一 人生とは分からないもの
(……こいつ、阿呆かよ)
目の前にいるのは、血のつながりのない
立派な装丁の箱にぎっしりと詰められたのは、この国「
それらに眼を奪われている義兄に、大切なことをおしえるべきだろうか?
いや、一つ訂正。義兄「だった」。過去形である。たった今、自分はこいつによって売られたのだから。
憎まれているのは知っていたが、正直、また売られるのは予想外だった。
(人生って、わからないものだねぇ)
元々鑭依が生まれ育ったのは、連ではなくその隣国「
父は分からない。物心ついたときには、既にいなかった。
唯一の家族である母の存在も、鑭依が七つになる前になくした。
その後は、人攫いにさらわれ、奴婢ぬひの売買を専門的に行う商人に売られた。
赤茶の髪に、
母から受け継いだこの容姿は、黒や茶色の髪、瞳が主流の連ではとても珍しがられた。
奴婢として五年間、各地を転々としてきた。売られたその回数、実に二十九。
だが、運が良いことに、大抵合法的に商いをしている商人に売られてきた。
売られたさきで、いくら
男は度胸、女は愛嬌。
常ににこにこして、苦しい時でも明るい顔をしていれば、人に与える印象は良くなる。
ときたまに、気の良い裕福な小父ちゃん、小母ちゃんは甘味をくれるのだ。
何にしろ、人として扱われない奴婢にしては、明らかに待遇が良かったのである。
とはいえども、鑭依はこんなところで一生を終える気はなかった。
「安定かつ平和でやや長めの一生」。これは鑭依の人生の指針だ。
奴婢のままでは、いつ何時売られ、たとえ殺されてもおかしくない。そんなのは真っ平御免である。
まず第一歩として、
公奴婢。
区分でいうと、鑭依は私奴婢、すなわち個人の所有物だった。
奴婢は、公私関係なく、一定年齢に達することで自動的に庶民になれる。
そして公奴婢の場合、ときたまに年齢にかかわらず、働きに応じて奴隷の身分から解放され、庶民へ引き上げられる。その後も国の機関で働けるように、仕事先が斡旋される。
だが私奴婢は、賤民階級から引き上げられる年齢が、公奴婢より十年以上も遅いのだ。
また、扱いとしても公奴婢よりひどいことが多く、一定年齢に達すること以外の要因で解放されることなどほぼない。
どちらにしろ、一定年齢に達し、解放されるころには既によぼよぼの老婆になっているだろうが。
公奴婢になり、堅実に点数を稼ぎ、そして早々に庶民になって、安定した生活を送る。
決して裕福とは言えないが、何といっても「庶民」であり、日飯に困ることはない。
―――なんと、すばらしいことだろうか!!!!
まぁ、そこそこ良い容姿を活用して、どこぞの裕福な
その後の展望を考えても、「安定」とは言い難い。
と、いうことで、売られるたびに、公奴婢になれないものかと思っていたのだが。
鑭依には強力な運がついていた。
十二になったころ、二十九回目で売られたさきは、裕福な商人の元だった。
そして、鑭依は奴婢から、一夜にして豪商、
父の分からぬ爛依にとって、生まれて初めて「父」という存在ができた瞬間だった。
―――養女となって、はや二年。
(人生って、わからないものだねぇ)
たかが十三年しか生きていない小娘には言われたくない
たくさんの使用人にかしずかれ、
大きな商家のお嬢様とは、なんと裕福なのかと、いまだ信じられない。
鑭依を買った男、そして
彼には実の息子がいた。鑭依との年の差、実に十五……以上。
もっとも、養父である蘇壇自体、父娘というより、祖父と孫娘という方がしっくりくる年の差があったのだが。
鑭依が蘇家の娘になった直後、家人は、これこそ天変地異、目玉をひん剥いて鑭依を見つめていた。
蘇壇の息子、義兄はいたっては、怒りのあまり、真っ赤な顔(そのとき風邪をひいていたらしい)を真っ白にして義父を怒鳴りつけた。
その様子を眺めつつ、蛸が
しばらく過ごして気付いたことだが、義兄は出来の悪い男だった。
商いに必須である計算が間違いが多ければ、遅く、損得の計算もできない。自分の失敗を棚に上げて家人に怒りの矛先を向ける。
家人の女を見境なく手籠めにし、人間としても全く尊敬のできない男だった。
義兄の気持ちが分からなくもない(分かりたくないが)。実の息子の自分がいるのに、なぜ赤の他人、しかも奴隷であった小娘を養女にするのか、と。
むろん、鑭依のことを毛嫌いし、それこそ馬鹿にしてきたが、その手のことに慣れすぎていて、全く、これっぽっちも、微塵も、堪えなかった。
むしろ、よく飽きないものだなと、その粘り強さ(というより諦めの悪さ)だけは尊敬していたのである。
自分は元々奴婢であったから、虐げられる者たち――家人の気持ちがわかった。どうすればここでやっていけるのか、早々に理解した。
その分、
「人望の差」と言ってしまえば、それまでだ。
蘇壇はそこまで見込んで、自分を養女にしてくれたのかもしれない。
何はともあれ、鑭依は義父に感謝していた。
彼はあるとき言った。
「そちには価値があるからの。そのままにしておくのは勿体無かった」
価値があるからこそ見出してくれた。裏を返せば、自分に価値がなければ、自分を養女にはせず、奴婢のままだっただろう。
そういう賢さ、強かさがなければ、商人としてはやっていけないのだから。
だが、救ってくれたという事実は変わらない。
自分に義父という存在を、庇護を、そして生きていく上で必要な
この恩には応えよう――と、思っていたのだが……。
(死んじゃえば、元も子もないよね……)
義父、蘇壇は死んだ。
年老いた身体に死をもたらしたのは、病でも何でもない。
殺されたのだ。実の息子に。
依を護っていたのは、蘇壇という大きな存在だった。
その後ろ盾をなくした今、血のつながりのない鑭依は、ただの厄介者にひとしい。
あの義兄に疎ましく思われているのは分かっていたが。
それにしても、運が悪かった。今回は、売られた先というか、そのときの状況が最悪だった。
それは、この連に、隣国「
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