八 三十回あることは三十一回ある
彼女――孫麗月はと――っても、偉いひとだった。
『岑国禁軍本営総司令部』の『総司令長官』の『代理』で、『岑国禁軍本営用兵管理部』の『長官』兼、『全軍総大将』兼『玲彗公主』でもある、『孫麗月』という名のひと。
おそらくだが、この場合の『公主』とは、皇位継承権を持つ皇族の子女のことではない。何かしらの手柄を立てた場合、将軍や官吏は封土を与えられ、王公として封じられる。彼女もまたそうなのだろう。
それにしても……彼女が今回の侵攻において、全権を持つ総大将だったのか。
実をいうと、月王・白雪は女神である。初代東国の王も、女王であったとされる。そのため、『旧』東国のだった五カ国――嘉、海、奏、岑、連では、昔から女性にもそういった継承権が与えられている。
事実、岑の数代前の皇帝は女帝だったし、嘉では一定世代ごとに女王が誕生している。
が、女の君主とは言うのは何というか、『効率』が悪い。
妊娠・出産の限度は一年に一回。月に一回は個人差があるとはいえ気が乱れる。第一、四十路に入れば子を成すことは難しくなる。
男の君主の場合、やっぱり表立って言うのは憚れるし、身も蓋もない話だが、数撃ちゃ当たるというか、種さえあって、それをばらまけばどっかしらで実る。年齢的な制限にしたって、誰かを孕ませたからといって、自分が致せなくなるわけではない。
そういった生物化学的な都合上、女の君主は難しいのだ。
しかし、君主ではないにしろ、政治や軍事において、官吏は一定数女性がいる。
他国より障碍が少ないとはいえ、やはり女性が公の場で活躍することを快く思わない者は多い。そんな彼らを跳ね除けて官吏になる女性は、やはり並の人間ではないのである。
彼女、麗月もまた、その一人。
*******
結論から言うと、鑭依はあっという間に解放された。
そして、自国の王はとんでもない昏君だった。
今一度、再現してみよう。
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『芙蓉水月の間』には、岑軍に捕らえられたと思わしき王族や高級官僚がずらりと並べられていた。
その最前列にいた、連王は、鑭依の顔を見るなりこう言った――…。
「っだ、誰だ、お前はぁ!!儂の可愛い茉はどこ行った!!!」
「……いや、
補足だが、「茉」とは鑭依が身代わりになる予定だった敏寧公主のことである。
身代わりの用意は、父王に内密で彼女たちが進めたことだった。連王は敏寧公主むすめが可愛いあまり、その娘の作戦の足を引っ張る形になってしまったのだ。皮肉なことである。
言っておくが、鑭依がここにのこのこ無抵抗でやってきたのにはそれ相応の理由がある。
まず第一に、明らかに今の爛依は公主という出で立ちではない。
公主が纏うものとは思えない、ぼろぼろの胡服。服だけでなく身体も埃っぽく、土で汚れている。
そして、つい先程、自分は岑の一番偉い人に釈明をした。麗月は『信用したわけじゃない』と言ったが、それは『鑭依本人を』なのか、『鑭依の話を』なのか。
自分は前者であると踏んだ。「『鑭依本人を』信じる
たとえそのひとのことを信用せずとも、時と場合によってはそのひとの話を信じることができる。狼少年は常に成立するわけではない。それが鑭依の考える人の在り方の一つだ。
無論、鑭依の邪魔をしてくる人間は存在した。
「…連王陛下はどうやら錯乱なさっている御様子。どうか岑の全軍総大将さまにおかれましては、冷静かつ公正な判断をなさってくださいますよう」
あの、小母ちゃん侍女である。
ようは、連王は混乱していて、娘が誰だかわかっていない。そう言いたいのだ。
うん、そうきたか。でも、ちょっと…いや大分無茶苦茶な気がする。
何度も言うようでしつこいが、公主とは『公主』という一つの存在である。公主であることが尊ばれることの要因であり、その地位相応の責務と果たし、権利を有する。
公主が『公主』という存在でいられることは、国としての権威を貶めないこと、かつ公主そのものの価値を示す。
これは鑭依が叩き込まれた知識の一つだ。豪商というのは、一介の官吏を凌ぐだけの権力はある。その養女となった以上、義父が自分にこういった『感覚』を教え込んだ。
麗月は高位の人物である。そして、知り合ってまだ浅いというのに、その地位に相応しいだけの知性はある。おそらく彼女は、王族の一員である『公主』の存在意義を理解している。
今の小母ちゃん侍女の発言は、無論、王そのものを貶める不敬にあたり、かつ公主、ひいては王族そのものの存在を否定するものだった。
自分はこの侍女をよく知らない。だが、どう考えても彼女はこのような発言を許容されていない。不敬罪は一般的に王族以外の者に対して適用されるものである(例外はそれなりにあるが)。
第一、そもそも彼女は発言すること自体を許されていない。
身分が低い者は、高位の身分の者が許可しない限りそもそも話すことはできない。
「…その方、不敬であるぞ」
当然、彼女の娘――桜鎖といったか――が叱責をする。彼女が麗月の『口』になるらしい。
「敏寧公主韓茉、彼女の存在は岑側こちらも確認している。そしておまえの言う疑惑の是非においては岑が判断すること。恐れ多くも、おまえは岑国禁軍本営総司令部総司令長官代理岑国禁軍本営用兵管理部長官兼全軍総大将兼玲彗公主に虚言を申すつもりか」
「そのようなっ、…!差し出がましいことを…」
(……おお、すごいな)
何がって、よく噛まないで『岑国禁軍本営総司令部総司令長官代理岑国禁軍本営用兵管理部長官兼全軍総大将兼玲彗公主』って言えること。
やっぱり、言い慣れているのかもしれない。単純なる経験値の差である。
「あと一つ言っておくが、既に『本物』の敏寧公主は捕らえている」
(……はい?)
いつの間に?ずっとこちらを見ていたというのに。まさか最後に離れたわずかな短時間で探したのか?
いや、おそらく最初からこういう事態を想定して、それこそ草の根を分けて探したのか。
ちなみに、『まさかそんな』という顔になっているのは、案外多くいた。どういう思惑を持ってそんな表情をしていたのかは二分されるだろうが。
―――そんな感じで、鑭依の無実(?)はあっさりと証明されたわけである。
*******
そして、あっという間に鑭依は『好きなところ言っていいよ』と王宮から放り出された。優しいだか何なのか、わざわざ麗月は路銀までくれた。ああ、もう彼女とは会いたくない、疲れるから。
ちなみになぜ『優しいだか何なのか』という評価になるのかと言うと、別に散々笑われたとかそういうふざけた理由ではない。
―――『王族と高級官僚の首刎ねて外門の上に並べなさい』
形式上の尋問が終わった瞬間、麗月はそうあっさり言い切った。そこに何の躊躇いはなかった。
『さすがにそれは』と反対する声も多かったこと、いくら彼女が全軍総大将だとはいえ、そこまでの権限が皇帝から与えられているか不明瞭だったこともあり、最終的には彼女は減刑した。
『じゃ、丞相三名と王は責任を取って梟首。男子の王族は既に成人のものに関しては臏刑。未成年と婦女は生命だけは助けよう。但し男女ともに宮刑に処する。他の官僚は財産全て没収かつ流刑。以上』
臏刑とは両脚を切断する刑。宮刑とは、男は去勢、女は下腹部を木槌で叩き、早い話女性器を使えなくするという刑である。
つまり、目的としては王族の血筋そのものを根絶やしにすると。
多少軽くなったとはいえ、彼らにとって残酷なことに違いない。決して間違った判断ではないのだろうが、口の中に苦いものが広がっていく感じがする。
ことごとく、自分は『お優しい』人間の部類に入るのだろう。
当然、王族たちは今までの傲慢無礼な態度から一転、慈悲を乞いたが、結局その判断が覆ることはなかった。
*******
二度あることは三度ある。三十回あることは三十一回目があるわけで。
いや、それにしても……。ここ最近の頻度が。
何の頻度かって言われれば、そりゃ売られた回数である。
久しぶりだね、奴隷市場。
あのあと、鑭依はまた人攫いにさらわれた。当然、守り抜いた荷物は全て奪われた、……くそ、ふざけるなよ!
まぁ、風の噂(?)で、連は正式に(?)に滅びて、今後は岑の青州の一部として併合されると聞いた。
うん、これから自分たちは連人ではなく岑人になるわけである。別に鑭依本人としては『ふ〜ん』ぐらいだが……。
岑と連は言語は同じ、文化も酷似している。岑側も民衆には手を出さないと表明した。が、受け入れ難いという者は、決して少なくないだろう。
『国』とは人が育つときに影響を受けやすい、非常に分かりやすい外的要因であり、またある人によっては自分の心の支えでもある。
なんともあれ、一つの国が滅びたということは、他国にも大きな影響を与える。
そういった意味で、この奴隷市場はわかりやすい。
(あ〜、本当になっつかしいわ)
地方から口減らしとして売られてきた幼い少女。この辺りの人とはやや風貌が異なった、異国から流れてきたと思われる人。あるいは、実際の有無はともかく、罪や私刑を得て賤民に落とされた人。
ここでは、泣いて喚いて叫んでも、誰も手を差し伸べやしない。
やはり、かつてないほど、ここが賑わっている。争いと混乱に紛れて、元・国都は一気に治安が乱れた。その余波を受けているのだ。
奴隷市場は、多くの奴隷商が集まり、それぞれが勝手にその場で競りを始める。そして利益の何割かはこの場所の責任者、そして仲介人に支払われる。
仲介人は、いわゆる調達専門業者――人攫いも含まれる――から奴婢を買い取り、奴隷商と売人の仲介をするのだ。
連が滅びたことで、連の紙幣は使えなくなっている。蘇康め、ざまぁみろ、だ。あぁー、すっきりする!
現時点で売買に使わているのは岑の硬貨である。主に主成分は金銀銅。紙屑よりはるかに価値がある。
今のところ同じ奴隷商に売られている少女たちを見れば、銀貨三百から七百というところか。まぁ、安くも高くもない、そんなところである。
そうこうしているうちに、自分の番がやってきた。
慣れた足取りで台に上れば、不思議そうな顔をされる。…いや、これで三十一回目なものでして。
「それでは、次はこの娘!白い肌に傷は少なく、またこの珍しい赤髪に藍の瞳!顔を見れば一級品!さぁ、銀二百から!」
ほほう、案外褒めてくれている。顔、一級品なんだ?うん。よくわからん。
あと、言っておくが赤髪というには少々茶味が濃いような…。
『二百八十』『三百』『三百二十!』『三百七十』『四百!』
競りなので、ちょっとずつ値はつり上がっていく。
鑭依が、あそこの涎垂らしてにやにやした爺(結構酷い物言い)よりも、
「千」
じゃらん、と金属がぶつかり合う音と、舞台には銀の粒がのぞく袋が投げ出される。
『は…、っはぁ!?』
当然、誰の所業かと、袋が飛んできた方向に皆の目が向く。銀千ならば、今までの最高額だ。
『…千二百!千二百だっ』
あそこにいた涎垂らしてにやにやした爺があわてて追加する。
あなた、そんなに私のこと好きなの? ……うぇ、気持ちわる…!!!
「…ああ、めんどくさ。追加。銀二千」
悪態とともに、さらに同じ袋がもう一つ舞台に飛んでくる。
(う、わぁ…)
もう一度よく聞けば、この不機嫌そうな
「聞こえなかった?さっさと決めて頂戴」
声の主の深い青の瞳は、『ふざけんなよ、糞が』という気持ちで溢れかえっていた。いや、なぜ自分はここまで彼女のことが読み取れるようになっているのだろうか…。
正直あまり会いたくなかった相手――孫麗月である。
*******
少し前、学校の数学で命題と証明やったんですよ。その影響です。
p⇒qってやつです。元の命題は真でも、その裏は真とは限りませんよね。まぁ、この場合、元の命題が真とも限らないわけで、対偶も当然真とは言えないわけですが。
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