TAKAMURA
大隅 スミヲ
第一部
羅城門の鬼
羅城門の鬼(1)
時は
篁は、昼間は朝廷で
家柄は間違いなく、祖父である
篁自身も父の岑守に従い陸奥国に赴き、武芸で名を馳せており、陸奥国で小野篁という名を知らぬ者はいなかった。当時の陸奥国は、
そんな篁も二十歳になる頃には
弾正台の主な職務は、中央行政の監察、京内の風俗の取り締まりといった、いまでいうところの警察に近い存在であり、その中でも篁の偉丈夫は目立っていた。
鬼も恐れる弾正、篁。
そんな言葉が京の子どもたちの間で流行るほど、篁の活躍は目覚ましく、その翌年には
静かな夜だった。
風もなく、辺りはしんと静まり返っている。
その晩、篁は
弾正台の宿直は、夜の
その
先頭を歩く巡察弾正は右手に松明を持って辺りを照らしており、その後ろを歩く篁はいつでも
「もし」
どこからか、女の声が聞こえてきた。
篁は足を止めたが、先頭を歩く巡察弾正は気づかなかったのか、そのまま歩き続けた。
「どうかなさいましたか」
突然、篁が歩みを止めたため、後ろを歩いていた巡察弾正が声を掛けて来た。
「女の声が聞こえなかったか」
「いえ、私には何も」
「そうか……」
空耳か。篁はそう思い直し、歩きはじめようとした。
「もし」
また聞こえた。今度ははっきりと聞いた。間違いない。
後ろを振り返ったが、そこにいるはずの巡察弾正の姿はなく、辺りには霧が立ち込めていた。
これは妙だ。篁がそう思った時、再びあの声が聞こえてきた。
「もし」
篁は声のした方を睨みつけ、腰に
どこにも姿は見当たらなかった。
しかし、気配のようなものは感じる。
「お待ちください。あなた様は、小野篁様でお間違いないでしょうか」
「いかにも。私は、弾正少忠の小野篁だ」
そう答えたものの、やはり相手の姿はどこにも見えない。
しびれを切らした篁は、女の声がしてきた方に向けて声をあげた。
「姿を見せられよ」
「これは、失礼いたしました」
辺りを漂う霧が濃くなってきた気がした。
警戒心を解いていない篁は、太刀を持つ手に力を込めていた。
もし、
音もなく姿を現したのは、白い水干を着た若い女だった。
俯いているせいで顔ははっきりと見ることはできない。
「何者だ」
篁の声に、女は顔をあげた。
美しい顔をした女だった。美しさと艶やかさを兼ね揃えているのだが、どこか現世の人間にはない雰囲気を身にまとっている。
面妖な女よ。
篁はそう思った。
「わたくしは、
女は切れ長の目で篁のことをじっと見つめながら言う。
「花とな」
その奇妙な名前を篁はつぶやくようにして言うと、女の目をじっと見つめ返した。
美しかった。これほどまでに美しい人は、現世にいるだろうか。
篁はそう思う一方で、別のことを考えていた。
幼き頃より、篁にはあやかしを見る力があった。
小鬼や
「して、なにか私に用か」
「篁様にお願いしたき事がございます」
「ほう。この弾正少忠に頼み事とは恐れ入った」
篁は声を出して笑ってみせた。
「笑いごとではございませぬ」
「怒ったか」
「怒ってはございませぬ」
女は少し唇を尖らせるような仕草をしてみせる。
なるほど、あやかしであっても人の
篁は女のことをじっと見つめながら、そのようなことを考えていた。
「すまん。真面目に聞こう」
「この先にある
羅城門。それは
「ああ、見たことは無いが話を聞いたことはある」
「その男を追い払ってはもらえないでしょうか」
「
篁は怪訝な顔をして女に言った。
「そもそも、あの場所は男の居場所ではございませぬ」
「それはそうであるが、それだけの理由では追い払うほどの理由にはならんな」
「では、これではどうでしょうか。かの者は現世の者ではございません。
「なんと。人ではないと申されるか」
「はい。元は現世の者でありました。しかし、
「野盗とな。それは、弾正少忠としても見逃すわけにかいかぬ」
「ではやっていただけますでしょうか」
「やろう」
「よろしくお願いいたします。礼はかならず」
女はそう言うと霧の中へと消えていった。
「弾正少忠、弾正少忠」
自分を呼ぶ声で篁は我に返った。
霧は晴れており、女の姿などはどこにもない。
先を歩いていた巡察弾正が踵を返して、篁のもとへと戻って来ていた。
「どうかしたのか」
「この先の羅城門より、奇妙な声が聞こえてきています」
「ほう、奇妙な声とな」
「あれはこの世の者の声とは思えませぬ」
「その声を聞いて怖じ気付いたか、巡察弾正」
篁はそう笑い飛ばす。
「では、私がこの目で確かめてこよう。しばらくして、私が戻らなければ、様子を見に来られよ」
篁はふたりの巡察弾正にそう告げると、ひとりで羅城門へと向かっていった。
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