百鬼夜行(5)

 藤原良門の屋敷は、岳守の屋敷から目と鼻の先にあった。

 良門といえば、時の左大臣である藤原ふじわらの冬嗣ふゆつぐの六男であり、家柄は申し分なかった。

 門のところで声を掛けると、家人が出てきて対応した。


「小野篁と申します。良門殿に取り次ぎを願いたい」

「主人はいま、病に臥せっておられます故に……」


 家人がそういうので、篁は紙を一枚、懐から取り出して、家人に渡した。


「良門殿に、こちらをお渡しくだされ」


 どういうことだ。藤原平の顔にはそう書かれていたが、篁は特に説明はしなかった。

 篁が良門の家人に渡した紙。それは、例の百鬼夜行に遭遇した時に唱える呪文の書かれた紙であった。

 この紙を渡したからどうという訳ではないが、訪問の意図が良門に伝われば良いと篁は考えていた。


 しばらく待たされたが、戻ってきた家人は篁たちに告げた。


「主人がお会いになるそうです。こちらへどうぞ」

「では、行こうか」


 良門の屋敷はかなりの大きさであった。寝殿造しんでんづくりとなっており、広い庭と大きな池がある。


「これはこれは、篁殿。ご無沙汰しております」

「突然、押しかけてしまい、申し訳ありません」


 客間に通された篁たちを待っていたのは、青白い顔をした良門であった。

 本当に病に臥せっていたのか。そう思うほどに、良門の顔色は悪い。


「本日は他でもありません。百鬼夜行の件で伺いました」

「なるほど。いずれ来るかとは思っていたが、思っていたよりも早かったな」


 そう言って、良門は笑って見せた。


「あの男女は何者なのです」


 篁がそう切り出したので、隣にいた平は驚いた顔をした。

 しかし、良門はその質問が来ることがわかっていたかのように、表情を変えることは無かった。


「男の方は知らぬ。覗き見ていたから、斬って捨てただけじゃ」

「では、女の方は」

「どこぞの屋敷の女房だろう。詳しくは知らぬ。何度か逢っているうちに子が出来たなどと申してきた。しかし、本当に我の子であるかどうかはわからん。そんな言い合いをしているうちに、本当に我の子かどうか確かめてやろうという気になってな」

「それで腹を斬った……と」

「ああ、そうじゃ。あの女の腹の中に子などはおらんかった。あの女は我から金をむしり取ろうと考えていただけなのじゃ」


 良門の目には狂気が宿っていた。

 語っているうちに興奮してきたのか、青白かった顔に朱がさしはじめてきている。

 百鬼夜行。そんなものは、最初から存在しなかった。すべては良門の犯行だったのだ。

 良門は自分の犯行を隠すために、百鬼夜行の噂話を内舎人の中で吹聴した。

 その結果、篁の耳に届いてしまったというわけだ。

 なにが良門にそうさせたのかはわからなかった。

 ただひとつ言えることは、良門は病気だということだ。本当に、なにか得体の知れぬものに取り憑かれてしまっているのかもしれない。


「あの男と女は、良門殿が殺したとお認めになられるか」

「ああ。我が殺していなければ、他の誰かが殺していただろうよ。それこそ百鬼夜行に殺されていたかもしれん」


 そう言うと良門は、ひゃっひゃっひゃっひゃと引き笑いの声をあげてみせた。


「おい、篁。良門殿が本当にやったのか」


 平が小声で篁に問いかける。

 篁はその問いに無言で頷くだけだった。


「良門殿、我々は上にあなたのことを報告いたします。よろしいですね」

「構わん、構わんぞ。我を助けてくれ、篁殿」


 真顔で良門は言った。左側の目からは涙が滝のように流れ出ていたが、右目は赤く充血しているだけだった。

 この男は、どこか壊れてしまっているのだ。

 篁は、良門のことを憐れんだ。


 弾正台に戻った篁と平は、上司である清原夏野に事のあらましをすべて語った。

 夏野は難しい顔をして話を聞いていたが、最後に「朝廷へ報告する」といって、ふたりを下がらせた。


 その後、藤原良門が検非違使に逮捕されたという記録は、どこにも残ってはいない。

 ただ、良門は名門藤原家の出身であるにも関わらず、正六位上・内舎人より出世することは無かった。

 良門は、左大臣・藤原冬嗣の息子たちの中で唯一、五位に昇ることのなかった人物である。

 しかし、良門は二人の息子に恵まれており、長男の利基の子孫は、作家・紫式部、大納言・藤原邦綱、歌人・藤原家隆など、次男の高藤の子孫は、中納言・藤原ふじわらの顕隆あきたか、大納言・藤原経房などと、名門・藤原北家を代表する一族となっている。

 また、平安時代の説話集である江談抄ごうだんしょうには、篁が藤原高藤を百鬼夜行に遭遇させて脅かした話が書かれていたり、篁の墓の隣には紫式部の墓があったりと、篁と藤原良門の子孫たちは切っても切れないような関係だったりもしている。


「難しはや、行か瀬に庫裏に貯める酒、手酔い足酔い、我し来にけり、か」


 篁は屋敷の縁側で盃を傾けながら、ひとり呟いてみた。

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