそうとしたので、篁は「少し休もう」と言って自分の千株の横に寝転がった。
空が青かった。
すでに花の姿はどこにもない。
「兄上、妙なことをお訪ねしますが、兄上にはあやかしなどが見えたりするのでしょうか」
「あやかし?」
篁はあえて惚けてみせた。
「いえ、子どもの頃に兄上が狐狸がいたとか、小さき鬼を見たといっていたことを思い出しまして」
「ああ、その話か。急にどうした」
「それが……」
「千株にも見えたりしたというのか?」
その言葉に千株は驚いたような表情で篁の方を見た。
「おわかりになりますか、兄上」
「ああ、わかる。お前のことは何でもお見通しだ」
「やはり、兄上は千里眼をお持ちだ」
興奮したような口調で千株は言うと話を続けた。
「両面宿儺に妹が攫われる数日前に、私は小鬼を見ました。共の者たちに確認をしましたが、誰も見てはいない、見間違いではないかと言われてしまいましたが」
「なるほど。それは千株の見間違いではなかったのだろう。おそらく、その小鬼は両面宿儺が放ったあやかしだ」
「やはり、そうなのですね」
「あやかしが見えるのは、武振熊命の血を引く、小野家の人間の宿命といったところだろう」
そう言って、篁は起き上がった。
妹は無事だろうか。なぜ、両面宿儺は妹を攫ったのだろうか。妹を攫ったことで何をしようと企んでいるのだろうか。
様々な疑問が篁の中にはあった。
どちらにせよ、両面宿儺に会うまではその疑問を解くことはできない。
待っておれ、両面宿儺よ。篁は心の中で呟くと、水をひと口飲んで、馬に跨った。
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