第30話

 その別れから僅か一月ひとつきほどで、涼悠りょうゆうが死んでしまった。それを知り、下界へ降りると、姉の美優みゆの蘇生術によって涼悠が蘇った。それは嬉しくもあったが、涼悠の気持ちを想うと複雑だった。

白蓮はくれん?」

 まだ蒼白な顔の涼悠は力なく白蓮の名を呼んだ。

「俺、死んで天に昇ったのか?」

「違う。ここはお前の部屋だ」

 涼悠はすべての霊力を使って恵禅尼えぜんにを捉えた。そのため、命を落としてしまったのだ。蘇った涼悠には霊力がなく、今すぐにでも気を分け与えなければ、また死んでしまう。蘇生術をかけた姉の美優の願いを叶えなければならない、涼悠はそう言って今すぐに行こうとしたが、身体を動かすことも出来なかった。

「今は駄目だ。動くことも出来ないほど、お前は霊力を使ってしまった。私が分けてあげよう」

 白蓮は仙術の一つ、房中術を施すために涼悠と唇を重ねた。涼悠は突然のことで驚いた様子だったが、急を要するため、拒まれてもやめるつもりはなかった。涼悠の口の中に舌を差し入れて、己の気を分け与えた。涼悠の身体に十分に気が満ちたことを確認すると、彼の唇から離れたが、涼悠が白蓮を抱き寄せ、その唇を重ねてきた。白蓮は彼の気が済むままに委ね、その求めに応じた。

 房中術とは互いの気のやり取りを行い、気の循環を図るもので、それによって気を高め合い、養生と体力の強化に努めるものである。決して淫蕩に耽って快楽を追い求めることはせず、精(気)を漏らしてはならない。この時、涼悠には霊気が無いため、白蓮の気を一方的に分け与えるもので、涼悠は損なった気を貪るように求めたのだろうと思った。



 白蓮がそこまで話すと、

小角おづぬよ、珍しい客人が来ているようだな?」

 と声をかけて、庵に彦瀲尊ひこなぎさのみことが入って来た。

「ついに昇って来たのだな、日河比売ひかわひめ

 と彦瀲尊ひこなぎさのみことが言うと、

「お前、誰だよ。すごい派手だな」

 涼悠が訝し気な顔をして言った。そんな無礼な態度に、役小角は僅かに口元を緩め、白蓮は眉を寄せて、彦瀲尊ひこなぎさのみことはと言うと、

「はははっ、面白い。まさか日河比売ひかわひめからそんな言葉が出るとはな」

 大らかに笑って、涼悠の言葉など全く気にも留めない様子だ。

「お前、俺のことを笑ったのか? 失礼だな」

 涼悠が言うと、

「涼悠、お前こそ失礼だ。この方が彦瀲尊ひこなぎさのみことだ」

 白蓮が涼悠を諫めて言った。

「ああ、こいつが彦瀲尊ひこなぎさのみことか。俺を転生てんしょうしてくれたんだってな。ありがとう」

 涼悠がにっこり笑ってそう言った。その素直で屈託のない笑顔は、見ている者の心を和やかにする。そんな涼悠を見て、彦瀲尊ひこなぎさのみことは嬉しそうに、

日河比売ひかわひめは何度生まれ変わっても人を癒すのだな。私は今の日河比売ひかわひめが一番気に入った」

 と言って、みんなが座っている板の間に上がり、その一角に座った。

彦瀲尊ひこなぎさのみこと殿、此度こたびの件については、大変なご尽力に敬服致します」

 と役小角えんのおづぬが言うと、彦瀲尊ひこなぎさのみことは扇子を広げて口元を上品に覆い、

「なに、なに」

 と謙遜しながらも目を細めた。彦瀲尊ひこなぎさのみことの扇子は金色で縁取られていて、白地に金色の花びらが幾重にも重なる花と、金色に宝石がちりばめられたような派手な蝶が描かれている。涼悠はそれを見て、持っている物も派手だなと思った。白蓮の扇子は白蓮が持つに相応しく、彦瀲尊ひこなぎさのみことの扇子は彦瀲尊ひこなぎさのみことが持つに相応しい。そう思うと、面白くなって、にやりと声を出さずに笑った。役小角えんのおづぬはちらりと涼悠を見た。涼悠は笑ったことを見られてばつが悪く目をそらした。役小角えんのおづぬには、心も読めるのではないかとすら感じてしまう。実際には心を読めていて、涼悠の心の声はほぼ聞こえていた。


「あなたが何も言わないでいるので、私から二人に話しましょう」

役小角はそう言って語り始めた。



 布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみ日河比売ひかわひめが離れ離れになってしまった時のことに話しを戻す。


 彦瀲尊ひこなぎさのみことは二人のことがとても気に入っていて、二人の奏でる音がとても好きだった。そんな二人が不運に見舞われたことを憂いて、何かできないかと一人で画策していた。日河比売ひかわひめが黒龍となった火須勢理命ほすせりのみことに捕まり根の国へ引きずり込まれてしまって、日河比売ひかわひめを妬んだ伊邪那美命いざなみのみことが彼女を根の国へ留め置き、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみが返してほしいと言っても聞く耳を持たなかった。伊邪那美命いざなみのみこと日河比売ひかわひめの穢れを落とす必要があると言うと、日河比売ひかわひめそれに従い根の国に留まり、百年もの月日が経った。布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみは我慢の限界とばかりに日河比売ひかわひめを奪い返したが、伊邪那美命いざなみのみことによって布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみは白蛇に日河比売ひかわひめは下界へと落とされた。


 彦瀲尊ひこなぎさのみことにはこれをどうすることも出来ず、ただ見守ることにした。しかし、その後も不運は続き、二人は離れてはまた巡り合う事を繰り返していた。布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみが人として生まれ変わり、十五歳で天界へ昇った時は、嬉しくて真っ先に会いに行った。布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみが神であった時、彦瀲尊ひこなぎさのみことは天界にいる多くの神の一人であって、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみにあまり認知されてはいなかった。というのも、多くの神々は布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみ日河比売ひかわひめが好きで、仲良くなりたくて二人を取り巻いていて、彦瀲尊ひこなぎさのみこともその中の一人だったのだ。

 布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみ日河比売ひかわひめのことにしか興味がなく、他の神々の事など顔も名前も知らないのかもしれない。それほど、他には無関心だった。


 そんな彼が昇天して役小角えんのおづぬの元を訪ねているとは。きっと、何か助けが必要なのだろうと思い、会いに行くと、役小角えんのおづぬが間に入り、話しを纏めてくれた。彦瀲尊ひこなぎさのみこと布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみの方から助けてほしいと言ってくれたことが嬉しかった。彼が手助けが必要としているのは、日河比売ひかわひめのことであることなど、聞かなくても分かっていた。

 その時、日河比売ひかわひめは七色の蛙の姿で御門みかどながものにされていて、取り上げることは簡単だが、伊邪那美命いざなみのみことの呪いが厄介だった。どんなに頼んでも、伊邪那美命いざなみのみことがその呪いを簡単に解いてくれるはずもなく、手を変え品を変え、何度も足しげく通い、彼女の機嫌を取り、その呪いを解いてもらうのに二十年かかった。彦瀲尊ひこなぎさのみことには民の祈りを聞き、救済しなければならない務めがあったが、それを布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみに任せることで、伊邪那美命いざなみのみことの説得をする時間を作ったのだった。


 ようやく布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみの願いが叶い、日河比売ひかわひめ転生てんしょうさせることが出来る。しかし、そこで彦瀲尊ひこなぎさのみことは考えた。これまで、何度転生しても、彼らには不運が付いて回る。その原因は何だろうか? 

 まず、火須勢理命ほすせりのみこと日河比売ひかわひめを欲しがった、それは彼女があまりにも魅力的だったから。

 伊邪那美命いざなみのみことが妬んだのは、日河比売ひかわひめが魅力的な女神で、誰からも愛されているから。

 下界へ落され人として転生てんしょうしても、その魅力に誰もが心を奪われた。御門が眺め物にしたのは、蛙になっても美しい姿だったから。ならば、今度はどんな姿になれば、この不運は絶たれるのだろうか? 考えあぐねた末に、これまでの記憶を消し、男として転生てんしょうさせたのだった。


 今の涼悠を見ていると、彦瀲尊ひこなぎさのみことの妙案が功を奏したのは明らかだった。

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