四 雲の上の御人、敏寧公主


ガラガラと、馬車の音とともに揺れる。


ここは国都だ。いくら小国といえど、普段は賑わい、活気がある。


 だが、窓の外の景色がどこか濁り、灰色の世界のように見えるのは、速く動く馬車に乗っているからではないだろう。



 スー家の邸は国都の二区、宮廷との距離は遠くない。だが、馬車の中に重く立ち込めた苦しい雰囲気のせいか、ひどく長い時間に感じられた。


 馬車の中にいるのは、三十路に入ったばかりのように見える綺麗な女性と、鑭依ランイーのみ。



 鑭依にはいくつか聞きたいことがあるのだが、目の前にいる女性は「話しかけるな」という雰囲気オーラを全力で醸し出してくる。



 よって、(鑭依にとっては)気まずすぎる状況は変わっていない。



 段々と王宮の門が近付いていく。――実際に近付いていっているのは馬車の方なのだが。一際大きく、絢爛というべき装飾に縁取られた獅子飾りが目に入る。



(……目が痛くなるわ)



 今天きょうは春曇り。大切に扱われてきたのだろう、陽光は薄いというのに、きらきらと輝いている。



 やがて、紅と金の瓦屋根が見えたところで、馬車が止まった。ここで降りるらしい。


しかし、降りようとしたところで後ろから急に強く腕を引かれた。



均衡を崩して転びそうになったところで、片方の手も後ろ手に捻られる。



(っい、ったぁぁ…!)



 普通に痛い。いや、結構痛い。腕がもげる。こんなことができるのは一人しかいない。


「……何をするので?」


 体をひねって後ろを見れば、当然いるのは三十路の女性であり、鑭依の腕を縛っている。


「あなたの腕を縛っています」


 「…見れば分かります。逃げ出せないようにするためにですか?」


 いや、それ以外考えられないか。


 もとより、今すぐ逃げる気は更々ない。というより、どこから縄を取り出したんだ?


 女性は鑭依の質問に答えず、馬車の扉を開けるとそのまま縄の端を持って、降りるように無言で促してきた。


 鑭依としても引きずられるのはご遠慮したいので、さっさと降りる。


 降りたところは、宮殿に囲まれた広い院子にわだった。そして目の前にあるのは、先ほど見えた紅と金の瓦屋根を葺いた、これまた眩い光を放つ大きな殿である。


『国』である限り、これほどの贅を保つ必要があるのだろう。権勢を揺るがぬものにするために。


 ―――ここが『王宮』なのか。



 あたりまえのことを言っているようだが、なるほど、国が持つ力の一端を見たようで、おもわず息を飲んでしまった。



 華やかな装飾、輝かんばかりの権力の象徴。その絢爛な場所に隠された、憎悪渦まく、深い闇。



(できれば、一生御目にかかりたくなかったなぁ)


 公奴婢になりたいと思っていたかつての自分とは思えない。真逆のことを考えている。


 少々、人生を甘く見ていたかもしれない。素直に反省しよう。



「はやく行きますよ」


 ぽけー、と突っ立っていた自分に苛立ったのか、三十路女性に縄の先端をぐいぐい引っ張られる。


 わたしゃ、犬か。


「……首に縄をかけるほうが良かったですか?」


 おっと、危ない。心の声がまた漏れてしまっていたらしい。



「遠慮しときますわ」


「では、さっさと歩いてください」


 なんとなく、この三十路女性には逆らえない。ある意味、良い人選ではないだろうか。


********


(え〜と)


 なるほど。鑭依がなぜ「出仕」しなければいけなかったのか、今の状況は非常にわかりやすい。



「こちらは敏寧ミンニン公主殿下。あなたがこれからお仕えする方です」


「ふふ、よろしく頼むわね。お前、名は?」



 ※鑭依の頭の中・・・課題「目上の人に名を聞かれた場合、あなたはどうすべき?・まだ免礼を得ていない」→正答「顔を上げず、そのまま答える」


(……だったよね?余分なことは言わないようにして)


 家庭教師の老師せんせいと、自分の記憶信じて…。


 

「鑭依にございます」


「へぇ、綺麗な名ねぇ!……あぁ、顔も上げていいわよ」


 よし。合っていたらしい。良かった、ちゃんと覚えておいて。


 敏寧公主。姓はハン、諱はムォ。連王の一人娘。年は十六。王からも溺愛され、快活な性格である。



 何より、その御髪は紅、瞳は翠。



 つまり爛依は、体の良い身代わりとして選ばれたというわけだ。



「お前、本当にわたくしと似た色素なのね。驚いたわ」


 しげしげと眺められ、なんとも居心地が悪い。



 前から、王の一人娘は赤髪碧眼だと聞いたことがある。母妃から受け継いだらしいが、鑭依の母と近い色系統であり、もしかしたら出身地域も近いのかもしれない。


 だが、まさか公主の身代わりとは。第一、年齢が近く、背格好も似ているとはいえ、顔はこれっぽちも似ていない。


 

 なんというか、顔立ちの系統が違うのだ。



 鑭依は本来の年よりも、幼く見られやすい。童顔なのである。


  一方、敏寧公主は、切れ長の眼や、薄めの唇も相成って、どちらかというと「美しい」という感じだ。



 鑭依が同世代の子よりも上背があり、また公主は小さな御身体のため、そこは良いのだが……。


(こんな杜撰でいいのか?)



 まぁ、珍しい髪と瞳ゆえ、見つけるのが大変だったに違いない。ご苦労さまである。


「あなたにも苦労をかけるわね」


「勿体なき御言葉…?」


 もしや、またしても声に出してしまったのだろうか。語尾に疑問符もついてしまったし。これは気をつけなくてはなるまい。


 へやにてゆっくりなさい(下がりなさい)、と声をかけられ、三十路女性(おそらく公主の侍女だろう)とともに退出する。


(ちょっと、緊張したな)


 公主殿下とは、まさに雲の上の御人。性格的に楽な御人ではあったが、鑭依とは違い、根っからのお嬢様である。誰からも敬われ、苦労とは無縁で生きてきただろうに。


 別に王族を批判するわけではないが(死にたくないし)、心から敬えるかといえば、それは万に一つも無い。


 あの三十路侍女はどこかへ行ってしまい、今鑭依の縄を管理しているのは強面の小母ちゃん侍女である。


 四十路を迎えたばかりのように見えるが、あの三十路侍女とは別の恐ろしさ……貫禄がある。


 それに、のしのし歩くからこちらが小走りにならなくてはいけないのだ。


 やがてたどり着いたのは、王宮の隅にあると思われる、灰色の石で積まれた塔であった。


(…これは)


「ここが、これからあんたが過ごす場所。見張りもつくし、逃げ出そうだなんて考えないことだね」



 中に入り螺旋階段を登っていくと、最上階と思しきところに房へやがあった。どうやらこの房に自分は監禁されるらしい。


 監禁といいつつも、案外内装はしっかりとしていて、牢のようなものではない。


 立派なしょうや、可愛らしい文机や卓、花瓶には花まで生けてある。


 誰が用意したのか知らないが、至れり尽くせりのような気がする。



(一体、どーゆー心境の変化?)


 どう考えても、分不相応だと思うのだが。


 

 ……うん。まぁ、いっか。気になるが、知らなくても大丈夫なことだし。



 それは考えても答えは出ない。ならば一度置いといて、これからのことを考えることにした。


 偶々座った椅子は座り心地が非常によく、考え事がしやすい。実に良き。


 

 一度ゆっくり息を吸い、また吐き出す。心を落ち着かせるためだ。


 今、もっとも大切なことは、ここからどう脱出するかである。冷静かつ適切な判断が必要だ。


 (絶対に逃げて…。まだ、死にはしない)


 公主には申し訳ないが、彼女の身代わりになって死ぬ気など、微塵も無い。


 

 ―――なんとしても、生き延びて見せる。

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