第57話

 涼悠りょうゆう白蓮はくれんが従者の元へ戻ると、

「お待ちして居りました」

 という彼らは安堵したのだろう。喜びが顔に出ていた。

「さて、どうしたものか?」

 真白ましろの話から分かった事といえば、芍薬しゃくやくの花の香りがしたという事だけだった。牛車ぎっしゃに乗り込んだ二人は、これから何処へ向かえばいいか、考えあぐねていた。

「白蓮、恵禅尼えぜんにが修行した山がどこか知っているか?」

 涼悠が聞くと、

「知らない」

 と白蓮は答えたが、

玄道げんどうは知っている」

 と続けた。

「そうか! なら玄道に聞いてくれ」

「分かった」

 白蓮はそう言って、しばらく目を瞑って沈黙した。白蓮と玄道は離れていても念で言葉を交わせる。それは彼らが高位の修行者であり、強い霊力を持っているからだった。

「場所が分かった」

 白蓮がゆっくり目を開けて言った。

「方角は?」

 涼悠が聞くと、

「ここよりの方角にある大峰山」

 と白蓮が答えた。

「どれくらいかかるんだ?」

 涼悠がのん気に聞くと、

「一日はかかるだろう」

 と白蓮は冷静に答えた。

「一日だって⁈ 遠すぎるだろう。一度、阿麻呂あまろの所へ寄ろう。道中が長いから、水と食料も必要だ」


 涼悠一行が阿麻呂のいる賀茂家に行くと、

「涼悠様!」

 阿麻呂が嬉しそうに出迎えた。

「夜分に来て申し訳ないが、一晩泊めてくれ。明日は長旅になるから、水と食料を人数分、用意して欲しい」

 涼悠が言うと、

「はい! では、そのように致します」

 と笑顔で言った。阿麻呂は涼悠の役に立てることが嬉しいのだろう。

「ところで、今度はどちらへ行かれるのですか?」

 二人を部屋へ案内した阿麻呂が聞いた。

「大峰山だ。恵禅尼が、かつて修行した山だという」

 涼悠が言うと、不思議そうに涼悠を見つめた阿麻呂が、

「涼悠様? 何か術を掛けられていますね?」

 と言った。阿麻呂は術者ではないが、死者になってからは、感が備わったようだ。

「ああ。だから、俺に術をかけた奴を追って、大峰山へ行くんだ」

「涼悠様に術をかけるなんて、その者はよほどお強いのですね」

 阿麻呂があっけらかんと言うと、白蓮は眉を寄せて、冷ややかな視線を阿麻呂に向けた。しかし、阿麻呂は気にせず、

「私にできることなら、これからも、何なりとお申し付けください。いつでも涼悠様のお役に立ってみせますよ」

 と涼悠に微笑みを向けた。

「うん。心強いな。頼りにしている。今夜も部屋を用意してくれてありがとう。従者たちは疲れていて、腹も減っていると思う。食事を取らせたいのだが、お願いできるか?」

 涼悠が頼むと、

「もちろんですとも! 只今、ご用意致します。お二人のお食事もすぐにお持ち致しますね」

 阿麻呂はそう言って、戻って行った。


「白蓮、そんな顔をするな。阿麻呂は俺が弱いと言ったんじゃない。相手が強いと言ったんだ」

 涼悠が言うと、

「同じことだ。禅心尼ぜんしんにがお前より強いというのは間違いだ。あの者は卑怯な手を使った。それはお前に敵わないからだ」

 白蓮は不機嫌そうに言った。普段、感情は表に出さないが、この件には相当、腹を立てているようだ。早く禅心尼に術を解かせないと、白蓮の機嫌がもっと悪くなるだろう。

「分ったから、落ち着けよ」

 涼悠が言うと、

「落ち着いている」

 と言ったその顔は、いつもの冷静で感情のない表情へと変わっていた。

「ごめんよ。俺が軽率だった。術にかかったのは警戒を怠った俺自身の責任なんだ。お前が怒ることはない」

 涼悠はそう言って、白蓮を抱き寄せて髪を撫でた。

「私の責任だ。私は自分に怒っているのだ」

 白蓮はぽつりと言った。二人の仲睦まじい様子を見て、

「お二人は、本当に仲がいいですね」

 家人に料理を運ばせてきた阿麻呂が、微笑みながら言った。

「おっ。待っていたぞ」

 涼悠が言うと、

「お待たせいたしました」

 阿麻呂がそう言って、家人たちに料理を部屋へ運ばせた。

「それじゃ、食事が終わったら、膳は廊下に出しておいてくださいね。後で片付けさせますから、ごゆっくりどうぞ」

 そう言って、阿麻呂と家人たちは戻って行った。

「旨そうだな」

 涼悠は視力を失っているから、料理は見えていないが、匂いを嗅いでそう言った。

「私が食べさせよう」

 そう言って白蓮が涼悠の傍らに座った。

「うん」

 白蓮は甲斐甲斐しく箸を運ぶ。食事を終えると、膳を廊下に出して御簾を下ろした。

「そろそろ寝よう」

 白蓮がそう言って、褥を敷いた。

「うん」

 涼悠はいつになく疲れていた。身体を横たえると、程なく静かな寝息を立てて眠りについた。それを愛おしそうに、そして切なそうに見つめる白蓮は、

「傍に居ながら、お前をこんな目に遭わせてしまって済まない」

 自戒の念を込めて言ったが、深く眠っている涼悠には聞こえてはいないだろう。

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