第21話 森の中は危険がいっぱい 1

【登場人物】

野咲のざきあずき……十二歳。小学六年生。日本と英国のハーフ。

おはぎ……黒猫。あずきの飼い猫。

リリィ……シムラクルムの森の案内人。



 あずきたちの前方に沼が見えてきた。

 沼の上には、ずいぶんと年季の入っていそうな木製の橋が掛かっている。

 一気に渡り切ってしまおうというのか、リリィはラクのスピードを緩めることなく橋に突入させた。


 思いのほか、ひづめの音が響く。

 どれくらいの長さの橋なのか、モヤが出ているせいもあって向こう岸が全く見えない。 

 と、音に反応し沼から何かが浮かび上がった。


「頭?」

「見るんじゃないよ!」


 すかさずリリィの叱咤しったが飛ぶ。

 ラクの走りに合わせて、いくつも頭が浮かび上がる。

 魚の頭。濁った目。だが、確実にこちらの姿を捉えている。


泥妖サムヒギンだ。雑食性で、中でも人間が好物だ。今はあたしが持ってる護符にさえぎられて寄って来れない。しっかり手綱を握って落ちないようにしな。落ちたら最後、食われるよ!」


 あずきは、しっかり手綱を掴んだ。

 あずきの前で、おはぎも身を固くする。


 百メートルも走ったろうか。

 いきなり下からの強い衝撃があずきを襲った。

 ラクはたまらず横転し、あずきは橋の上に投げ出された。

 

 ――わたしをラクから落とすために、橋の真下に何かぶつけたっていうの? こいつら、魚みたいな見た目だけど、相当に知恵がある!


 好機と見てか、泥妖が次々と橋に上がってくる。


「ルクス パリエース(光の壁)」


 ラクから落ちたあずきを救助すべく、急ぎ引き返してきたリリィの魔法によって、あずきとリリィを囲むように光の壁が出現した。

 防御壁の内側で、あずきも急いでラクに飛び乗る。

 泥妖は光の壁を越えられないようだ。


「さっきの衝撃! こいつら、橋に何をぶつけたの?」

「泥の中には大したものは無いよ。泥妖はそこまで器用じゃない。ぶつかったのは水蛇ストーシーだ。泥妖に上手いこと誘導されたんだろうね。揃ってあたしらを沼に落として食おうとしてるよ。用心しな」

「ディプレーンショ(探知)!」


 あずきは周囲の気配を探った。

 大きい。

 全長三十メートル越えの巨大な生き物が沼の中を何体も泳いでいるのが分かる。

 沼の中を悠々と泳ぐ大蛇の気配に、あずきの血の気が凍る。


「あたしが衝撃を和らげる。あんたが防御壁を作るんだ。次の衝撃と同時に飛び出すよ」

「はい!」

 

 リリィが詠唱えいしょうを始める。

 あずきも魔法核コアに一気に火を点けた。

 あずきの中の魔力が瞬時に臨界まで達する。

 相手は泥妖サムヒギン水蛇ストーシーだ。

 

 ――火や水であの分厚そうなウロコを突破することは出来なさそう。アレを貫けるとしたら……雷だ!


 イメージが固まったあずきが詠唱を始める。

 

 ドォン!!!!

 

 橋の下からの再度の衝撃があずきたちを襲ったが、思ったほどの衝撃は無い。

 リリィが足元に作った空気の塊が、衝撃を吸収してくれたようだ。

 だが、衝撃と同時にリリィの唱えた光の壁が霧散する。


「あずきちゃん、来るよ!」


 気配を察知したおはぎが悲鳴をあげる。

 間髪入れず、あずきの魔法が発動した。


「トニトゥルス テンペスタス(雷の嵐)!!」


 あずきとリリィを囲うように、雷の防御壁が出現する。

 

 ――違う! 上から下に、じゃない! 無数の雷の精霊が幾重にも自分の周りを飛び回るイメージを作るんだ! 回せ、回せ!!


 発生した雷が一瞬で嵐と化した。


 視界の隅で、リリィがラクにムチをやるのが見えた。

 あずきも置いてかれないよう、ラクにムチをやる。

 途端に、リリィとあずきのラクが弾丸のように走り出した。

 走りながら、あずきのまとった雷の嵐が、近寄ろうとする泥妖を弾き飛ばす。

 

 と、頭上から殺気が襲ってきた。

 あずきは意識を集中し、雷の嵐を鋭く研ぎ澄ませた。


 ――円筒から円錐へ。密にするんだ! 


 ガガガガッ!!

 

 あずきの頭上で何かが激しく当たる音がすると、ラクを走らせるあずきの前に何かが落ちてきた。

 あずきは鞍に落ちた小さく尖った欠片を拾うと、まじまじと見た。

 それは、牙の欠片だった。水蛇のものだろう。 

 上手いこと撃退出来たのか、頭上の気配も既に消えている。


 あずきはちょっと考えた。

 何がどう必要になるか分からない状況なら、捨てずに取っておくのも手だ。


「レポーノ(収納)!」


 ラクを走らせながら、あずきは目の前に小さく魔法陣を描いた。

 光を放つ魔法陣に、ヒョイっと水蛇の牙を投げ込む。

 次の瞬間、あずきはいきなりラクの上で突っ伏した。

 

 ――なにこれ。


「あずきちゃん? 大丈夫? あずきちゃん?」


 あずきの異変に気付いたおはぎが、あずきを呼ぶ。

 力が入らない。視界が安定しない。息が整わない。

 自分の体に起こった異変に動揺する心を抑え、あずきは体内の魔法核コアを探った。

 魔法核が起動しない。

 雷の魔法で魔力を使い果たしたのだ。

 力が入らないなりに、あずきは手綱を掴んだ。


「大……丈夫」


 ――まだ危険は去ってない。弱音を吐く余裕なんて無い。今のうちに距離を稼がなきゃ。こき使っちゃってごめんね、ドゥエ。


 あずきはやっとの思いでおはぎに返事をすると、全速力で走るラクの背を優しく撫でた。


 十分ほど走って、ようやく沼地を抜けた。


「もぅいいよ」


 リリィの声に、あずきも手綱を緩めた。

 ラクの歩みがゆっくりになる。 

 安心したからか、あずきの緊張が解ける。  

 あずきの前で必死に鞍にしがみついていたおはぎも、ふぅっとため息をつく。


 次の瞬間、あずきは宙に吹っ飛ばされた。

 

 何が起こったのか分からなかった。

 ダンプカーと激突したような強い衝撃と共に、視界が反転する。

 ところが。


 あずきの体がまさに地面に叩きつけられようとするそのとき、落下の速度が極端に遅くなり、上下が正常に戻り、あずきは足からそっと地面に降りた。


「なに? なに? 何が起こったの?」


 理解が及ばない。

 キョロキョロ辺りを見回したあずきの眼前で、ラクのドゥエが倒れていた。

 慌てて近寄る。


 額を強打した為か、ツノが無残にも、根本からポッキリ折れている。

 その顔は鮮血で真っ赤だ。

 あずきは傍に落ちていたドゥエのツノを拾った。

 

 ――わたしには無理でも、リリィさんの上級魔法なら付けられるかもしれない。早くリリィさんのところに行かないと!!


 そこであずきは気が付いた。


「おはぎ?」

「たーすけてーー!!」


 上空からおはぎの声が降ってくる。

 あずきのすぐ近くの木の枝の上で、おはぎがぶるぶる震えている。

 

「今助ける!」


 あずきはおはぎに杖を向けた。


「ベントゥス(風よ)!」


 風に包まれて、おはぎがゆっくり降りてくる。


「おはぎ、何が起こったか分かる?」


 震えるおはぎを抱き締め、あずきは尋ねた。


「あずきちゃん、見てなかったの? 何か大きな動物が体当たりしてきたんだよ」

「それ、どこ行った?」

「リリィさんを追って行っちゃった。急ごう、あずきちゃん!」


 あずきは、ドゥエに近寄った。

 杖をドゥエに向け、集中する。


「サニターテム(治癒)!」


 杖の先から、薄っすら癒しの波動が出る。

 相手は全長四メートルの巨大生物だ。

 人間の傷を治すのとはわけが違う。

 それに今は、あずきの疲弊が激しく、なかなか効果が出ない。

 だが、しばらくしてドゥエはゆっくり立ち上がった。


「ごめんね」


 そう言ってあずきはドゥエにまたがった。

 ドゥエも飼い主の危機を感じているのだろう。

 痛みを堪えているのか、少しいびつな動きになってはいるが、それでも走り出す。

 あずきは不規則に揺れるドゥエに、振り落とされないようしっかりしがみついた。

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