第20話 初めてのキャンプ

【登場人物】

野咲のざきあずき……十二歳。小学六年生。日本と英国のハーフ。

おはぎ……黒猫。あずきの飼い猫。

リリィ……シムラクルムの森の案内人。



 ラクの背中に揺られ走ること数時間。

 途中何度か休憩を挟み、空が赤く色づき始めた頃、森の中を走っていた渓流けいりゅうにぶつかり、そこでようやく本日の行程が終了となった。


 ――この川って、ゴーレムのいたあの川の上流なのかな。


 あずきはお尻を撫でながらラクから降りた。

 お尻の下に空気のクッションを敷いたとはいえ、長時間揺られるとさすがにお尻が痛い。

 おはぎもラクから飛び降りて、伸びをする。


「今日はここでキャンプだ。ゴーレムのコアは高価だからね。森を抜けるまでの食事や宿泊費もサービスとしといてあげるよ」


 そう言うとリリィは平らな土地を選んで、そこにテキパキとテントを組み立てた。

 渓流を前に火が焚かれ、煙が立ち昇る。


 リリィが楽団の指揮者のように杖を振るうと、昔の海外アニメのような動きで水が入った鍋が火に掛けられ、その中に空中でカットされた肉や野菜がポンポン放り込まれる。

 一方でご飯が炊かれ、あっという間に、食欲を誘ういい匂いがしてくる。


 ――この匂い、カレー?


「さ、うつわを出しな」


 返ってきた皿には、予想通りカレーが盛ってあった。


「ネコちゃん、あんたにはコレだ」


 リリィがササミの乗った皿をおはぎの前に置いた。

 あずきとおはぎの目が輝く。


「いっただっきまーす!」


 お腹が空いていたあずきとおはぎは、夢中になって食べ始めた。

 それぞれがお代わりをして、お腹がいっぱいになった頃、あずきは思い切って聞いてみた。


「この料理、何ですか?」

「何だい、あんたカレーも食べたことないのかい?」


 リリィが呆れたように眼を見張る。


「あ、そうじゃなくって。んー、なんていうのかな。ここは月なのに地球と変わらないものがあるっていうのが不思議で」

「おいおい、地球と月の交流が再開して二百年だよ? それだけの時間があればいくらでも地球のモノが月に持ち込まれるし、地球と月の貿易で財を成した者だっているんだ。逆に、月兎族ルナリアンが人間に化けてシレっと地球で暮らしていたりするパターンもある。政府管理だが、都心部には常時起動中の大規模ゲートもあるし、地球にあるもので月に無いものなんか、ほとんど無いさ」


 あずきはビックリした。

 

 ――あなたの隣に月の住人がいます! なーんて地球でしゃべったら大混乱に陥るだろうな。っていやいや、誰も信じないか。逆に頭のおかしな人扱いされるな、きっと。


 リリィはとっとと話を切り上げると、川に近付いた。


「サクスム モーベレ(岩よ、動け)!」


 リリィが杖を振るうと、川べりの砂利や石が続々と宙に浮かび、そこに人が二、三人は横たわれそうな大穴が開き、見る間に川から水が流れ込む。


「アグニ(火よ)!」


 続いて呪文を唱えると、湯気が立ち始める。

 目の前で、あっという間に露天風呂が出来てしまった。


「疲れたろ。入んな」


 リリィはそれだけ言って、ラクの世話をしに行ってしまった。


 あずきは周りを見回した。

 おはぎとリリィ以外、誰もいない。

 

 ――いい加減、汗をかいて気持ち悪くなっていたし、旅の恥は搔き捨てだ。えい、入っちゃえ。


 あずきは服をポンポンっとその場に脱いで、露天風呂にそっと片足を入れた。

 

「温かーい! おはぎ、おはぎ、気持ちいいよ? おいでー!」

「ぼく、お風呂きらーい」


 ――寄ってこない。むぅ。


 あずきは川を眺めた。

 真っ暗闇の中、川に焚火の光が写っている。

 遠くで何か、動物の鳴き声が聞こえる。


 焚火の炎の揺れと川の流れが不思議に合って、幻想的な夜景を作り出している。

 あずきは湯に浸かったまま、体を撫でた。

 石鹸は無いけど、体をこするだけで十分綺麗になれる気がする。


「温まってるかい?」

「きゃあ!!!!」


 あずきは悲鳴を上げながら、湯舟深く沈み込んだ。


「なんだい。女同士で悲鳴をあげるだなんて失礼しちゃうね」

「だって、いきなり声を掛けるんだもん!」


 あずきは顔だけ風呂から出して抗議した。

 リリィは一瞬呆れたような顔をするも、仕事仕事、とばかりに杖をふところから取り出す。


「まぁ何だっていいやね。ちょっと失礼して……。あんた、女の子なんだから、もうちょっとしっかりしなよ」


 リリィがあずきの脱ぎ散らかした服に杖を向けると、杖の動きに合わせて服が宙を舞う。


「ちょっと! 何してるんですか!」


 あずきは抗議の声を挙げるが、恥ずかしくて湯から出られない。


「カリダーアクア サルタティオ(湯よ、踊れ)」


 いつの間にか宙に浮いていた水球に放り込まれたあずきの服は、水球の中で激しく動き回っている。


 ――もしかしてわたしの服、洗濯されてる?

 

 あずきは落ち着きを取り戻し、じっと服の動きを観察した。

 恥ずかしさより知識欲が勝る。

 わざと、水にランダムな動きをさせる高度な魔法だ。

 あずき程度の知識では、さっぱり理解出来ない。 


「ベントゥス カリドゥマエイレム(風よ、温かくなれ)」


 宙に浮いていた水球が消え失せ、見る見る間に服が乾いていく。

 

 ――乾燥機能付きの洗濯機?


 乾燥を終えた衣類があずきの前にゆっくり降りてくる。

 あずきは湯の中からリリィを見上げた。


「あんたみたいな幼い女の子が、着の身着のままでいるんじゃないよ」


 そう言ってまたリリィはテントの方に去って行った。

 あずきはリリィが消えるのを待って、そっと湯から出て畳まれた服を開いてみた。

 下着は勿論のこと、ご丁寧にパジャマまで洗濯済みだ。

 風呂を出たあずきは、着替えてパジャマ姿になるとテントのところまで戻った。


「あの!」


 焚火に火をくべていたリリィの前に立つ。

 リリィが顔を上げる。


「洗濯、ありがとうございました」


 頭を下げるあずきを見て、リリィは口の端でフっと笑った。


「料金の内さ。気にしなさんな」


 リリィはすぐ火に向き直り、焚火たきびの世話に戻った。


「おやすみなさい!」


 あずきは、あてがわれたテントに入った。

 一人用ではあるが、十分に足を伸ばせる。

 あずきはリュックからサマンサに貰った寝袋を取り出すと、素早く潜り込んだ。

 おはぎも来るが、寝袋に入り込むのはさすがに無理だと思ったのか、隣で丸くなる。


 あずきはテントの天井を眺めながら、ここまでの旅を振り返った。

 と言ってもせいぜい二日だが、普段自分だけで移動出来るのは市内のみというあずきにとって、たったの二日間の移動がとんでもない距離に感じられた。


 一口ひとくちに月宮殿まで五百キロと言われても、昨日今日でどのくらい距離を稼げたかも分からないあずきには、ゴールまであと何日掛かるかも分からない。

 

 ――夏休みいっぱい掛かるってんじゃなきゃいいけど……。


 あくびをしつつ目をつぶったあずきは、夢も見ない程、深い眠りに落ちた。


 ◇◆◇◆◇ 


 食欲をそそるいい匂いを嗅いだあずきは、パっと目覚め、テントから出た。

 朝日がまぶしい。

 川のせせらぎと遠くの鳥の鳴き声が天然の目覚ましになっていて、気持ちの良い目覚めをもたらしてくれる。

 あずきが匂いのする方を見ると、焚火の前でリリィがフライパンを動かしていた。


「起きたかい。そこに座んな」


 うながされ座ったあずきの前に、皿が出される。

 きつね色に焼けたトーストの上に分厚いハムが。

 その上に半熟タマゴの目玉焼きが。

 更にその上にとろっとろのチーズが乗っている。

 ほんわか湯気まで立ち、見るからに美味しそうだ。


「わぁ! いただきまーーす!!」


 あずきがトーストにかぶりつくと、舌の上で半熟タマゴがとろける。


「うっま!」


 あずきのひざ元で、おはぎも貰ったペーストを夢中になって食べている。

 あずきとおはぎの反応を見たリリィが苦笑する。


「慌てなくっていい。落ち着いて食べな。食べたら出発するからね。昼前には森を抜けられるだろう。おかわりもあるから、今のうちにしっかり食べておきな」

「はい!」

「にゃあ!」


 あずきとおはぎは、揃って返事した。

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