第15話 スタートは初心者の館から 3

 サマンサの説明を受けた後、あずきは早速座学に入った。


 ここを訪れる初心者魔法使いビギナーが代々使用してきたのか、使い古された感がある、なんと日本語で書かれた教科書を読みながらサマンサの授業を受けた。 


 用途別の魔法陣の描き方や、単語、魔力の込め方、状況に応じた魔法の選択、使用方法など色々教わったが、あずきには、いまいち実感出来なかった。

 サマンサには『魔法のみなもとがもう見える位置にあるのよ』と繰り返し言われたが、自分の身体の中にそんなもの全く感じなかった。


 休憩時間になって、詰め込み過ぎた頭を軽く振りながらやかたの外に出たあずきは、そこで初めて、自分がどこにいるのかを知った。

 崖だ。館は断崖絶壁の突端に立っていた。


 あずきは恐る恐る崖の下を覗き込んだ。

 見渡す限り、真っ白な雲海が広がっている。

 何も見えない。

 落ちたら即死だろう。


 震える体を抑えつつ反対側を見ると、そちらは対照的に、まばらに草が生える不毛の大地だった。

 かすかに下りになっているが、先が見えないくらい遥か遠くまで荒れ地が続いている。

 進んだその先に何が待っているか分からないが、どちらにしてもそちらにしか進む道は無いということだ。


「じゃ、そろそろ実技を始めましょう。こっちにいらっしゃい」

 

 サマンサに呼ばれたあずきは館の裏に連れていかれ、指示された通り、そこに置いてあった切り株椅子に座った。

 おはぎがあずきの隣の切り株椅子に飛び乗る。

 あずきの正面にはレンガ製のまきがセットされた石窯いしがまがあった。


「え? なにこれ。ピザ窯?」

「いい出来でしょ。自慢の石窯なのよ。薪に火が付き次第、ピザを入れるわね。お腹が減りすぎて倒れる前に、ピザが焼けるといいわね」


 サマンサはそれだけ言って、さっさと家に引っ込んでしまった。

 あずきはその背中を見送りながら考えた。


 ――休憩に入る前に見た時計は十時を過ぎていた。そこから休憩しておしゃべりして、実技の準備をして。でもまだ昼までには時間があるはずだよね。


 だが。


 それから五時間、あずきは杖を窯の奥の薪に向け、うんうん唸っていたが、火は一向に点かなかった。

 既に空が赤みががっている。完全に夕方だ。

 あと小一時間もすれば、夜のとばりが下りるだろう。


『体の中心に火を灯して。それが手の先、足の先、指の先端、体の隅々まで広がっていくイメージよ』


 サマンサが言っていたことを思い出すも、現代っ子だからか、あずきにはいまいちイメージが湧かない。

 

 ――火は火よね。体の中になんか無いし。っていうか、いい加減お腹ぺこぺこ。無理よ無理。あーあ、帰りたいなー。


 やればやるほど、意識が散漫になってくる。


 そんな中、おはぎは、と言えば、あずきがピザ窯を相手に奮闘している間、蝶々を追いかけてどっかに行ったり初心者の館の屋根に上ったりと、ずっと遊んでいた。

 何もない場所なので、いい加減遊ぶのにも飽きたのか、戻ってきて言った。


「あずきちゃん、まだ火、点かないの? ボクお腹空いたよ」

「おはぎ、あんたずっと遊んでて、戻ってきたかと思ったらそのセリフ、酷くない?」

「人聞きが悪いなぁ。ぼくはあずきちゃんの邪魔をしちゃいけないと思って離れてたんだよ?」


 疲れもあって、さすがのあずきもカチンと来る。


「だって点かないんだもん! わたしだって遊んでなんかいなかったわ! ずっとピザ窯の前で奮闘してたわよ! でも点かないの! どうしろって言うのよ!!」


 あずきは泣きながら、キレて叫んだ。


 その瞬間、あずきの体が炎に包まれた。

 一瞬でパニックにおちいる。


「なにこれ! 熱い! 焼ける! 助けて!!」


 いつの間にかあずきの傍に来ていたサマンサが、あずきの肩を掴む。


「よく見なさい、あずき。どこも燃えていないわ」


 あずきは目を凝らした。

 確かに燃えていない。

 炎も幻のように揺らぐだけで、服も髪も無事だ。

 

 ――じゃ、この熱さは何? わたしの体をまとっているこの炎は何なの?


「いい? あずき。それはあなたが生んだ幻影よ。あなたが外に出してやるまで実体化しないわ。その炎は出口を求めてあなたの中を縦横無尽じゅうおうむじんに駆け巡っているの。だから、炎に流れを作ってあげて」


 サマンサに言われて、あずきは意識を体内に集中させた。

 目をつむるも、炎の奔流ほんりゅう事細ことこまかに感じる。


 あずきは体内を駆け巡る炎の玉を、意識の手でそっと押してみた。

 体内で角度が変わる。

 

 ――そっか、こうやるんだ。


 あずきは意識の手を使い、体の中で暴れる火の玉に流れを作ってやった。

 今まで、まるでビリヤードの玉のように体の中を乱反射していた炎の玉が、体内を綺麗に一周する流れに変化した。

 

「そう、それでいい。今度はその流れを杖の先に導いて」


 サマンサがあずきの耳元でささやく。


 あずきは、両親が昔リビングで見ていたちょっと古めのパニックムービーを思い出した。

 たまたま犯人が乗る列車に乗り合わせた主人公が、このまま直進すれば脱線転覆間違いなしという寸前、ポイントを切り替えて脱線を防ぐのだ。

 あれと同じだ。

 

 あずきは体内の流れに新たな切り替えポイントを作り、炎の玉を杖へと導いた。

 炎が杖の先端に辿り着いたと同時に、炎の後ろにあった道を閉ざす。

 それまで体内にあった熱さが消え、代わりに杖の先端が灼熱色に光り輝いていく。

 今度は杖の前に出口を作ってあげれば……。


 その途端、あずきの杖からバスケットボール大の火の玉が撃ち出された。

 火の玉はあっという間に百メートルほど飛んで虚空こくうに消えた。

 あずきは崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。


「大変良く出来ました。今のが魔法よ」


 サマンサがあずきの背中を撫でた。

 あずきは興奮をおさえ、もう一度精神を集中させた。


 下腹部。

 東洋医学で言う丹田たんでんの辺りに、小さな小さな魔力のコアが見える。

 ついさっきまでその存在を全く感じなかったものが、今、確かにあずきの身体の内にある。

 感じる。


「じゃ、今度はそれを調整するの。じゃないと窯が吹っ飛んで晩御飯のピザが消し炭になっちゃうわ」  


 サマンサが笑って言った。


 それから三十分後。

 あずきはまるで欠食児童のように、出来立てピザを頬張ったのであった。

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