第42話

「そうだったのですね。それでお二人はそのように仲睦まじいのですね」

 阿麻呂あまろはそう言ってから、口元に手を当てて、二人の前で失言だったのではと、涼悠りょうゆうを見た。

「いいよ、気にするな。俺たちが仲良しなのは皆が知っている。口に出して言われたのは初めてだけどな」

 と涼悠は悪戯っぽく言った。それを聞いて阿麻呂は自分の発言があまりに軽率で、相手を敬う事を失する愚行だったと、改めて己を戒め、

「大変、失礼しました!」

 と二人に対して、深くこうべを垂れた。

「おい、おい。冗談だろう? そんなことで謝るなんてよしてくれよ。俺は嬉しいんだ。お前が素直に俺たちの仲の良さを言ってくれたことが。周りの奴らは気を遣って何も言わないからな」

 涼悠は困った顔をしながらも、笑って阿麻呂に両肩を掴み、彼の身体を起こした。


 外の色がうっすらと変わり始めていた。

「あとどれくらいだ? 阿麻呂」

 涼悠が聞くと、

「もう、葛上郡かつらぎのかみのこおりに着いた」

 と答えた。そこから程なく、牛車ぎっしゃは止まった。外では何やら声がする。どうやら、ここは国府のようだ。再び牛車が動き出すと、周りの人の気配が増えた。それからしばらくして止まった。

「沙宅様、白蓮様。着きました」

 従者に声をかけられて牛車を降りると、多くの人が出迎えて頭を下げて居並んでいる。もう一台の牛車からも二人下りてきた。無口な若い武官たちだ。彼らの官位は涼悠より下であるため、涼悠が動かなければ、彼らも動かない。

「うむ」

 涼悠は大げさな出迎えに何か言いたげに一瞥したが、面倒なのでここは無言で通ることにした。涼悠、白蓮、阿麻呂のあとに二人の武官が続いた。案内されたのは宴の席で、正面に威風堂々と腰を下ろしている男が満面の笑みで、

「よく参られた。さあ、お座り下さい」

 と座ることを促す。これが例の国司くにのつかさだろう。先入観で人を見るのは間違いの元だが、涼悠には間違いのない能力がある。その目にごまかしは利かない。涼悠の力が言っている。こいつは悪人だと。その考えはすでに白蓮も共有していた。しかし、ここで咎めても意味はない。証拠を見つけて、朝廷でこの男の罪を罰しなければならない。

「さあ、沙宅様、白蓮様。存分に食事をご堪能下さい。長い旅でお疲れでしょう。女に酌をさせましょう」

 国司はそう言って、若く美しい女たちを呼んだ。酌など要らないが、ここは断るのも面倒、好きにさせようと受け入れた。食事に毒が盛られていないことを確認すると、

「お前たちも、遠慮せずに食べろ」

 と武官二人にも食事を促した。しかし、この国司、何を考えているのだろうか? 涼悠たちが来た目的は知っているはずだ。もうすでに、証拠隠滅したから、悪事の証拠など探せるわけがないと、高を括っているのだろうか? どんなに取り繕ったところで、犯した罪が消えることはない。ここに阿麻呂がいることに、気が付いていないのだろうか? あまりにも愚かだ。客の顔もろくに見てはいない。そう言えばと、涼悠が武官へ目を向ける。彼らの名を聞いてはいない。

「そこのお二人、まだお若いようだが、大変な用事を任されたものだな? 阿部子島あべのこしま橘奈良麻呂たちばなのならまろと言ったな」

 国司に声をかけられ、二人は箸を置き、両方の拳を付いて頭を垂れた。二人はまだ若いが、なるほど、その名を聞いて納得だ。高貴な貴族の子息じゃないか。ここで手柄でも上げれば、即昇進という運びだろう。そういうことなら、ここで更なる悲劇など起きるはずはない。彼らをここへ向かわせ、涼悠たちには彼らの身を守らせようというのが、同行させた真の狙いか? だとしても、国司にもそれは伝わっているだろう。これ以上の悪事は出来ないはずだ。


 宴は何事もなく終わり、涼悠たちは部屋へ案内された。離れの大きな建物で、障子はなく、一部の御簾が巻き上げられ、そこから入るよう促された。部屋は広く、衝立で三つに区切られていた。

「どうぞ、こちらでお休みください」

 案内人がそう言って、御簾を下げて下がった。

「もう遅い。みんなも疲れただろう。休もう」

 涼悠が言うと、衝立の右側へ阿麻呂が、左側には若い武官の二人が移動した。必然的に真中まんなかが涼悠と白蓮と決まった。客人用に畳が重ねられ、その上に褥が敷かれていた。怪しい気配はないが、念のため、この建物全体に結界を張った。これは悪霊の侵入を防ぐだけでなく、外から侵入する者を感知することも出来る。そして、最初から誰かが潜んでいても同様に。

「白蓮」

 涼悠が彼の名を呼ぶと、白蓮は無言で頷いた。阿麻呂は死者だから問題ないだろう。しかし、武官の二人は守らなければならない。勢いよく衝立を払いのけ二人を囲むと、天井へ目を向けた。二人の武官はその行動には驚きはしたが、涼悠たちの視線を向けた先に敵がいると直感し、武器を手に身構えた。

「相手は人だ。殺すなよ」

 涼悠は二人にそう声をかけたが、その隙に白蓮は侵入者を即座に捉えていた。

「白蓮、もう終わっちゃったじゃないか。彼らに花を持たせろよ」

 捉えた者は、農民の服装をしていたが、身のこなしが常人ではないことは明白だ。どこかで修行をし、それなりの術を身に着けていた。しかし、白蓮に対しては抵抗すら出来なかったようだ。彼らの口を割ろうとすると、毒を飲んだようで、口から泡を吹いて倒れた。

「仕方ない、国司を呼んで話を聞こう」

 まともな答えは期待してはいなかった。


「これは一体どういう事でしょう? なぜ、こんなところに彼らのような下賤がいるのか。どこから入り込んだのでしょう? 困ったものです。こちらで処分しておきますよ」

 と国司はまるで他人事だ。しかも、二人の命が失われたというのに、まるで不要なものを捨てるかのような言い方。ここで国司を止めなければ、また誰かの命を失うことになるだろう。

「国司殿。どうして己の悪事を隠し通せると思うのか? この俺の目を欺くことなど出来ないと知らぬのは、まことに愚かだな。あの二人の身体は俺が預かろう。彼らの家族の元へ帰してやらねばならない。そして今日、俺が家族の元へ帰そうと賀茂阿麻呂かものあまろを連れてきている事に、お前は気付かなかったのか?」

 涼悠が言うと、国司は顔を蒼褪めて、きょろきょろ見回し、阿麻呂の姿を見るや否や、悲鳴を上げて腰を抜かした。

「待ってくれ。何か誤解があったようだ。賀茂阿麻呂が死んだのは私のせいじゃない。みんな知っている。野党に襲われたんだ。なあ、そうだよな?」

 国司は自分の護衛の役人たちにそう声をかけた。皆、一様に頷いているが、涼悠にはごまかしは利かない。彼らはそう答えるよう国司に強要されている。逆らえば殺されるという恐怖に縛られ、抗えない命令なのだ。

「そうか。でも、阿麻呂はお前に殺されたことを知っている」

 涼悠が言うと、国司は阿麻呂を指差して、

「そいつは死人だ。信用なんて出来るわけがない。先日、悪霊となって、都を襲ったと聞いているぞ。そいつは悪霊だ。騙されてはいけません」

 と、なおも己の正統性を主張している。

「残念だが、お前の悪事は露呈した。先ほど二人の死者を出した。もう、言い逃れは出来ない。そして、すでに朝廷へも今の出来事は報告済みだ。お前は、俺のことをまだよく知らないらしい。都で一番の術者のこの俺を欺くことなど、お前には出来ないんだよ。観念した方がいい。今ならまだ、地獄を見ずに済むだろう。お前の悪事をすべて聞かせろ」

 涼悠の言葉は穏やかだったが、国司には最大の恐怖を与えたようだ。観念して、語り始めた。それを二人の武官に書きとめさせること数時すうとき、陽が昇り始め、空が白々と闇を押しのけるように夜が明けた。


「まあ、お前の犯した罪は償わなけりゃならない。加担した者、利益を得た者、己が罪を犯したことを自ら告白すれば、量刑も軽く済むと確約しよう。だから、悪い事をした奴はみんな正直に話せ。話しはみんな、こいつらが聞く」

 涼悠はそう言って、若い武官二人に丸投げした。


「それじゃ、阿麻呂、お前の家に行こう」

 涼悠は軽快な足取りで国府をあとにした。阿麻呂の家は敷地も広く、さすが一帯を仕切る豪族と言わんばかりの規模だ。これほどまでに力を持っている郡司こおりのつかさでさえ、簡単に殺されてしまう。地方の政治が乱れている証拠だ。

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