第56話

 陽は落ち、辺りが闇に包まれた頃、葛城山に着いた。

「お前たちはここで待っていろ」

 牛車ぎっしゃから降りた涼悠りょうゆうが、従者たちに言うと、

「ここで私たちだけで待っていろなんて、恐ろしすぎます」

 と彼らは怯えて震えた。霊気の弱い彼らにも、この山を覆いつくす神力が感じられるのだろう。

「そう怖がるな。ここにいるのは俺の知り合いの神だ。しかし、お前たちがこの山に入るのは一言主ひとことぬしが許さない。だから、お前たちはここで待つしかないんだ。こいつを置いていくから安心しろ」

 涼悠はそう言って、紙の形代を出して息を吹きかけた。

「何という事だ! 沙宅さたく様が二人に!」

 従者たちは一様に驚いたが、それを見て涼悠は笑みを浮かべ、

「お前はこいつらの傍にいて守れ」

 ともう一人の涼悠に言った。

「うん」

 と返事をしたもう一人の涼悠は、

「お前らを守るから安心しろ」

 と従者たちに言って微笑んだ。二人の涼悠を見比べて、どちらが本物か見分けがつかず、困惑と混乱の表情で立ち尽くす従者たちだった。


 二人は白蓮はくれんの霊気に包まれ、そのまま登っていった。一言主の社に着くと、

「今度は何の用だ?」

 と一言主が気だるそうに聞いた。

「今日は真白ましろに用があって来たんだ。あっ、それと、白蓮からお前のことを聞いたぞ。この間はお前の貸しというのが分からなかったが、黒龍となった火須勢理命ほすせりのみことをお前が押さえてくれたんだってな。もう一度礼を言っておくよ。ありがとう。白蓮、お前からも」

 涼悠が言うと、

「その件では世話になったな。礼を言う」

 と軽く頭を下げた。それを見た一言主は、大げさに驚いて見せて、

「なんと! 布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみが私に礼を言うとは!」

 と声高に言った。

「そんなに驚かなくても」

 それを見て、涼悠は笑った。

「ところで、真白はいるのか?」

 涼悠が聞くと、すっと音もなく一言主の隣に真白が現れ、

「お呼びでしょうか?」

 と言った。その姿は白孔雀しろくじゃくではなく、少年か少女のようだった。真っ白な透き通った服を重ね着していて、清らかで神々しい。その素肌も透き通るような白さ。顔には人のような健康的な血色はない。人ではないというのが見て分かる。もともと精霊には性別はなく、少女のような少年のような高く澄んだ真白の声は、その姿によく合っている。視力を失った涼悠には、そのように見えていた。

「真白、お前って。人の姿になっても綺麗なんだな」

 涼悠が嬉しそうに言った。その言葉に、一言主は一瞬、冷ややかな視線を向けて、前に向き直り、

「真白を綺麗と言っていいのは私だけだ」

 と不機嫌そうに言った。

「何でだよぅ。綺麗なものを綺麗と言って何が悪いんだ?」

 涼悠が言葉を返すと、

「涼悠、慎みなさい」

 と白蓮が言った。

「白蓮、お前までそんなことを言うのか?」

 涼悠が不満そうに言うと、

「お前を可愛いと言っていいのは私だけだ」

 と言って、涼悠を抱き寄せた。

「え? 二人はそういう仲なのか?」

 涼悠が言うと、

「そうだ」

 と白蓮が答えた。一言主はそれを見て、

「まったく」

 と一言言って、呆れた様子だ。真白は一言主の隣で上品に口元を隠し、小さく笑った。

「知らなかったとはいえ気を悪くさせて済まなかった。真白がお前の伴侶だって、言ってくれればよかったのに。俺だけが恥をかいたじゃないか」

 涼悠は素直に謝ったが、自分だけが知らなかったことに、少し不満だった。

「まったく。気が付かぬお前が鈍いのだ」

 一言主はそう言ったが、その口元は緩んでいた。涼悠に悪気が無い事は分かっていた。

「ところで、真白に何用だ?」

 一言主が聞くと、

「そうだった。真白に聞きたい事があったんだ。黒衣の法師についてだ。お前はそいつの正体を知っているのか?」

 涼悠が真白に質問した。

「黒衣の法師。あの者は幻術を使い、私にも正体は分かりませんでした」

「そうか。今、尼寺へ行ってきたんだが、どうやら黒衣の法師は禅心尼という尼僧かもしれないということだ。まだ推測に過ぎないが、その線が濃厚だ。真白、何か気付いたことはないか?」

 涼悠が言うと、

「そうですね……」

 真白は少し考えてから、

「お役に立つ情報か分かりませんが、芍薬の花の香りがしました」

 と答えた。

「そうか。他には何かないか?」

「ありません」

 真白の答えに、少し残念そうに、

「そうか」

 と涼悠は言って、

「真白、ありがとう。ところで、一言主。ここに加流姫かるひめ波流姫はるひめが修行に来ているんだってな」

 と話を切り替えた。

「来ている」

 一言主が、そう答えると、

「ここに呼んでくれよ」

 と涼悠が言った。すると、音もなく涼悠と白蓮の斜め後ろに二人が姿を現した。

「すごいなお前たち。俺にまったく気配を感じさせずに現れるなんて。まるで精霊みたいじゃないか」

 涼悠が驚いて言うと、

「沙宅様、白蓮様。再びお目に掛れること、嬉しく思います」

 そう言って加流姫がこうべを垂れると、同時に波流姫も頭を垂れた。

「お前たちに菓子を持って来た。これは都でも珍しく、宮殿でしか食べられない特別なものだ」

 涼悠はそう言って、紙に包んだ菓子を二人に差し出した。加流姫、波流姫は受け取ってよいものかと、一言主へ視線を向けると、

「頂きなさい」

 と一言言った。それを聞いて、二人は嬉しそうに菓子を受け取った。今まで見た事もないほど愛らしい表情の二人を、涼悠は満足げに見つめた。

「お前たちが喜んでくれてよかった。俺たちはもう行かないといけない。それじゃ、またな」

 涼悠が言うと、

「また来る気か?」

 と一言主が言ったが、口角が上がっている。また会えることが嬉しいのだろう。

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