第55話

 善光尼ぜんこうにが尼寺へ入ったのは、今から四十年前の事だった。そこには尼僧が二人いた。恵禅尼えぜんに禅心尼ぜんしんにだった。善光尼は当時五歳で、貧しさのあまり親に見捨てられた孤児みなしごだった。尼寺の門前に置き去りにされたが、それは両親のせめてもの優しさだったのだと信じている。親に捨てられた善光尼には名はなく、善光尼と名付けたのは恵禅尼だった。母のように優しく、時に厳しく育てられた。禅心尼は姉のように善光尼に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。善光尼が十歳になった頃、玄道が寺へ預けられた。彼はまだ五歳だった。善光尼が尼寺の門前に捨てられた歳と同じだったということもあり、境遇の似た幼子を弟のように可愛がった。しかし、玄道が十歳になると、恵禅尼は彼を尼寺へ置いておくことは出来ないといい、二人で険しい山へ籠り修行を始めたのだった。それから五年経ち、玄道が朝廷へと召された。一人になった恵禅尼は尼寺へ戻ることなく、更なる厳しい修業へと身を置くようになった。尼寺には禅心尼と善光尼が残ったが、二人の暮らしは変わることなく平穏な日々を送っていた。そんな日々に変化が訪れたのは、十年前のある事件だった。恵禅尼は修行を重ねながらも、都に渦巻く邪悪な気、烏野からすのに打ち捨てられた者たちの魂を鎮めていた。しかし、それらは徐々に恵禅尼を蝕んでいき、ついにそれが彼女を飲み込み、邪気を身に取り込んでしまい、自我を失い邪神と化してしまった。邪に導かれるように亡者を操り、自らも都を襲ったのだった。それに気付いた禅心尼は恵禅尼の元へ駆けつけるが、強い邪気に襲われ、自身まで邪と化して恵禅尼を止めるどころか、都を襲ったのだった。その時、都を守る沙宅家の者たちに捕まり、禅心尼は後に流刑となった。邪神と化した恵禅尼は秋麗しゅうれいによって、金剛山に封印された。


 善光尼は、そこまで話すと、

御門みかどは禅心尼の強い法力を恐れ、遠流に処し、伊豆へと流されたことは後に知りました。しかし、その後の禅心尼については知ることは出来ませんでした。今、沙宅様が追っている黒衣の法師が禅心尼ではないかと思います。彼女の力を侮ってはなりません。恵禅尼は神となられるほどの力がありますが、禅心尼もそれに近い力を持っています。今、禅心尼がどこにいるか、わたくしには分かりません。彼女にどんな目的があるのかは分かりませんが、どうかお気をつけて」

 と付け加えた。善光尼の話で、黒衣の法師が禅心尼という尼僧であることは間違いないと確信した。相手の正体は分かったが、どうやって居場所を突き止めるかを考えなければならなかった。

 涼悠は善光尼に礼を言って、牛車ぎっしゃに乗った。

「さてと、今度は真白ましろに話しを聞いてみようか?」

 涼悠が言うと、白蓮は頷いた。

「うん」

 涼悠一行は、一言主のいる葛城山へ向かった。

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