羅城門の鬼(2)

 妙な風が吹いていた。

 生暖かく、どこか湿っぽい風だ。

 そこにあるのは、闇だった。

 雲の隙間から覗く月の明かりで、羅城門らじょうもんの姿が浮かび上がってくる。


 羅城門は門といっても、ただの門ではない。二重閣の入母屋造いりもやづくりで大きさは七〇尺(21メートル、現代でいえば6階建てのビルの大きさに相当する)を超える巨大な城門であった。羅城というのは都市を取り囲む城壁のことであり、その羅城に開かれた門が羅城門であった。ただ平安京の場合は、羅城といっても城壁があるのは南側だけであり、北は船岡山、東は鴨川、西は桂川と地形によって守られており、周りを囲むのは背の低い土塁と掘られた溝だけであった。

 この門の向こう側は外界がいかいとされており、この門が平安京みやこと外界の繋ぎ目の役割を果たしている。

 しかし、門は十年ほど前に大風で倒壊した際に修繕を行ってからは、一度も修繕は行われていなかった。そのため、城門の形は保っているものの、中はひどく荒廃していた。

 近年では、京の都から外界へと旅立つ者は少なく、この門に近づくこともしない者が多い。そのため、役人の目も羅城門には届いていないというのが現実であった。


 草木が生い茂る中に佇む羅城門を見上げた篁は、背丈の高い雑草をかき分けるようにして羅城門の入口へと進んだ。


 中に入ると奇妙な臭いがした。

 湿気やかびたぐいの臭いもしているが、それとはまた違った臭いである。それは、いままでに嗅いだこともなく、例えようのない臭いだった。

 腐った床板を踏み抜かぬよう気を付けながら、篁は城門の中を進む。


 奥に階段があるのが見えた。一階には気配が感じられないため、おそらく何かがいるとするのであれば二階であろう。

 篁は鼻からゆっくりと空気を吸い込み横隔膜を大きく膨らますと、口から空気を吐き出した。息吹いぶき。そう呼ばれる呼吸法である。何度か、その息吹を繰り返した後、篁は意を決したかのように階段をのぼりはじめた。

 階段の床木は所々朽ちている部分があり、そこを避け、足を踏み外さぬよう、階段を慎重にのぼる。


 二階に到着した時、その場の空気がおかしいことに篁は気づいた。

 あの臭いも強くなっている。

 気配を殺しながら、奥の部屋に足を踏み入れた時、闇の中にぼうっと明るい何かが浮かび上がっているのに気づいた。

 蒼い炎だった。鬼火おにび。そう呼ばれるたぐいのものだ。

 鬼火の灯りに照らされるようにして、大きな背中が見えた。

 とても人とは思えぬほどの大きな背中である。

 篁自身も偉丈夫いじょうふといわれるぐらいに身体は大きいが、その篁よりもはるかに大きな身体がそこにはあった。


 ゆっくりと腰に佩いた太刀を抜いた篁は、その背中に声を掛けた。


なんじ、そこでなにをしておる」


 力強く、そして大きな声だった。

 その声にゆっくりと大きな背中の持ち主が振り返る。

 ぎょろりとした黄色く濁った眼に、大きな顎。

 口の周りは血のようなもので赤黒く汚れており、その隙間からは牙のようなものが見えている。

 そして、散り散りになった髪の間からは二本の短い角が生えていた。

 その姿は、まさに鬼だった。

 篁も幼少の頃より、あやかしや小鬼こおに狐狸こりの姿は見たことがあったが、このように大きな鬼を見たのは初めてのことだった。

 得体の知れぬ震えが篁のことを襲った。


「お前は、誰だ」


 はっきりとした口調で鬼がいう。

 鬼が言葉を発すると同時に、口から青白い鬼火がこぼれ出る。


「弾正少忠、小野篁だ」

「ほう、弾正少忠とな」

「いかにも」

「弾正少忠ごときが、わしに何用じゃ」


 座っていた鬼がのっそりと立ち上がる。

 その大きさは、篁よりも頭ひとつ大きかった。


「野盗の真似事をしておる者がいると聞いて見に来たのだ。まさか鬼であったとはな」

「笑わせるわ。震えておるぞ、篁」

「気安く我が名を呼ぶな、鬼め」

「鬼か……鬼とな」


 鬼はそう言い、口から青白い鬼火を吐き出す。


「お前を喰らいたくなってきたぞ、篁」

「面白いことを言うな。喰らいたければ、喰らうがいい」


 篁は太刀をゆっくりと上段に構えた。

 剣の腕には自信があった。

 父である岑守みねもりが陸奥守だった頃、蝦夷えみしとの戦いを繰り返してきた。矢が尽き、刀が折れ、素手で取っ組み合いをしたこともある。それでも篁は生き残った。その自信が鬼を目の前にしても怯まない篁の心を支えていた。

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