二 嫌な予感は結構当たる
かつて、この「
彼らは内社を五つにわけ、治めたという話。
誰だって知っている話であり、
とはいえ、それは二千年以上前の話だ。
分けられた五つの国のうち、東国。
今では、かつての東国はさらに五つに分裂してしまった。
北に東西に長い国「
東に南北に長い国「
嘉の南、海の西に位置する国「
嘉の南、奏の西に位置する国「
岑と奏に狭間れた弱小国「
分裂のきっかけは、庶民にとっては、くっだらない迷惑な後継争いだ。
元々、「海」と「奏」を建国した者たちは、東国の王族の縁戚だったらしい。
海と奏の王族は、新たに東国の王となった者に不満に持ち、負けた逃げた候補者の血族を助け、新たに建国させたのが「嘉」。
その後とある州刺史が反乱を起こし、残っていた東国の王族を皆殺しにした。そして新たに建国されたのが「岑」。
嘉に行かず、かといって岑の手から逃げた者も少なからずいるだろうが、今となっては分からない。
ちなみに連は、なんか混乱に乗じて「あれ?」と言っている間に偶然できてしまったという、弱小国である。
何だか間抜けそうに見える話だが、本当のこと(らしい)。
連は弱小国のため、侵攻されるのは別に変なことではない。
そしてどの国も他国に間諜を送っている。それは暗黙の了解であり、咎める者はいない。逆に、そうでないのは異常である。
とはいえ、近年、岑は徹底的な情報統制、封鎖を行っていたのだろうか。国の上層部はまだしも、世間一般、何にも岑についての情報をあまり耳にすることがなかった。
それは明らかにおかしいこととはいえ、岑はそれほどの強国ではない。
また岑は九年ほど前、僅か十歳の皇帝が即位し、未だ若い皇帝の御代である。そのためか、嘉や奏など、他国の侵攻を受けている。防衛で手一杯だろうというのがそれまでの評価だった。
故に、多少の警戒はしていたにしろ、誰にとっても岑が腰を上げたことは予想外の出来事だった。
******
「兵は拙速を尊ぶ」と言われるが、突如、侵攻を始めた岑に碌な防衛もできず、あっというまに岑軍は王都まで迫ってきていた。
上層部、禁軍本営の対応が間に合っていないのも、やはり岑の徹底的な情報封鎖の
連は大慌てで正規軍以外の、民兵に対して緊急徴兵令を発した。
とはいえ、対象は国都ではなく、地方に対してである。国都に住む鑭依は、他国の侵攻と言えども、どこか遠い気持ちで聞いていた。
一応、自国ではある。が、七つになるまで奏で過ごしてきたのだから、母国というには何となくだが変な気持ちだった。
そのときも、喪に服し、表向きは病死とされた義父の葬儀の準備をしていたのだ。
養父は豪商で、年老いていたとはいえ、まだまだ元気だった。参列者も多いだろうし、彼らへの対応もしなくてはいけない。紙銭はすぐに手に入るが、他国に攻め込まれているこのご時世、泣き女の手配も中々大変である。
だというのに、あの
準備を全て自分に押し付けて。
義兄は気付いているのだろうか。
鑭依は見ていた。殺害の瞬間を。だから、いろいろと知っている。
(
まさか義兄に殺されてしまうとは、夢にも思ってもいなかった。
それは鑭依だけでなく、義父本人もそうだろう。
(実の息子に殺されるだなんて……ね)
人ってそんなものなのだろうか。
義父の死因を知っているのは、義兄と自分、そして死因を偽装した義兄の従者だけ。
部屋中に飛び散った赤黒い血。
胸を――おそらく心の臓まで―、一突き。
即死だっただろう。
腹に刺され、長時間苦しみながら死ぬよりかは、まだましかもしれない。
見殺しにしたことは、後悔していない。
あのとき声を上げていたら、おそらく自分も義父と同じ末路を迎えていただろう。
恩人であり、敬愛する養父であっても、自らの命を捨てるには足りない。
まだ、死にたくない。「安定かつ平和でやや長めの一生」とは程遠い。
ふと、鑭依は外の方に目を向ける。
(……何事?)
外が騒がしい。
先ほどまでは、岑軍の侵攻を皆が不安に思い、城下の店々は閉まり、人通りも少なく、異様な静けさに包まれていた。
だが、馬が嘶く音、駆ける音。
一体、何が起きたのだろうか。
ぞわり、と悪寒が身体中を走る。嫌な予感がする。
こういうときの勘は、こういうときに限って、当たるのだ。
この音が、どこか遠くに消えてくれないかと願う。胸がざわつき、ひどく耳障りだった。
やがて、その音は止まった。この蘇家の邸の前で。
(‥‥何なの)
音が消えたというのに、未だ靄がかった灰色の空のように、いつまでも胸の内は晴れない。
それどころか、苦しさを覚えるほどに、怯えはどんどん広がっていく。
全く身動きができない。
見えない糸に、全身が縛られているかのように――‥‥
激しく門を叩く音とともに、大きな声が外から聞こえた。
「っ誰か――…っ!!!!っこの
その声にはっとして顔を上げれば、使用人たちは怪訝そうな顔で見合わせている。
門を開けて対応するように、と慌てて指示すれば、ひどく焦った様子の兵士が連れてこられた。
ただの兵士ではない。身に着けている甲冑には『銀の獅子』が印されている。
国家の正規軍である禁軍。その中でも、国都――ひいては宮廷、王族そのものを護る、王の直轄軍に属する兵士の証である。
なぜ鑭依が知っているのかというと、単に民衆の前で行われる祭祀の際、王族の護衛に当たる兵士の姿を見かけたことがあるからである。
普段、城外で見かける兵士と比べれば一目で分かる、わかりやすい違いだ。
いや、なぜこんな状況で、ここに王直属の兵士が来るのか。
兵士は息が乱れ、俯きながら必死に呼吸を整えている。今は春だというのに、滴るほどの汗もかいている。明らかに只事ではない。
鑭依も、そしておそらく家人の頭の中にも、疑問符がたくさん浮かび上がっていた。
と、そのとき。
「っこの蘇家には、
そう言ってこちらを見上げた兵士は。
滑稽なほど、ぽかんと口を開けたままになっている。
―――………。
(……ええっと)
―――それって、私……だよね?
赤茶色の髪は、光を当たればまぁ、紅と言えないことは無い(多分)。
藍緑色の瞳も、角度によっては翠に見えるだろう(きっと)。
そもそも、鑭依の持つ髪と瞳の色自体、この国では珍しいのだ。
(いやいやいや…)
やめて。本当にやめて。視線が痛い。自分は何かしでかしただろうか?いや、そんな記憶はない。
兵士だけでなく、たくさんの使用人も、まじまじとこちらを凝視している。
うん。兵士の問いに答えよう。
「目の前にいます…けど、何か?」
ほんの少しの沈黙のあと、兵士は口を開いた。
「……では、この家の主はどこにおられる?」
(……いや、どこにって言われても)
既にこの世の者ではないのだから。
「そこの、棺桶の中に。来世で幸せになれるよう、
棺桶を指し示しながら言う。
再びの沈黙。
気まずい。気まずいことこの上ない。
(私、もしかして言うことを間違えた?)
いや、本当のことだし。実際棺桶の中にいるし(死体だけど)。嘘はついてない。
どう答えれば正解だったのだろうか?
この、膠着状態に陥った状況をどうしてくれようか、ひとり焦る鑭依。
「……ええと、「――客人に何を言っているのだ!!!!」
この状況を何とかしようと、鑭依の話している途中に後ろから割り込んできた大声。
仮にも蘇家のお嬢様である鑭依にそんなことをするのは、知る限り存命では一人しかいない。
うげ、と歪んだ顔を慌てて補正し、貼り付けた笑顔で振り返る。
「お義兄さまにおかれましては、
――怒鳴っていらっしゃいますね。
いや、怒鳴っているのに、ご機嫌は麗しくないか?
この義兄は鑭依のことを、塵にも
義妹だと認めないのに、都合のよいときには義妹としての孝を求める。
いや、一貫しよ?だから尊敬できないんだよ?別にあなたに完璧は求めてないし。
ま、口が裂けても言えないが。
階段の上に仁王立ちになり、物理的にも鑭依を見下ろす視線は、どこか粘ついていて気持ちが悪い。
(っていうか、二階にいらっしゃったのねぇ―)
葬式の準備、手伝ってくれたら良かったのに。
また、太ったのだろうか。極上の紫檀で作られたはずの床が、かつて聞いたことがないほど大きくギシギシと音を鳴らしている。
蘇康は従者とともに爛依の傍を通り過ぎると、にこやかな顔で兵士の方に話しかける。
まさしくもみ手。絵に描いたような、役人さまに取り入る悪徳商人かの如く。
「これはこれは。っ
バッと突き出されたのは、蘇家が運営する大商店の総商会は、義兄を蘇家の主であると認める、という旨が書かれた木簡である。
(ほほう)
「
お世辞にも義兄の頭ではこんなことができない。それは保証する。有能な従者に義兄は感謝すべきである。
それにしても、本当に自分のことが嫌いらしい。「
いや、面白がっている場合ではない。
「それにしても、一体「銀の獅子」を冠する兵士さまがこちらにいらっしゃるだなんて、何の御用でしょうか?この義妹が何か?」
明らかに喜んでいる義兄。なんだか腹が立つ。
あっけにとられていた兵士も、気を取り直して厳かな面持ちで話し出す。
「この連は今、憎き岑によって侵略され、まさに危急存亡の危機に瀕している」
「危急存亡」とは……。随分と追い込まれているのか。
連がいくら弱小国とはいえ、これはかなり危険すぎる。
「そこで、殿中省監の命にて、そこの蘇家の娘には只今をもって、宮廷仕えとして出仕するように!!」
「―――……はぁ?」
気づいたときには既に遅く、鑭依の心の声は口から音として出てしまっていた。
*******
州刺史とはざっくり言うと地方官で、州の長官です。
殿中省監とは皇族のお世話とかする部署の長官です。
基本設定時代は宋ぐらいにしていますが、時代考証とかはかなり無視しているので、そこらへんはスルーして「偉い人なんだな~」くらいの気持ちと広い心で読んでくれると嬉しいです。
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