鬼切の太刀
鬼切の太刀(1)
雨上がりの夜は、どこか蒸し暑さを感じさせていた。
夕餉を済ませた篁は屋敷の庭が見える縁側に座り込むと、紙と筆を持って何やら書き物をしている。
どうやら、よい歌が思い浮かんだようだ。
しばらくの間、家人は篁に声を掛けないようにしていた。
集中しているところを邪魔するわけにはいかないと思ったからだ。
以前、そういった配慮をしなかった家人が声を掛けてしまった時、篁はその家人と三日ほど口を利いてくれなかったそうだ。
気難しいお方じゃ。その声を掛けてしまった家人は同僚の家人に漏らしていたが、それは声を掛けた方が悪いのだ。
主人が何をしているのか、いまはどのような状況にあるのか、それを察して動くのが家人というものだろう。
その声を掛けてしまった家人は数日前から病に臥せって、篁の屋敷には来てはいなかった。
そんな家人に対して、篁は見舞いの品をいくつか届けさせるという配慮を怠らず、あの一件以来ずっと嫌われているものだと思っていた家人は涙を流して喜んだそうだ。
篁様という人は、そういう人なのだ。
家人は縁側で書き物をする篁の背中をそっと見守った。
「もし」
篁が歌をいくつか書き終えて、筆を置いたところで声を掛けられた。
声がしたのは闇の中からである。
来たか。篁はそう思いながら、闇の中をじっと見つめた。
すると一匹の蛍がゆらゆらと闇の中から現れて、縁側にとまる。
「なにようだ、
「おひさしゅうございます、篁様」
「なにか面倒ごとを持ってきたか?」
「そのようなことを言って、篁様は意地悪でございます」
「ゆるせ、花」
篁は笑いながら言う。
家人はこのやり取りをしている篁の背中を見ていたのだが、家人には何も見えてはおらず、また篁が話をしている声も聞こえてはいなかった。
これは花による幻術のようなもののせいだった。花の姿は篁以外の人間には見ることはできないのである。
「して、今宵は何か」
「篁様をお連れしろと……」
「閻魔大王か」
「はい」
「わかった。向かおう」
篁は立ち上がると、奥の座敷にいた家人に「出掛ける」とだけ声を掛けた。
すでに夜の帳は下りていたが、篁が出かけることを家人は何とも思わなかった。
普段から、急に夜中に散歩に出たりすることがあるためだ。
最初の頃は心配もしたが、翌朝には何事もなかったかのように床にいたりするため、家人は余計な心配は無用だと思い直した。
篁が屋敷の門から外に出ると、そこには
「して、どちらへ」
「六道辻にございます」
「また、あそこか」
そういった篁は、前回井戸の中へと入っていくのをためらっていたところ、花に後ろから蹴落とされたことを思い出して苦笑いを浮かべた。
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