七 捨てられる効果音『ぽいっ』
鑭依は、いつのまにか目の前にいる美女に目を奪われていた。
美女は女にしては上背があり、自然と鑭依は見下される形になる。
驚くほど感情が読み取れない深い青の瞳。明らかに見下されている風を感じるというのに、むしろそれをすんなりとー、当たり前のように受け入れ、納得している自分がいる。
何といえばいいのだろう。ただ分かるのは、この
ふっ、と美女は微笑んだ。
――――――あ…………。
華があり、美麗というべき顔なのに―――、深紅の唇を歪ませた彼女を見て、ぞわりと身の毛がよだつ。
先程とは真逆の―、そう、『恐怖』に似た感情が湧き溢れてきた。
「…
どこか楽しげに言う彼女の言葉を聞いた瞬間―――、後頭部に強い衝撃を受けた。
膝をつき、前のめりに倒れそうになる。そのとき、視界には黒髪と剣の柄が入ってきた。
「っぅぐ、っは、っ!」
避けることもできず、腹に柄が直撃する。
げほげほと咳き込む間もなく腕を捕まれ、後ろ手に地に伏すように拘束される。
なんか少し前と似た
「申し訳ありません、
(母上様?)
まだ大人になりきっていない、澄んだ少女の声。鑭依を今捕らえたのは、この美女の娘なのか。
目の前でなお自分を見下ろす美女。いや、全っ然、子持ちとは思えない……。
麗しい顔には皺ひとつなく、せいぜい二十代前半のような若々しさ。
「桜鎖、縄だけでいいわ。どうせこの
「御意」
桜鎖と呼ばれた少女はどこからか縄を取り出し、鑭依の手首を手慣れた様子で縛る。また縄で手首を縛られただけで、他の動きを制限されなかった。
確かに自分はこのひとたちに脅威になることはない。見かけだけの問題ではなく、無様に先程やられているのだから。
立ち上がって見てみると、桜鎖という少女は自分とたいして年は変わらないように見える。
髪を簡素に一つに束ね、化粧気のない顔だが、十二分に綺麗なひとだ。黒く艶のある髪、白い肌に杏仁型をした翠玉のような瞳が映えている。
「さて、と」
美女はにっこりと微笑むと、鑭依の顎を掴み、無理やり顔を持ち上げる。
美しい顔とは不似合いなほど、中々その力は強かった。
「で、あんた、何者なの?」
顔は笑っている。が、その青い瞳は全く笑っていない。きっと今、鑭依が嘘をつこうものならすぐにバレてしまうだろう。
必死に頭を働かせる。
このひとたちは、岑軍の旗とともにいた。岑軍関係者――、かつ高位のひとだと考えるべきである。
「……連王には、溺愛する公主がいらっしゃることはご存知で?」
「…あんたは、その身代わりとして拾われてきたということで相違ない?」
今の質問だけで、すぐに状況を見抜いた。やはり、彼女は顔だけの人ではない。すばらしい。
「あんたは、何者かに助けてもらって逃げ出したということかしら。…まぁそっちの方が都合がいいけど」
その言葉を聞いて、鑭依は「やっぱり……」という気持ちで溢れた。
「私は見張りに玉の櫛を渡して、情報や脱出に必要な物資を受け取りました。でも」
――最初から、彼は仕込まれた
そう言った瞬間、美女は目を軽く細めた。また桜鎖という少女ははっきりと、戸惑いの様子を見せた。
「……どうしてそう思ったわけ?」
言ってしまえば、最初の方からぼんやりとだが違和感を感じていたのだ。
いくら同情して――、高価な物を受け取ったとしても、あそこまで普通手助けするか?
当然だが、鑭依を手助けしたとバレれば犯人は重い罰を受けるだろう。それに、たかが見張りにしては情報通だし、変なところで生命を顧みない度胸があった。
地図にしたって、宮廷内の情報にしたって、かなりあの見張りは優秀に見受けた。出世しそうなのに、出世したいという気も感じられない。生命欲しさだというなら、なぜ鑭依に深いところまで協力をしたり、罰を恐れないのか。
間諜は目立ったり、出世しすぎてはいけない。怪しまれる危険が増えるからだ。
行動があちこちで矛盾している。 まるで、鑭依が逃がすことを仕事としているようだった。
「岑にとって、私に逃げてもらった方が好都合なんじゃありませんか?」
当然、身代わりがいなくなれば本物の敏寧公主を見つけやすくなる。王族を捕らえることは国を滅ぼす上で必要なことだ。
美女は鑭依が話している間、顔には何の感情の変化を起こさなかった。面の皮が厚いひとである。
そして、この女はやはり、相当『できる』ひとだと感じた。自分が言うのは烏滸がましいとは思うが。
「二十年ほど前、私の父が仕込んだ駒だったけれど…、小娘にばれるだなんて、あまり大したことない奴ね。結果的には目的は達成できてるけれど」
……つまり、『正解』だというわけだ。
なんとなく、嫌な気分だ。自分が必死に生きるためにあがいても、最初から、彼女の掌で踊らされていたというのだから。
「で、あんた」
いつの間にかこの話は終了していた。速い展開についていけない。
「な、んでしょう?」
「言っておくけど、私は完全にあんたのことを信用したわけじゃない。しばらく私の言う通りになさいな」
変な様子を少しでも見せたら殺すから――、と微笑んで(微笑むところじゃない……!)念押しされる。
いや、ほんと…微笑むとこじゃないから……。
まだ出会って半時もたっていないのに、すでにこのときの鑭依は彼女に圧倒されていた。…いろいろな意味で。
この後、何だかんだいって彼女―――
******
もうヤダ、このひと……。
「こうなったのは誰のせいですか?」と誰かに聞かれたら、「私ではない」と全力で否定してやろう。
そう、誰がどう見聞きしても、その場にいたならば鑭依の味方になってくれる…はずだ、きっと…。
今、鑭依が負の
嗚呼、
普段、ほとんど祀ることのない神に縋るまで、(もはや言葉遣いも支離死滅だが)鑭依の心中は災害状況だった。―――…そう、それほど荒れまくっていたのでございます。
この内社で生まれた者は誰しもが知る、内社の成り立ちと神々の治政の物語。
今もなお、かつて東国の一部であった国――、嘉、海、奏、岑、連では、五神王の一人である、月王・白雪を信仰している。
そのなかでも、嘉は東国の王族の生き残りが建てた国のため、国全体として最も根強く信仰が残っている。一方で、岑はかつての東国との繋がりがほとんど無い者が建てた。故に、形式上の信仰は残っているが、それは政治・軍事に関わるほどではない。
連は岑の影響を受けやすく、また国の力も弱かったため、まともに神廟など建てられない。七つになるまでそれなりに信仰があった奏で育ったとはいえ、結局その後連で過ごすことになった鑭依は、残念ながらそれほどの信仰心は育たなかったのである。
話を戻そう。
彼女は、とてつもなく鬼畜な人間だった。「おほほほほほ」とまさしく貴婦人はこうあるべき、という見本のように優雅に笑いながら(そしてやはり目は笑っていない)、酷いことをやってのけた。
聞かされたことだが、何だかんだいって、鑭依は最終的に王宮外へ脱出していたのだ。それを、彼女たちとともに再び入ることになった。
まだここまではいい。怪しい人物である自分を、なるべく監視下に置いた方が良いのは明白である。
問題は『入り方』だった。
ええ、それは酷かった。本当に、呪いたくなった。
ほら、よくあるやつ。気に入らない人間を懲らしめたときとか、物語の効果音であるじゃないか。
……『ぽいっ』というやつが。
一度経験して見れば分かるが、そんな生易しいものではなかった。
彼女はとても頭が良かった。優秀な人物だった。
いつぞや、鑭依が塔に入れられるとき、強面の小母ちゃん侍女からこう言われた。
―――『ここが、これからあんたが過ごす場所。見張りもつくし、逃げ出そうだなんて考えないことだね』
そう、この小母ちゃん侍女は、それはもう、すんばらしい剣幕で自分を探しまくっていた。
いや、怖かった。やっぱりあの手の人物は苦手だ。
そんな!!自分を!!見抜いたのか!!彼女は!!自分を!!ぽいっと!!小母ちゃん侍女の!!前に!!突き飛ばしたぁぁぁぁぁ!!!!!
……のである。
ごめんなさい。分かりにくかったですね…。
小母ちゃん侍女は南門――すなわち正門というべき、一番大きな門――の近くを探していた。そこに近付くと、彼女は鑭依を縄ごと『ぽいっ』と突き飛ばした。
いや、小母ちゃんの方もびっくりしたと思うよ。急に縄で縛られた状態でどこかから現れたんだから。
ま、そんなわけで小母ちゃん侍女に、頬に一発、ぶん殴られたわけである。仮にも偽者とはいえ、公主にすることか?
が、何より腹立ったのは、その様子を影でこっそり見て笑っていた彼女である。
(この悪魔ぁぁぁぁ!!)
内社には、大きな島と二つの小さな群島がある。大きな島が総称として『内社』と言われることが多いが、それは間違いなのだ(が、そちらのほうが馴染みがあるため一般的にはこれで通される)。小さな群島のうち、東に位置するのは『
『悪魔』とは五神王とは違い、西胡で信仰されている別の神が敵対し、人々から憎まれる存在だ。
内社の西に位置する国――、『旧』西国と『旧』南国は、西胡と貿易をしている。当然、西胡から遠い内社の『旧』東国の一部である連に商品が届くまでには、幾つもの仲介人が関わり、品を手に入れるためには平民が十年以上楽して生活できるほどの金が必要となる。
が、一応最近まで豪商の養女だった鑭依は、かつて西胡の書物を目にしたことがあり、『悪魔』という存在はそこで学んだ。
閑話休題。
(あ――、頬が痛いなぁ―…)
久しぶりに平手打ちをくらった。拳でなかっただけ、マシと考えるべきか?
先程から「なんで逃げやがった」だの、「小汚い溝鼠め」だの襤褸糞に言われまくっている。
「はぁ、そうですか」という感じなのだが、こういう人間はそう言うと更に怒り出すので、神妙な顔をして黙っておくに限る。
あちこちで聞こえていた悲鳴や戦闘の音はもう小さく、同時に連の國旗は見えず、代わりに夜空にはためくのは『岑』の文字。
それが意味するのは、『制圧』の二文字。
なるほど、どうやら自分は王宮の中心部に連れて行かれているらしい。そこで、『逃げていた敏寧公主はここにいます!』としたいわけか。
ああ、後ろからは相変わらず視線を感じる。小母ちゃん侍女の目を掻い潜って後ろを見れば、きらきら輝く銀髪が。その更に後ろには、いかにも憐れみの表情を浮かべた、彼女の娘。
銀髪がゆらゆらしているのも、絶対に爆笑しているからに違いない。
どこにあなたの笑いのツボはあるんだよ!?人の不幸を笑いやがって……。
悶々としたまま、ただ歩くしか無い。
「さぁ、ついたよ!」
連れていかれた場所は、本来ならば鑭依は見ることすらできない場所だった。
連は嘉ほどの信仰はない。だが、二千年以上前からあり、強く根付いたものは、そう簡単に消えはしない。
今もなお、いくつか月王・白雪を祀る儀は年に数回行われている。
その場所こそが、この『芙蓉水月の間』だ。
鑭依は新しい知識を手に入れるが好きだった。そして、唯一つのことに詳しい者というのは、案外どこにでもいるものである。
そう、例えば、借金のかたに人質に取られている良いところの娘さんとか。
元養父、蘇檀はそこらへんはかなりあくどい人間だった。大抵、興味本位で鑭依は彼女らと接触し、どうでもよい知識ばかり身につけていく。
元養父は特に口出ししなかったので、問題さえ起こさなければ好き勝手できていたのである。
『芙蓉水月の間』、これを教えてくれたのは、何世代か前に没落した王公家の娘さんである。彼女も入ることはおろか、見たこともないと言っていたが。
(まさか、私が入ることになるとはなぁ)
全くもっての予想外である。
ちなみに、ここでも入り方はけっこう酷かった。またしても、『ぽいっ』された。何なんだろう。自分、最近何か悪いことしたっけ?
そう思ったとき、二、三日前のことがふっと頭に湧いて出てきた。
―――よく蛸になる烏賊の腹を、算盤でぶっ叩いたな……。
足で踏んづけて、あと暴言吐きまくったわ……
うん。悪いことですね。こればっかりは自分でも養護できないわ。
『てへっ』で済めばいいのだが、そうもいかない。誰も咎めなかったとはいえ、自分ながらやりすぎたという自覚はある。
そのツケがまわってきたのだろうか。……あ、でもやっぱり認めたくないわ、自分が悪いって。
******
いつのまにか後ろの視線はなくなっていた。
そして、現在彼女は目の前に……上座で尊厳なる姿で座っている。
この場において、座ることが許されているのは彼女だけ。
偉い人だと思ってはいたけれど、まさかここまでとは思わなかった、というのが本音だ。
「これより、岑国禁軍本営総司令部総司令長官代理岑国禁軍本営用兵管理部長官兼全軍総大将兼玲彗公主孫麗月の名において、尋問を始める」
『御意に!』
………名前(というか役職名)、長くね?うん、長すぎでしょ。
心の中で、突っ込むことしかできなかった鑭依である。
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