第32話 隠れ里を抜けて 2
箒が軽い。
あずきは高度を取って飛んだ。
眼下には、山と山の隙間を縫うように、線路と道路が走っている。
新しい杖を通して風の精霊が力を貸してくれるお陰か、ぶっ続けで飛んでても全く疲れを感じない。
ただ、疲れは感じないが、同じ姿勢を維持してたからか体は凝った。
――そろそろ休憩取りたいな。
そんな時だ。
不意に甘い香りがした。
おはぎも気付いたらしく、ビクっと体を震わす。
――風を
「あずきちゃん! あれ見て、あれ!」
あずきの前にお行儀よく座っていたおはぎが、箒の先端まで移動すると、右手で十時方向の山を指差した。
そこに瑠璃色の絨毯がある。
「何あれ……」
「お花畑だね。匂いの元はあれっぽいね」
山を切り拓いて作ったのか、三百メートル四方ほどの、一面の花畑があった。
ため息が出るくらい見事に、瑠璃色が咲き誇っている。
「これだけの花が咲いていれば、そりゃ匂いもするかぁ。ちょっと降りてみるよ」
「オッケー!」
あずきは箒の進路をそちらに向け、高度を徐々に落とした。
観光名所となっているのか、思った以上に人が集まっているのが見える。
「ラベンダー畑……かな」
あずきも一応女の子だけあって、一面のお花畑を目にし、気分が高揚してくる。
あずきは併設の駐車場に降りた。
いきなりお花畑に入って、入園料があったら困る。
駐車場は、日本でも走っていそうな車が普通に停まっており、スペースも結構埋まっている。
それなりに有名な観光名所なのか、思った以上に観光客がいるようだ。
よく見ると花畑の中にちゃんと遊歩道が整備されているようで、皆思い思いの場所に立ち止まっては、しきりに写真を撮っている。
「ねね、アイスクリーム屋があるよ。ボク食べたいなぁ」
「おはぎーー。……ナイスアイデア!」
あずきはアイスを注文しようと、屋台に近寄った。
屋台の看板に『レモラソフト 二百ルーン』と書かれている。
「レモラ? ラベンダーじゃないの?」
「ん? あんた、地球の人かい?」
屋台のお兄さんの問いにあずきが頷く。
「レモラってのは、月特産の花でね。まぁでも、見かけも匂いもラベンダーに似てるっちゃ似てるかな。いい匂いだろ。安眠グッズの材料になったり、これで染め織物を作ったりもするんだよ。アイス、食べるかい?」
「一つ下さい」
「一つね。お嬢ちゃん可愛いから、百ルーンでいいよ」
「やった!」
あずきはおはぎと遊歩道のベンチに座り、二本貰った木のスプーンのアイスを取って、同時に
「美味しい!!」
レモラソフトは、青みがかったソフトクリームだった。
だが、観光地で食べる高揚感からか、美味しさが増している気がする。
「スマホ、持って来られれば良かったのにね」
周りの観光客を見ながら、おはぎが言う。
「パジャマのまま来ちゃったもんね。でも、撮ったら撮ったで見せること出来ないってのもあるし」
「お友達に行き先を答えるわけにもいかないか」
山間を流れる爽やかな風が、あずきの髪を揺らす。
レモラの花も微かに揺れている。
日が照っているせいもあって、ポカポカと暖かく、心地よい微風が頬を撫でる。
――いい気持ち……。
「ボク、眠くなってきちゃった」
おはぎがベンチの上で一つ伸びをすると、丸くなった。
「ふわぁ……」
あずきも連日の疲れのせいか、眠くなってきた。
「三十分だけね」
あずきはベンチに座ったまま、目を閉じた。
◇◆◇◆◇
――なんか、肌が痛い……。
海水浴で日を浴び過ぎたときのような、皮膚にピリピリ焼けつくような痛みがある。
――箒で飛んでる間に日に焼けたのかな。
何だかんだ言って、疲れが溜まっていたのだろう。
眠りが思った以上に深かったのか、まだ頭がぼんやりする。
あずきは薄目を開けた。
暗い。
あずきのすぐ目の前に壁がある。
――これ、何だろう……。
寝ぼけた頭で考えた。
なぜか、思考がまとまらない。
壁はまるで植物の葉のようだった。
――アロエとかサボテンとかの多肉植物の葉みたい。
そこで初めてあずきは、自分が赤子のように膝を抱えていることに気がついた。
その状態で、お腹辺りまで水に浸かっている。
――違う。このひりつく感じ。これ、水じゃない。まるで、ウツボカズラの中で、ゆっくり溶かされているみたいで……。
あずきはそこでハっとした。
――みたい、どころじゃない! わたし、今まさに溶かされようとしている? やばい、やばい、やばい、やばい!!
危険、危険!
あずきの頭の中をエマージェンシーコールが、けたたましく鳴り響く。
しかし、どうしたわけか、指一本動かせない。
バフっ。
あずきのいる密閉空間に、甘い匂いが充満した。
覚醒し掛けたあずきの意識が再び霧の中に沈み込んでいく。
――溶かされる。溶かされて食べられちゃう! まずい! まずい!!
あずきは薄れゆく意識の中で、ブラウニーのミーアママの言葉を思い出した。
『杖に色々仕掛けを施したからね』
別れ際に教えて貰ったその中の一つ。
あずきの命が危機に
呪文詠唱の必要すらなく、頭の中で考えるだけで強力な自動防御モードが発動する。
あずきは頭の中で考えた。
『スビティス エヴァクアティオ(緊急避難)!!』
杖が強烈に光り輝き、あずきを包み込んだ。
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